九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

今日からまた出張です

司祭館の向かいの昔ながらの豆腐店が廃業し、作業場が取り壊されたことは以前投稿しました。

 

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更地になった場所には店主の息子さんが家を建て、越してくることになりました。

今年は夏も秋も天候が不順で、だいぶ工事が遅れていましたが、ようやくその家が完成。私の福岡出張の間に入居されました。

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司祭館の向かいの豆腐店跡に新築された家

 

さて、今日から熊本に出張です。明日は熊本ハリストス正教会で降誕祭を行います。クリスマスには早過ぎの感がありますが、神父一人で4つの教会を受け持っている以上、やむを得ません。

熊本県内のコロナ新規感染者はゼロが続いていますが、熊本教会は所属信徒が全員80代以上であり、「祈祷には行くが、コロナが不安だから会食は止めてほしい」という声ばかりですので、いわゆるクリスマスパーティーはやりません。

しかし綺麗な教会でクリスマスを迎えたいと思いながら、清掃の奉仕を高齢で教会に出てくるだけでも精一杯な信徒たちには任せられないので、今日は妻と私で会堂の大掃除をする予定です。

 

さらに週明けに長崎港でギリシャの新船の船舶成聖をやってくれという、急な依頼が来ました。

船舶成聖(Blessing of the vessel)は新船の就航にあたって必ず行われる祈祷であり、九州に来てから既に2回行っています。

 

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昨日、執行日を12月15日(水)とすることが決まりましたので、前日と当日とで2泊する長崎のホテルをネットで予約。

つまり、日曜日に熊本での祈祷を終えて人吉にいったん戻り、また火曜日に長崎へ出発し、木曜日に帰るというわけです。

ちなみにその次の土曜日からは鹿児島に出張です。

さらに長崎までの行き方を調べると、高速道路で佐賀県を横断し、佐世保を経由して現地入りするより、熊本港から島原まで車ごとフェリーで渡り、島原半島を横断した方が早く着くことが分かりました。そこでフェリーのチケットも予約しました。

 

今回の成聖は、沖合に停泊している目的の船にボートで行って乗り込むとのことで、軍手を持参することと、冬の海上ということで動きやすく暖かい服装で来るように指示がありました。

前回、門司で成聖をした時は、乗船にあたって海賊船の縄ばしごのようなステップを、カソックを着たまま苦労してよじ登りましたが、今度はボートで接近ということでさらにグレードアップ(?)です。完全にアウトドアの服装に、道具(聖水やイコンなど)もリュックに入れて担いで行こうと思っています。神父とは見てもらえないかも知れませんが(笑)、安全には換えられません。

 

そもそも私は九州全域を担当とはいえ、長崎市内での仕事を受けるのは初めてです。長崎県内でも、葬儀で大村市に出張したことがあるだけです。

長崎は日本のキリスト教の歴史的中心地ですので、今から修学旅行に行くようなワクワク感で満ち溢れています。

そして還暦近くなった今でも、教会を通して人生で新しい経験をさせてもらえていることに感謝しています!

福岡出張から帰りました

昨夕、三泊四日の福岡出張から人吉に帰りました。

こんなに長く時間を取ったのには目的があったからです。

 

土曜日に前泊して、日曜日は福岡伝道所で生神女進堂祭の聖体礼儀を執行。生神女進堂祭については、12月4日に投稿しています。

生神女(イエスの母マリヤ)の祭日は青色の祭服を着るのがロシア正教会の伝統なので(一方、バルカン諸国の正教会ではあまりドレスコードは厳密でない)、私物の青い祭服を持参しました。


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福岡伝道所は九州の教会で一番会堂が狭いですが、参祷者は一番多く、一けたになることは滅多にありません。

しかし、このところの寒さで体調を崩したり、年末でいろいろ用事があった人が多くて、7人しか参祷者はいませんでした。

 

普段、伝道所のメンテナンスは現在86歳の執事長がしてくださっているのですが、現在入院中のため、午後に私たち夫婦で残って大掃除しました。次回の巡回は年明け後の1月9日で、祈祷も降誕祭なので、参祷者の皆さんが新年とクリスマスを綺麗な環境で迎えられるようにしました。

 

月曜日は福岡市内の病院で、大腸と胃の内視鏡検査を受けました。胃は毎年バリウム検査を受けていますが、大腸内視鏡検査は2008年に受けたのが最後だったので、時間を取って受診したものです。私は若い時からひどい便秘気味の体質で、大腸ガンのリスクが高いと言われ、大変不安を感じていたのです。

