九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

熊本のハンセン病者の母 ハンナ・リデル

節分の今日、2月3日は福澤諭吉や先代の市川團十郎など、何人かの有名人の命日でもあります。

しかし、2月3日に亡くなった人物の一人として、熊本県民である私はハンナ・リデル(1855-1932)の名も忘れることはできません。

ハンナ・リデル(1855-1932)

ハンナはそれまでわが国で差別にさらされていたハンセン病患者の救済を、熊本から発信して全国レベルで展開した人物です。

肝心なのは外国出身の人が社会で差別されて苦しんでいる日本人のために、しかも様々な反対や困難に直面しても信念を曲げずに働き、最後は日本の土になったことにあると、私は考えています。

 

ハンナは英国・ロンドン郊外で退役軍人の子として生まれました。

若い頃は父親が創立した私立学校で教師をしていましたが、両親の相次ぐ死去で学校は破産し閉校。生活のために英国国教会のミッション団体であるCMS(Church Missionary Society 英国聖公会宣教協会)の宣教師となりました。

 

ハンナは35歳の時に熊本へ派遣されることになり、初めて日本の地を踏みました。そして来日直後の1891年のある日、熊本市内にある加藤清正菩提寺本妙寺」で衝撃的な光景を目にしました。

本妙寺加藤清正の霊廟(筆者撮影)


熊本城を築いた加藤清正は昔も今も、熊本で最も尊敬されている英雄です。

さらに昔は、本妙寺の清正廟に参拝すると万病が治ると信じられていたため、本妙寺の境内にはたくさんのハンセン病者が住み着いていたのです。

おびただしい数のハンセン病者が社会から見捨てられ、本妙寺にたむろしている姿を目にして、ハンナは彼らを救済するために立ち上がりました。

 

ハンナはハンセン病者が安心して療養生活を送れる施設を熊本に造ろうと決意し、本国のCMS本部に建設を要請します。しかし、なんとCMSはそれを拒否しました。

当時のCMSの考えは、ハンナを日本に送ったのは献金をくれる上流階級の人々を聖公会の信者にするためであり、ハンセン病者のような下層の日本人に使う金はない、ハンナは余計なことをしないで本業に専念しろということだったのでしょう。

日本人クリスチャンである私としては、CMSは教会としておかしいんじゃないの、と思わないでもないですが、19世紀の欧米の多くの人々は日本人を下に見ていたのであり、当時としてはCMSの方が「普通の考え」だったかも知れません。

 

しかし、ハンナは個人で募金活動を押し進め、ついに1895年11月、熊本県で最初のハンセン病療養所「回春病院」を設立しました。ちなみに病院設立後の1897年、彼女はCMSに辞表を提出し、宣教師でなく一私人として(つまり教会からの俸給はなし)活動を続けました。

彼女はハンセン病者救済という信念を曲げず、大隈重信渋沢栄一などの政財界の大物にも直談判して人脈を広げ、ついに昭憲皇太后をはじめ皇室からも支援を受けるに至りました。

以後、ハンナはこの施設で患者の療養と研究者による治療法の開発のために生涯を捧げ、1932年2月3日に世を去りました。生涯独身でした。

ハンナの事業は姪のエダ・ハンナ・ライト(1870-1950)に受け継がれましたが、日本社会が軍国主義にともなう反英米主義と弱者差別に進む中で、大変な苦難を受けることになります。それについては、後日改めて書こうと思います。

 

現在、回春病院は「社会福祉法人リデルライトホーム」となり、ハンセン病者施設から高齢者福祉事業にシフトしています。

敷地内にある「リデル・ライト両女史記念館」は回春病院の研究棟として、1919年に建てられたものです。2016年の熊本地震で被災しましたが、2020年に修復が完成して、一般公開を再開。昔の史料やハンナらの遺品などが展示されています。

リデル・ライト両女史記念館(筆者撮影)

ハンナはCMSと対立して宣教師を辞めてしまい、よって回春病院も非ミッション系ですが、彼女自身は信仰に篤かったそうです。

敷地内には聖公会のチャペルが建てられていて、今も礼拝が行われています。

リデルライトホームの礼拝堂(筆者撮影)

日本で生涯を終えたハンナとエダの遺骨は納骨堂に収められ、チャペルには墓誌が掲げられています。

ハンナとエダの墓誌(筆者撮影)

