九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。2019年から九州全域を担当しています。

福岡での復活祭 たくさんの参祷者と分かち合う喜び

一昨日の4月12日(日)、福岡ハリストス正教会で復活大祭の聖体礼儀を執り行いました。福岡新教会開設後、三回目の復活祭です。

 

正教会の復活祭の祈祷は午前零時に開始して、日の出までに終わると決められており、諸外国はもとより、日本正教会でもほとんどの教会で深夜に執り行っていますが、九州は教会が小規模で、近所にまだ認知されていないため、深夜の祈祷は行わず、通常の主日聖体礼儀と同じく、日曜日の朝に復活祭を行うことにしています。

 

開式の30分前くらいから信徒が集まり始め、前日に設営した棚に持参したイースターエッグやクリーチ(ロシアの復活祭の菓子パン)が次々と並べられました。

信徒が持参したイースターエッグやクリーチなど

午前10時に皆で司祭館の外に出て十字行(教会堂の周囲を行列)の開始。

若い男性、というか男子が増えて、十字行で必要な物品を持ってもらう役割も手伝ってもらえるようになりました。

十字行と開式

聖体礼儀での福音書の朗読は、キリストの復活という「福音」(良い知らせ)が全世界に宣べられたことの象りとして、可能な限りの世界各国の言語で朗読するよう定められています。

福岡ではこれまで、日本語の他に信徒の奉仕で英語とスラブ語でも朗読してきましたが、今回はルーマニア出身者も何人か参祷しましたので、ルーマニア語でも朗読しました。

信徒の奉仕で外国語の福音書の朗読

この日の参祷者は34人。うち小中高生の子どもが11人でした。

狭いチャペルが人でギッシリとなりました。

祈祷中の様子

イースターエッグの成聖


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祈祷が終わった後の集合写真は、館内では全員がカメラに入りきれないので司祭館の前で撮影しました。

参祷者と集合写真

祈祷後は集会室でイースターパーティー。

子どもたちは食べ終わると退屈するので、庭でエッグハントをしてもらいました。

乾杯

エッグハントで当たりくじを引いた子にプレゼント進呈

今回、初めて来た外国出身信徒が何人もいましたが、どうやら「福岡に正教会がある」ということが、ネットなどを通じてだんだんと九州在住の外国出身者に浸透してきたようで、「復活祭だから行ってみよう」と参祷に至ったようです。

必ずしも彼らが全員、継続的に来るとは思いませんが、今後も福岡で教勢が伸びることに希望を持ちたいと思います。

 

ともあれ、今年も福岡での復活祭にたくさんの参祷者が集い、ともに主の復活の喜びを分かち合うことができて幸せでした。

聖大土曜日 死から復活への移行の日

今日は聖大土曜日(Holy and Great Saturday)です。

 

午前中の聖体礼儀(正確には聖体礼儀の前の晩課)では、律法書である創世記と出エジプト記、歴史書であるヨシュア記や列王記、預言書であるイザヤ書やダニエル書など、旧約聖書から15か所が朗読されます。

これは復活祭の前日にあたって、救世主の到来、受難、復活が「旧約の成就」であることを、実際の聖書の記述に基づいて証しするものです。

 

新約聖書からはまず、ロマ書の6章を朗読。これは洗礼式の時に朗読するのと同じ箇所ですが、洗礼を通して古い自分は死に、神と共に生きる新しい自分に復活するという内容です。

復活とは将来的な死後の話ではなく、自分自身の洗礼の時に既に起きている。クリスチャンになること自体が復活なのだという、極めて重要なメッセージです。

 

この後、いったん祈祷を中断して、大斎の間会堂内に掛けられていた黒い覆い布を全て取り外します。

司祭もそれまで着ていた黒い祭服を脱ぎ、白い祭服に着替えます。

祈祷の前半(上)と後半(下)。

昨日の金曜日はキリストの死と葬りを記憶し、明日の復活祭は文字通り主の復活が明かされたことを祝うわけですが、その中間日の今日は、キリストが墓の中で死から復活に移っていた日だと私たちは理解しています。

そのことを典礼において、「黒から白へ」というビジュアルな変化で示しているのです。

 

白い祭服に着替えて、司祭はマタイによる福音書28章を朗読します。

マグダラのマリヤらがイエスの復活を発見したこと、そして復活したイエスが弟子たちに「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28:19)と言って送り出したことが記されています。

そして最後に「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)というイエスの言葉で、マタイ伝福音書は終わっています。