便秘のせいか、この検査でも病院で下剤を飲み始めてから、腸内が空になって検査ができる状態になるまで4時間もかかりました。

全身麻酔を受けたので、検査の間は全く記憶にありませんが、16時に目覚めて画像を見ながら医師の説明を聞くと、胃も大腸もガンはおろか、何ひとつ異変のない綺麗な状態だということがわかり、ホッと胸をなでおろしました。

説明の後、病院が用意した弁当をいただきました。朝から何も食べていなかったし、日曜日も検査前日ということで、昼も夜も月見うどんしか食べていなかったので(聖体礼儀の前は何も食べられないので、日曜日はいつも朝食抜き)、生き返った心地がしました。

 

以前勤めていた大企業と違って教会で奉職することは、病気になったり障害を負ったりして働けなくなっても、さらには在職中に死亡しても何の保障もありません。先輩の神父様たちの最期を見てきてよく分かっています。よって司祭職を続けるためには、自分の健康を自分でしっかり管理しなくてはならないと考えています。

教団では定期健康診断を毎年行っていますが、その基本的な結果内容だけでは不十分と感じていますし、悪い結果が出ても放置していたら健診の意味自体がありません。

10月の鹿児島巡回時にも自費で胸腹部のCTとMRI検査を受けましたが、信者さんたちを長く導いていくために、身銭を切ってでも健康の維持を心掛けています。

 

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昨日は福岡を発って、人吉と逆方向の小倉へ。

九州には4か所に教会があり、信者はそのいずれかに所属して参祷するよう勧めてきました。しかし現実問題として九州は広く、自分の住所から遠隔地にしか教会がない地域の人々には無理な話だというのが牧会して良く分かりました。

もちろん、正教会には個別の家庭を訪問して祈る「廻家祈祷」というシステムはありますが、礼拝を通して他の人々と祈りを守るためには、そのための「場」が必要です。そこで、向こうから教会に来てもらうことに期待するより、こちらから出向いて行って現地に場所を確保し、祈祷を行う「地域集会」を展開しようと考えました。

信者が住んでいないところで開催してもあまり意味がないため(信者以外の人に教えを説くだけなら、リアルな礼拝の場でなくネットでも可能)、信者が複数住んでいるのに教会に誰も来ない地域を検証して、候補地として小倉を選びました。

安く借りられて集会ができそうな会場を事前にネットで調べておき、昨日実際に行って下見してきました。

小倉近辺の信者の意見を聞きながら、来年の復活祭は既存の教会に加えて小倉でも祈祷できるように準備しようと思います。

 

下見は午前中には終わってしまい、そのまま人吉まで300㎞近く運転して帰るのも面白くないので、妻と小倉城を散策してから帰路に就きました。

祈祷も視察も私用も、とりあえずやるべきことはやったという満足感のある三日間でした。

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小倉城

 

今日は生神女進堂祭

今日から福岡と小倉に3泊4日で出張しますので、しばらく投稿はお休みです。いつものように福岡で日曜日の聖体礼儀を行うのに加え、小倉でも集会ができるように候補地の下見をして来ます。

 

ちなみに今日(ユリウス暦の11月21日)は、正教会の十二大祭の一つ「生神女進堂祭」です。私の管轄では5日の日曜日に福岡伝道所で、生神女進堂祭を振り替える予定です。

この祭は生神女(イエスの母)マリヤが3歳の時、両親のヨアキムとアンナのもとを離れ、エルサレムの神殿に捧げられて育ったことを記念するものです。

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イコン「生神女の進堂」

 

十二大祭ということは、降誕祭や聖五旬祭ペンテコステ)と同列の重要度という扱いになります。

なぜそれだけ重要な出来事と考えるかというと、マリヤが神殿に入ったことは、彼女が将来神の子を胎内に身ごもり、彼女自身が「生ける神殿」となったことの預象であると理解するからです。

また、パウロは「私たちは生ける神の神殿なのです」(コリント後6:16)と言っています。

これは、マリヤが「目に見えない神を目に見える人間として」キリストをこの世に生んだ結果、キリストを信じる私たちクリスチャン自身も神と共にある「生ける神殿」になっているという意味です。

 

通常、正教会の聖堂はきらびやかに飾られており、実際私たちは聖堂をとても大切にします。しかし、それは神が聖堂という「物体」の中にいると思っているからではありません。そういう考えは「偶像崇拝」といい、キリスト教とは相容れません。