病者や障害者への差別、人種や身分による差別等々、人間社会には様々な差別があるのですが、それを乗り越えて「ハンセン病者救済」という人道のために生涯をかけたハンナ・リデルは、まさにキリスト者の鑑のような人物であり、私は尊敬しています。

趣味について バイオリンと合唱

私は高校に入って部活動でバイオリンを始め、卒業と同時に止めてしまいましたが、昨年から40年ぶりにバイオリンを再開したことは以前書きました。

今日でレッスンを始めてから1年となります。

 

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バイオリン教室の発表会(2022年7月)

 

再開した時は完全にズブの素人に戻っていましたが(そもそも、元々上手くありませんでしたが)、1年経ってだいぶ感覚が蘇ってきました。

バイオリンはあくまでも個人で楽しむための趣味のつもりでしたが、多少弾けるようになるとちょっと図々しくなり、いろいろ演奏してみたくなるものです。

たまたま昨年末、人吉市から十数㎞ほど離れたあさぎり町で活動している弦楽合奏団があることを知りました。「弦楽アンサンブル楓」という名です。

定演などはなく、学校行事や福祉施設などでのボランティア演奏を主体にしているようです。

https://enskaede.exblog.jp

 

しかも偶然ですが、団長のA氏は私が知っている人だったのです!

A氏は相良村の開業医で、お母様が人吉ハリストス正教会のO執事長の叔母に当たります。お母様は幼児洗礼の正教徒でしたが、ちょうど3年前に亡くなり、私が葬儀を執り行っています。(A氏や他のご家族は信徒ではありません)

それでA氏への年賀状に「楓」に関心があると書いたところ、大歓迎との連絡をいただいたので、一昨日に練習場所のあさぎり町の公民館に楽器持参で行きました。

 

いまの団員は全部で10人ですが、弦楽五部(バイオリン第一と第二、ビオラ、チェロ、コントラバス)の全パートが揃っています。

「まずは一緒に弾きましょう」ということで、第二バイオリンのA氏の隣で楽譜を見せてもらい、早速練習に参加しました。

皆さん、人吉球磨のような田舎のどこで楽器を習ったのかと思うくらい上手で驚きました。私は楽譜が初見であること以前に、いまの自分の技術レベルでは少し難易度が高い楽曲だったので、ついていくのがやっとでしたが、今後の練習のしがいがあるというものです。

これから毎週月曜日の練習に通うのが楽しみです。

 

さて大学入学後、私は「早稲田大学グリークラブ」に入り、合唱を始めました。

社会人になってからは、前職時代も神学校に入った後も忙しく、合唱はそれこそ教会の聖歌隊でしか歌う機会がありませんでした。

しかし、50代になってから時間に余裕ができてきたので(神父としての仕事量は変わらないので、時間の使い方が上手くなったのでしょう)、一般の合唱団に参加するようになりました。もちろん、あくまでも趣味です。

正教会典礼は事実上、アカペラの小さなオラトリオみたいな形態なので、「教会で散々歌っているのに、神父が何でわざわざ教会の外に行って合唱をするのか」と言われたことがあります。しかし、私は聖職者としてであれ聖歌隊員としてであれ、教会で聖歌を奉唱することは、たとえそれがどんなに美しくて魅力的な合唱曲だとしても「祈り」であって、決して「趣味」ではないと考えています。つまり同じ合唱という行為であっても祈りは祈り、趣味は趣味であり、きちんと区別した上でどちらも真剣にやりたいと思っているのです。

 

以前見た統計に、社会人で合唱をしている人の人口比率は首都圏と関西の都市部に極端に集中していることが示されていました。つまり、そういう都会には社会人の合唱団がたくさんあり、より取り見取りの環境だが、地方では逆に大人の合唱団はあまり一般的ではないということです。

実際、人吉に来て、継続的に活動している合唱団がないと知った時は驚きました。

 

それで九州でも本格的に合唱を続けたかった私は、着任して間もなくの2020年1月、福岡の「九響合唱団」のオーディションを受けて入団しました。これはプロオーケストラの九州交響楽団(九響)の付属合唱団です。

練習に通うには福岡まで片道2時間半かかり、高速代もバカにならないのですが、それを惜しんでは合唱ができないのだから仕方ありません。

しかし、そのように苦労して参加したのも束の間、コロナ禍のため出演予定の九響の演奏会が次々と中止になってしまいました。高速代を返せとコロナウイルスに言いたい気持ちです。

