九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

セルビア正教会の至宝 ヴィソキ・デチャニ修道院の思い出

今日、仙台のセラフィム大主教から私宛に「パンフレット」と書かれた荷物が届きました。教団や教会名でなく、大主教から物品が届くのは珍しいことなので開けてみると、セルビア正教会のヴィソキ・デチャニ修道院の日本語版パンフレットが入っていました。

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ヴィソキ・デチャニ修道院のパンフレット

中に入っていた大主教の手紙によると、ベオグラード大学の山崎洋名誉教授の翻訳により、ヴィソキ・デチャニ修道院の日本語版パンフレットが作成された。山崎氏によれば当修道院は今もアルバニア人過激派のテロの脅威に瀕し、厳しい環境にあるので、日本正教会の神品・信徒にも修道院の平和を記憶してもらい、日本・セルビア両教会の交わりを促したい、とありました。

大主教は日本全国の神父に同じ手紙を書いたとは思いますが、これはまさに私に向けられたものだと感じました。

なぜなら、私はこの修道院を実際に訪ねて聖体礼儀に陪祷した、唯一の日本人司祭だからです。

 

ヴィソキ・デチャニ修道院コソボにあり、中世セルビア国王のステファン・デチャンスキが創建。完成は彼の死後の1335年で、わが国では南北朝の動乱が始まった頃にあたります。2004年にユネスコ世界文化遺産に登録されています。

コソボは中世セルビア王国の中心地でしたが、セルビアオスマントルコに征服された後はムスリムアルバニア人が入植し、多数派住民となりました。

1990年代のユーゴスラビア崩壊に伴う内戦を経て、コソボは米国やNATOの支援を受けたアルバニア人勢力によって独立を宣言しましたが、その過程において多くの正教会が破壊されました。

このため、ユネスコは2006年に「コソボ中世建造物群」、すなわちデチャニ修道院を含むコソボの4か所の歴史的教会を「危機遺産」に指定。今日に至っています。

 

私はこのことを2013年の暮れに朝日新聞の記事で偶然知り、衝撃を受けました。民族やイデオロギーの対立で教会が迫害されるなんて、現代ではソ連や旧東欧の共産主義政権下の話であって、ベルリンの壁崩壊後の21世紀のヨーロッパでそんなことが起きているとは夢にも思っていなかったからです。

そして、いつか機会があったら実際にコソボ修道院を訪ねて、この目に焼き付けたいと思い続けていました。

 

翌2014年6月、上記の山崎洋先生がデチャニ修道院の案内本を日本語に翻訳し、その発表会がセルビア大使館で行われると偶然知って、初めて品川の大使館に行きました。もちろん本も買いました。

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ヴィソキ・デチャニ修道院の案内書

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翻訳者の山崎洋先生(左)

その本を見ながらコソボへの旅を夢見ていたところ、大阪の旅行会社がその年の暮れ、山崎洋先生の案内でデチャニ修道院など、上記の「コソボ中世建造物群」を巡る旅の企画を発表。それはまたも偶然、ニコライ堂の事務所に送られたパンフレットが誰にも見られないまま放置されているのを発見して知りました。

一般的な海外旅行と比べると代金はかなり高額でしたが、矢も楯もたまらず申込み。人が集まらなかったせいか、催行時期が遅れたのがかえって幸いして、出発は復活祭直後の2015年4月でした。それより早い時期は寒さと積雪で、大変な旅になっていたでしょう。

 

訪ねたデチャニ修道院はテロリストの車両が突入しないよう、門前に国際治安維持部隊のバリケードが築かれ、入口でパスポートチェックを受けました。教会に入るのにこんな経験は初めてです。

しかし、門の奥に建っていた「主の昇天聖堂」は白とベージュのツートンカラーの大理石造り。ビザンチン建築というよりロマネスク様式のような優美な外観で、門外のものものしさとは全く別世界のような姿でした。

内部のフレスコ画は近代の正教会のような金色ではなく、ラピスラズリの濃紺の落ち着いた基調。ちなみにラピスラズリは、中世では金と同額の高価な顔料です。

そこで修道院の司祭たちと共に主日聖体礼儀を司祷させていただき、聖堂の名のように自分自身もキリストと共に天に昇るような思いをしました。

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ヴィソキ・デチャニ修道院 主の昇天聖堂

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修道院長以下、修道院の司祭たちと聖体礼儀を司祷

この経験の後、セルビア正教会に一層関心が強まって、2016年と17年と三年連続でセルビアを巡礼し、日曜日には現地の教会で聖体礼儀に陪祷させてもらっています。

しかし、それもこれも「偶然見た朝日新聞の記事」「偶然知った山崎先生の翻訳本とセルビア大使館訪問」「偶然知ったコソボ旅行の企画」と、偶然の積み重ねによるものです。ひょっとしたら神が私とセルビア正教会を結び付けようとしておられるのでは、などと不遜なことを思ったりしています。

 

このデチャニ訪問から6年以上経ちましたが、コソボ正教会の苦境は今も続いています。偏狭な民族主義ナショナリズムによる紛争は、コソボに限らず世界各地で起きているのですが、キリスト教であれイスラム教であれ、既存の宗教そのものに罪はないはずです。セラフィム大主教から言われるまでもなく、コソボ正教会が守られるよう、私は今も祈り続けています。