神が宿っているのは地上のどこかの建物ではなく、私たち信者一人ひとりの中なのであり、聖堂はその私たちが集まって祈る場所だから尊いと考えるのです。

ですからどんなに大きな聖堂を建て、高価な装飾を施しても、そこに人が来なければ「神のいない」空間になってしまいます。

福岡伝道所はとても狭いし、イコノスタスをはじめ、聖堂に備わっているべき備品もほとんどありません。しかし幸いなことに、九州に四つある教会のうち、参祷者数は最多です。

その意味で、福岡の拠点が「生ける神殿」としてますます発展していけるよう、宣教に努めていきたいと思っています。

セルビア正教会の至宝 ヴィソキ・デチャニ修道院の思い出

今日、仙台のセラフィム大主教から私宛に「パンフレット」と書かれた荷物が届きました。教団や教会名でなく、大主教から物品が届くのは珍しいことなので開けてみると、セルビア正教会のヴィソキ・デチャニ修道院の日本語版パンフレットが入っていました。

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ヴィソキ・デチャニ修道院のパンフレット

中に入っていた大主教の手紙によると、ベオグラード大学の山崎洋名誉教授の翻訳により、ヴィソキ・デチャニ修道院の日本語版パンフレットが作成された。山崎氏によれば当修道院は今もアルバニア人過激派のテロの脅威に瀕し、厳しい環境にあるので、日本正教会の神品・信徒にも修道院の平和を記憶してもらい、日本・セルビア両教会の交わりを促したい、とありました。

大主教は日本全国の神父に同じ手紙を書いたとは思いますが、これはまさに私に向けられたものだと感じました。

なぜなら、私はこの修道院を実際に訪ねて聖体礼儀に陪祷した、唯一の日本人司祭だからです。

 

ヴィソキ・デチャニ修道院コソボにあり、中世セルビア国王のステファン・デチャンスキが創建。完成は彼の死後の1335年で、わが国では南北朝の動乱が始まった頃にあたります。2004年にユネスコ世界文化遺産に登録されています。

コソボは中世セルビア王国の中心地でしたが、セルビアオスマントルコに征服された後はムスリムアルバニア人が入植し、多数派住民となりました。

1990年代のユーゴスラビア崩壊に伴う内戦を経て、コソボは米国やNATOの支援を受けたアルバニア人勢力によって独立を宣言しましたが、その過程において多くの正教会が破壊されました。

このため、ユネスコは2006年に「コソボ中世建造物群」、すなわちデチャニ修道院を含むコソボの4か所の歴史的教会を「危機遺産」に指定。今日に至っています。

 

私はこのことを2013年の暮れに朝日新聞の記事で偶然知り、衝撃を受けました。民族やイデオロギーの対立で教会が迫害されるなんて、現代ではソ連や旧東欧の共産主義政権下の話であって、ベルリンの壁崩壊後の21世紀のヨーロッパでそんなことが起きているとは夢にも思っていなかったからです。

そして、いつか機会があったら実際にコソボ修道院を訪ねて、この目に焼き付けたいと思い続けていました。

 

翌2014年6月、上記の山崎洋先生がデチャニ修道院の案内本を日本語に翻訳し、その発表会がセルビア大使館で行われると偶然知って、初めて品川の大使館に行きました。もちろん本も買いました。

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ヴィソキ・デチャニ修道院の案内書

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翻訳者の山崎洋先生(左)

その本を見ながらコソボへの旅を夢見ていたところ、大阪の旅行会社がその年の暮れ、山崎洋先生の案内でデチャニ修道院など、上記の「コソボ中世建造物群」を巡る旅の企画を発表。それはまたも偶然、ニコライ堂の事務所に送られたパンフレットが誰にも見られないまま放置されているのを発見して知りました。

一般的な海外旅行と比べると代金はかなり高額でしたが、矢も楯もたまらず申込み。人が集まらなかったせいか、催行時期が遅れたのがかえって幸いして、出発は復活祭直後の2015年4月でした。それより早い時期は寒さと積雪で、大変な旅になっていたでしょう。

 

訪ねたデチャニ修道院はテロリストの車両が突入しないよう、門前に国際治安維持部隊のバリケードが築かれ、入口でパスポートチェックを受けました。教会に入るのにこんな経験は初めてです。

しかし、門の奥に建っていた「主の昇天聖堂」は白とベージュのツートンカラーの大理石造り。ビザンチン建築というよりロマネスク様式のような優美な外観で、門外のものものしさとは全く別世界のような姿でした。