イエス・キリストは単なる歴史上の人物ではなく、復活して今も将来も永遠に、信じる者のうちに存在し続けるという、力強いメッセージです。

 

このように聖大土曜日の聖体礼儀は聖書の朗読が大変多いので、二時間以上かかります(通常の聖体礼儀は説教を除けば一時間ほど)。

それだけ時間がかかるのは、これまでご紹介してきたように受難週間の他の曜日の祈祷も同じなのですが。

これは正教会がキリストの受難と復活を信仰の根幹と考え、その意味を聖書と典礼を通して徹底的に信者の心に染み込ませようとしていることに他なりません。

 

明日はいよいよ復活祭。福岡教会への参祷予定者を事前確認していますが、かなりの人数になりそうです。

今日まで積み上げてきた霊的な準備を生かして、大きな喜びをもって迎えたいと思っています。

聖大金曜日 キリストの死と葬りの記憶

今日は聖大金曜日(Holy and Great Friday)です。

まさにイエスが十字架上で死に、葬られた日となります。

 

昨日の聖大木曜日は、徹底的に聖書に基づいてイエスの受難の意味を振り返る日だと書きましたが、それに対して今日はビジュアルな典礼を通して、キリストの死と葬りをリアルに意識に刻む日といえます。

 

今日は午後に、まずイエスの死を記憶する聖大金曜日の晩課を執り行いました。

私は前任時代から15時に開始することにしています。

聖書にはイエスが息を引き取った時刻が午後3時頃と書いてあるからです。

 

ここで必須のアイテムが、十字架から降ろされたイエスの屍を描いたイコン「寝りの聖像です」。

ありがたいことに福岡教会には先月、日本正教会首座のセラフィム府主教が寝りの聖像を特別に寄贈してくださいました。

寝りの聖像の多くは板にイコンがプリントされたものが多いのですが、これは刺繍で描かれていて高級感に溢れています。

セラフィム府主教寄贈の寝りの聖像

このイコンを晩課の開式時に宝座(祭壇)の上に置いておき、終了直前に司祭が聖堂の中央に移して安置します。

今年は新しい寝りの聖像のお披露目となりました。

寝りの聖像の捧出

これは十字架上で死んだイエスの遺体が、アリマタヤのヨセフによって取り降ろされた(ヨハネ19:38)ことの象りです。

安置されたイコンは、妻が買ってきた生花で飾り付けました。

チャペルの中央に安置された寝りの聖像

この後、日没頃に行われる典礼が聖大土曜日の早課です。

しかしこれは二時間以上かかる祈祷で、上記の晩課からあまり間を開けて始めると参祷者の帰宅時間が遅くなってしまうので、九州では晩課が終わってすぐに開式しています。

 

この典礼の特徴は、聖堂中央に安置した寝りの聖像を掲げて聖堂の周囲を行列して歩く「十字行」を行うことです。

これはアリマタヤのヨセフとニコデモが、イエスの遺体を亜麻布で包み、誰も葬られたことのない新しい墓に運んで納めた(ヨハネ19:40-41)こと、つまりイエスの葬列を象るものです。

イエスの葬りの十字行

上記の晩課から通すと三時間以上かかりますが、このように正教会の聖大金曜日はイエスの死と葬りを体験的な形で記憶しているのです。

聖大木曜日 受難への道行きを聖書で振り返る日

昨日は復活祭の直前の木曜日でした。

正教会では「聖大木曜日」(Holy and Great Thursday)と呼びます。

 

午前中の聖体礼儀は「聖体機密の制定」を記憶します。

イエスは十字架につけられる前日の木曜日、弟子たちと夕食を取りました。これは一般に「最後の晩餐」と呼ばれています。

その席でイエスは弟子たちにパンと葡萄酒を与え、「(パンを)取って食べなさい。これはわたしの体である…皆、この杯から飲みなさい。これは多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」(マタイ26:26-27)と言いました。

正教会ではこの聖書の記述を根拠に聖体機密、つまり司祭によって捧げられたパンと葡萄酒が聖霊によってキリストの真の肉と血に変化し、それを信じて領食する私たち信者も永遠の生命を得る、と考えています。この聖体機密を行うための典礼が「聖体礼儀」です。

その意味では聖体礼儀自体が最後の晩餐を記念するものなのですが、正教会ではその席でイエスご自身が聖体機密を制定したことから、最後の晩餐よりむしろ「機密の晩餐」と呼ぶのが普通です。