内部のフレスコ画は近代の正教会のような金色ではなく、ラピスラズリの濃紺の落ち着いた基調。ちなみにラピスラズリは、中世では金と同額の高価な顔料です。

そこで修道院の司祭たちと共に主日聖体礼儀を司祷させていただき、聖堂の名のように自分自身もキリストと共に天に昇るような思いをしました。

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ヴィソキ・デチャニ修道院 主の昇天聖堂

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修道院長以下、修道院の司祭たちと聖体礼儀を司祷

この経験の後、セルビア正教会に一層関心が強まって、2016年と17年と三年連続でセルビアを巡礼し、日曜日には現地の教会で聖体礼儀に陪祷させてもらっています。

しかし、それもこれも「偶然見た朝日新聞の記事」「偶然知った山崎先生の翻訳本とセルビア大使館訪問」「偶然知ったコソボ旅行の企画」と、偶然の積み重ねによるものです。ひょっとしたら神が私とセルビア正教会を結び付けようとしておられるのでは、などと不遜なことを思ったりしています。

 

このデチャニ訪問から6年以上経ちましたが、コソボ正教会の苦境は今も続いています。偏狭な民族主義ナショナリズムによる紛争は、コソボに限らず世界各地で起きているのですが、キリスト教であれイスラム教であれ、既存の宗教そのものに罪はないはずです。セラフィム大主教から言われるまでもなく、コソボ正教会が守られるよう、私は今も祈り続けています。

くま川鉄道、復活へ!

人吉市湯前町を結ぶくま川鉄道は、昨年7月4日の水害で壊滅的な打撃を受け、運休が続いていました。

元々、大変な赤字路線でしたので、このまま廃線になってしまうのではないかと心配しました。

しかし、乗客の大部分は人吉球磨地域の高校の生徒であり、鉄道の不通で保護者が車で毎日学校に送らざるを得なくなって、困っているお宅がたくさん発生したと聞きました。そこで、一日も早い復旧に役立ててもらおうと、人吉ハリストス正教会に集まった支援金の一部を鉄道会社に寄付するなどしました。

 

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しかしこの間の日曜日、11月28日に錦町の肥後西村駅と終点の湯前駅の間が運行再開されました。予想以上に早い復旧で驚きました。

 

寄付をしたからでしょうか、先月中ごろに鉄道会社の社長名で開通記念列車の乗車証が、教会の代表者である私あてに届きました。

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くま川鉄道開通式の案内状と乗車証

是非にも駆け付けたい気持ちで一杯でしたが、その日は鹿児島巡回が決まっています。さすがに神父が日曜日の聖体礼儀をサボることは許されないので、教会の役員に案内状を渡して、代理で行ってもらいました。

新聞記事にもありますが、開通式には国交相に加えて地元選出の金子総務相も出席し、大変盛大なものだったようです。

 

そのようなわけで、くま川鉄道復活の歴史的瞬間に立ち会えず、残念な思いをしたので、今日折り返し駅の肥後西村駅まで列車を実際に見に行きました。ちなみにダイヤは高校の通学時間に合わせて朝と夕方だけ、1日6往復しか運行されていません。

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肥後西村駅のホーム

列車の到着の直前、人吉から来た代行運転のバスが3台到着。無人駅でガランとしていたホームが、たちまち高校生たちで埋め尽くされました。おそらく人吉市内の高校(人吉高校と球磨工業の2校)に通っていて、球磨郡の町村の自宅に帰る生徒たちでしょう。

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人吉から来た代行運転のバス

そこへ三両編成の列車が到着。感動しました!

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列車が到着

球磨郡の高校から帰る生徒たちが大量に降りてきて、ホームにいた生徒たちと入れ替わりました。まさにラッシュアワーです。

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たくさんの高校生が乗り降り

降りた生徒たちは、折り返しで人吉に向かう代行バスに乗って行きました。

 

私自身は高校時代は自転車通学でしたし、そもそも東京の朝夕の電車は学生以上に通勤客がギッシリと乗っているので、このように通学の高校生だけが貸切電車のように、鉄道車両の一編成全てを独占しているという光景は見たことがありません。

彼らは通っている高校は違っても、毎日同じ列車で一緒になっているわけです。それで友達になったり誰かに片想いしたりと、青春のいろいろな思い出がくま川鉄道で生まれてきたのかも知れないな、と思いました。田舎ならではのことかも知れません。

その意味で、通学の足が復活して便利になった、保護者の負担が減ったという実利面ももちろんですが、それ以上に水害から復旧した鉄道に再び乗れるようになったことで、高校生たち自身の気持ちが前向きで希望のあるものになったのではないかと思わずにはいられませんでした。