さらに一年間に何回も行われる聖体礼儀の中でも、聖大木曜日のそれは「聖体機密の制定記念日」という特別な位置づけになるわけです。

 

聖大木曜日の聖体礼儀の特徴は「予備聖体の作成」にあります。

聖体は上記のイエスの言葉「食べなさい…飲みなさい」に示されているように、拝むためのものではなく実際に食べなければ意味がない、と正教会は考えています。

よって聖体礼儀の時に聖体は全て食べつくし、残しておくことはしません。この点はカトリック教会と聖体への解釈が異なる点です。

しかし、それでは病気などで教会に来られない人、さらには急な危篤状態になった人は、健常者以上にキリストの恵みが必要なのに肝心の聖体に与れない、という矛盾が生じます。

これを解消するため、年に一回の聖大木曜日の聖体礼儀で保管用の聖体を作り、司祭がそういった人々に届けられるようになっています。この保管用の聖体を「予備聖体」と呼びます。

 

この予備聖体は聖変化、つまりキリストの肉に変化したパンをスライスし、同じく血に変化した葡萄酒を染み込ませて、熱して乾燥させて作ります。

これを宝座(祭壇)の上にある聖龕(せいがん)という容器に納めます。

予備聖体を乾燥させているところ

聖龕は正面の燭台の向かって右に置いてある箱

夕刻からは聖大金曜日の早課を執り行いました。

正教会の典礼は日没から一日が始まると考えるため、実際に行われるのは木曜日の夜であるにも関わらず、金曜日の最初の典礼となります。

この典礼では四つの福音書からイエスの受難の記事、より具体的には機密の晩餐から始まって、ゲッセマネの祈り、イエスの逮捕と裁判、十字架上のイエスの言葉、死と葬りについての記述を12に分割して司祭が朗読します。これを「受難十二段福音」(The Twelve Passion Gospels)と呼びます。

もちろんただ朗読しているだけでなく、朗読と朗読の間に祈祷文の読みや聖歌が入るので、始まりから終わりまで二時間半近くかかります。

祈祷は会堂の照明を消し、闇の中でロウソクの光だけで行います。イエスの逮捕と祭司長らによる裁きは夜中の出来事だったのであり、まさにその「人間の罪の闇」を想起させるような内容となっています。

司祭による福音書の朗読

キリストの受難は偶発的な出来事ではなく、わたしたち人類の罪をあがなうために、神が自らを進んで生贄に捧げたというのがキリスト教の神学的な理解です。

そのプロセス、道行きを聖書に基づいて詳しく示し、私たちにキリストの受難の意味をしっかりと理解させるというのが、この祈祷の趣旨といえます。

 

今週の月曜日から水曜日まで、三日間かけて福音書(今年はマルコ伝を選択)の全巻通読を行い、さらに木曜日も受難にフォーカスして聖書に学ぶ。

正教会は「儀式中心の形式主義」みたいなことを言われることがあるのですが、それは無理解もいいところであり、実際は聖書がど真ん中にある信仰集団なのです。

 

今日はイエスが息を引き取った時刻(と聖書に書いてある)の15時から、キリストの死と葬りを記念する祈祷を執り行います。

聖枝祭(Palm Sunday) 受難週間の始まり

九州地方、特に福岡は桜の開花が遅れていて、ようやく先週の金曜日、4月3日に満開宣言となりました。

教会の近所の桜。ようやく満開(4月3日撮影)

教会の方もいよいよ復活祭が近づいてきました。

 

昨日の4月5日(日)は西方教会(カトリックとプロテスタント)では復活祭でしたが、今年の正教会の復活祭は1週間遅れの4月12日です。

昨日はイエスのエルサレム入城を記念する聖枝祭(Palm Sunday)でした。

 

聖書の「(エルサレム市民はイエスを)なつめやしの枝を持って迎えに出た」(ヨハネ12:13)という記述に基づき、聖枝祭の聖体礼儀では司祷者も参祷者も枝を持つことになっています。

 

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何の木の枝を持つかは国や地域によって違いがあり、それについて以前投稿していますですが、私は常緑樹の枝に花を添えたものを用意するようにしています。

今年も妻が近くの生花店で調達してきて、ミニ花束を作り、それを4日(土)の前晩祷で成聖しました。

聖枝祭で信徒が持つ枝

枝の成聖

日本正教会の習慣として、洗礼希望者が復活祭を信徒として迎えられるよう、聖枝祭に合同洗礼式を行うことが多く、実際福岡でも昨年の聖枝祭では3人が受洗しましたが、今年は残念ながら受洗者はゼロでした。