 

駅のホームから列車が来たのと反対方向を見ると、線路に車止めがしてあって、そこから先は荒れ果てた眺めが続いています。

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肥後西村駅から人吉方向の眺め

ここと人吉との間の球磨川を渡る鉄橋が流失し、現時点では再建の見通しは立っていません。よって人吉への鉄道の通行もいつ再開できるか分からないのです。

今鉄道を利用している生徒の在学中には難しいかも知れませんが、必ずや再び開通して、くま川鉄道が私たち被災地住民に復興への希望を与えてほしいと願い続けています。

鹿児島に巡回 子どもが訪れる教会づくりのために

今日は鹿児島ハリストス正教会で聖体礼儀を執り行いました。


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七五三の時期に合わせて、福岡伝道所で中学生以下の子どもたちのために感謝祈祷を行いましたが、今年の春から鹿児島教会に母子で参祷しているマリヤさん(仮名)も中学生なので、「幾とせも」を献じてプレゼントを進呈しました。偶然、誕生日が今月だったので、大変喜んでいました。

九州管区の信徒はほとんどが高齢者ですが、子どもや中高生の姿をもっと教会で見たいと思っています。

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マリヤ姉(中2)にプレゼント進呈

午後は「平之町あいご会」の代表の方とクリスマスイベントの打ち合わせ。

平之町あいご会とは、教会所在地の鹿児島市平之町の小学生と保護者の会です。ほぼ全員が鹿児島で一番歴史のある小学校である山下小学校の在校生で、狭い地域であるにもかかわらず、マンションが多いため、対象児童は百数十人もいます。少子高齢化の地方社会では、珍しく盛んな子ども会です。

鹿児島ハリストス正教会は20年以上前から、平之町あいご会とタイアップして、聖堂でのクリスマス会を行ってきました。

私の着任直後の一昨年も、クリスマス会が開催されました。

 

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昨年はコロナの影響で中止。今年も運動会が学年で分散開催になるなど、学校行事の制約が未だに大きく、あいご会としては従来のような聖堂内でのイベントは見送りにしたいとのことでした。

しかし、それでは2年連続で何もイベントを経験しないまま卒業してしまう子もいます。そのため、あいご会側からの提案として、鹿児島ハリストス正教会の降誕祭の祈祷後、聖堂を開放して、私から教会に来た子どもたちにあいご会で用意したクリスマスプレゼントを渡してもらえないか、とのお話を受けました。

当方としても願ってもない話です。さらに、子どもがプレゼントをもらって帰るだけでは芸がないので、「子ども教会見学デー」として、こちらで用意したロウソクを信者と同じように燭台に献灯する「プチ教会体験」をしてもらうようこちらから提案。快諾してもらいました。

 

こういうことで子どもや保護者が信者になるとは全く思いませんが、教会として地域の方々、とりわけ子どもたちのプラスになることを今後も心がけていきたいと思っています。

 

 

大阪に出張

昨日から西日本教区の司祭会議のため、大阪ハリストス正教会に出張していました。

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大阪ハリストス正教会

 

教会は吹田市にあるのですが、近くの万博記念公園にはこれまで行ったことがなかったので、昨日寄ってみました。

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大阪万博記念公園

岡本太郎が作った太陽の塔、完成から半世紀経って初めて見ました!

日本庭園ゾーンの紅葉が素晴らしく、散策を楽しみました。

 

今日の午前中は教区の献金の案内の発送作業。チラシは私が製作しています。

東京教区ではニコライ堂で信徒たちの奉仕で作業していましたが(私は自発的に信徒たちの手伝いに行っていました)、西日本教区は人手が足りないので我々専従教職員が作業しています。

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教区の献金の案内を発送

午後からは教区の今後の行事などについて打合せました。

組織内のことなので詳細は書けませんが、とりあえず来年2月11日、大阪教会で私が講演会をすることが決まっています。今年の2月はコロナのため集合型の講演ができず、講師のソロモン伝教者(仮名)の講話を収録してYouTubeで公開しましたが、このままコロナの感染拡大が収まれば、聴衆を集めて講話できそうです。

遠隔地の信徒にも聴いてもらえるようにライブ配信する予定です。

 

帰りの飛行機は伊丹空港を17時15分に出発なので、15時過ぎの会議終了とともに急いで空港へ。見事な夕焼けを見ながら帰りました。

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帰りの飛行機から見えた夕焼け

あわただしい出張でしたが、明日からは鹿児島に巡回です!