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その代わり、新学期を迎えた子どもたちの良き学校生活を祈念して、聖体礼儀に引き続き感謝祈祷を執り行いました。

聖体礼儀の開式5分前の時点で子どもが誰も来ておらず、このままじゃ恰好がつかないなと思いましたが、少し遅れて小中高生が6名参祷したので一安心しました。

新学期こども感謝祈祷

この聖枝祭からの1週間は受難週間(Passion Week)と呼ばれ、イエスの受難を記憶する祈祷が毎日行われます。

今日からの三日間は、イエスのこの世における生涯を振り返るため、四福音書の全巻を朗読します。

もっとも実際に四福音書を全て読んだら祈祷が終わらなくなってしまうので、日本正教会では四つの福音書のうち一つだけを選んで通読するのが普通です。

今年はマルコによる福音書を選択しました。

 

復活祭までの最終コーナーを祈りで送る毎日です。

十字架叩拝の主日

7週間の大斎期間も折り返し点を迎えました。

その折り返し点の直前にあたる大斎第三主日(今年は3月15日)は「十字架叩拝の主日」と呼ばれます。

これはこの日の聖体礼儀において、私たちが神(正確には天の父)から罪の赦しを得るための代償として、キリストが十字架につけられたこと(これを贖罪の生贄という)を思い起こすために、聖堂の中央に安置された十字架に伏拝(ひれ伏して讃美)することに由来します。

つまり大斎の中間点で、キリストの受難の意味を再確認するということです。

 

今年の十字架叩拝の主日は熊本伝道所で迎えました。

熊本で十字架への伏拝を行うのは、私が着任してから初めてです。

十字架への伏拝

 

普段は妻がフラワーアレンジメントをして十字架を飾りつけています。しかし、熊本伝道所は狭くてあまり大きな飾り物を置けないので、花屋さんに頼んでスイートピーの花束をいくつか作り、小ぶりな十字架の周りに配置しました。

祈祷後に花束を女性の參祷者に配れば、後片付けの必要もありません。

安置された十字架

 

熊本での聖体礼儀の參祷者は、いつもは3人ほどですが、この日は外国人の參祷者もいたので、復活祭並みに10人もいました。

本州の中堅以上の規模の教会と比べたら微々たる人数ですが、それでもしっかりと大斎のお祈りができました。

 

復活祭まであと3週間ほど。

いよいよ大斎も後半です。

大斎はじまる

一昨日、2月22日(日)の日没から今年の大斎が始まりました。

4月12日(日)の復活大祭まで、約7週間の準備期間です。

 


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福岡ハリストス正教会で22日(日)の「赦罪の主日」に執り行った聖体礼儀では、最後に参祷者がお互いに赦し合いの挨拶をしました。

赦し合いの挨拶

これは聖体礼儀の中で読まれた福音書のイエスの言葉「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない」(マタイ6:14-15)に基づくものです。

つまり、自分たちが悔い改めて神に赦しを願うにあたって、まず自分の謙遜と他者への寛容の証しとして「自発的な赦し」を行いなさい、ということです。

本来は夕刻の「赦罪の晩課」で行いますが、九州では遠方から参祷している信徒も少なくないため、長時間拘束しないで済むよう、聖体礼儀の最後に行っています。

 

祈祷が終わって解散した後、妻と礼拝所の装飾を金色から黒に交換しました。

前任地のような、ある程度の規模の教会では信徒の奉仕による人海戦術で作業しますが、福岡は狭いのですぐに作業が終わりました。

大斎仕様の黒色で装飾された礼拝所

 

23日(月)から27日(金)までの五日間、朝夕「大斎初週祈祷」を執り行います。

 

大斎の平日の祈祷では、最後に「エフレムの祝文」を唱えて伏拝(神への悔い改めの告白と、赦しへの懇願としてひれ伏すこと)を行うという特徴があります。

エフレムの祝文

また、夕べの祈り「晩堂大課」では、旧約聖書を引用しながら神に悔い改めの思いを伝える長い祈祷文「アンドレイのカノン」を司祭が読み上げます。

アンドレイのカノン

晩堂大課の最後の祝福

正教会の大斎は、動物性の食品を断つという「禁食」の要素ばかりが強調されがちですが、むしろそれ以上に多くの祈りを通して、「悔い改め」「赦し」「隣人愛」といったキリスト者として必要な「心と行い」の要素を取り戻すことの方がより重要なのです。