ようやく昨年の10月と11月、福岡で九響の演奏会に出演でき、九州に来てから三年かかって舞台上でのリアルな合唱を経験しました。心から嬉しく思いました。

 

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さてその演奏会と同時期、鹿児島教会の信徒から、鹿児島の音大に合唱団があるという話を聞きました。

ネットで調べてみると、それは鹿児島国際大学(単科の音大ではなく、音楽科のある総合大学)の学内の合唱団で、しかも昨年から学外の一般団員も公募していることが分かりました。

ドイツ人声楽家のウーヴェ・ハイルマン氏が指導している「ハイルマン合唱団」という団体です。


ハイルマン合唱団 (@iuk_music) / Twitter

 

学内メインのためか、ネット上で公開情報があまり更新されていなかったので、昨年末に入団の可否についてメールで照会したところ、ハイルマン先生から直接電話がかかってきて、歓迎しますとのことでした。

練習は火曜日ですが、これまで出張や葬儀などの公務が重なったため、昨日ようやく初参加しました。演目はバッハ作曲「マタイ受難曲」です。

 

鹿児島国際大学のキャンパス内の練習場所に来てみると、集まったのは30人ほどで、大部分は音楽科の学生でした。中年の方も若干いましたが、教職員だったようです。学外、それも鹿児島県外から来て、さらに学生諸君の父兄よりも年長であろう私にはもの凄いアウェイ感でした…

練習日程を見ると、昨年末から始めて3月の本番まで10回足らずしかなく、マタイ受難曲のような超大曲なのにどうするのかと思ったら、学内で毎年演奏しているようです。つまり「みんなが歌える曲」ということですね。

ソリストは声楽専攻の学生に割り振られていました。ハイルマン先生の練習内容も合唱に対してよりも、ソリストの学生に対する歌唱指導の方が中心でした。

また合唱団とは別に、オケも器楽専攻の学生と教員で編成されているそうです。

 

どうやらこの団体は趣味のサークルというより、音楽科の教育の一環として運営されているように思われましたが(よって会費も演奏会のチケットノルマもない)、前述のように「本格的に合唱を続けたい」私には願ったりかなったりです。

しかも福岡より鹿児島の方が断然近く、高速代も安く済みます!

 

以上の結果、趣味に関しては今後毎週月曜日にあさぎり町弦楽合奏、火曜日に鹿児島で合唱、水曜日にバイオリンの個人レッスンというスケジュールになりました。九響の方は12月の本番に向けて、夏に練習が再開されるので、それが始まったら福岡に行く機会がさらにプラスされます。

音楽という趣味を続けるには、首都圏に住んでいた時と比べるとだいぶハードルが高いのですが(神父なので本番が日曜日なら辞退することは従来どおり)、仕事と趣味を両立させて充実した日々を過ごしたいと思っています。

冬は永眠者への祈りが増えます

寒波襲来の中で、先週火曜日に人吉ハリストス正教会で葬儀を執り行ったことは既に記しました。

人吉の最低気温は、当初の予報では氷点下7℃などと言われていたので、水道管の破損が心配でしたが、実際のところは毎日氷点下4℃程度で(それでも十分に寒いですが)、雪も大して降らず、大きな問題は起きなくてホッとしました。

むしろ寒波の中心は本州の方だったようで、石川県などでは自治体ぐるみで断水になっているところがあるようです。

人吉もあの大水害の時に半日ほど断水しましたが、水は生活に欠かせないものですから、本当に苦労しました。まして今回のように、何日も水が出ないとなったら、被災地の方たちはさぞ大変だと思います。早く復旧してほしいですね。

 

さてこの週末、一昨日の土曜日は北九州市まで片道3時間かけて、パニヒダを献じるために日帰り出張していました。

故人のA氏は90代の男性で、永眠したのは12月初めです。

大分県のかなり山間部に住んでおられ、信徒でない娘さんたちは皆、結婚して都会に住んでいました。

A氏が亡くなられ、無宗教での葬儀が終わった後で、娘さんの一人で北九州市在住のB子さんから連絡を受けました。

というのは、ご遺族たちはA家が代々の正教徒であったことは知っていても、大分県正教会はなく、またA氏は急に亡くなったため、万一の時はどこの教会の誰に連絡すればいいかもA氏から聞いていなかったのです。そのため、司祭を呼ぶこともできず、かと言ってカトリックプロテスタントなどの他教会に依頼するのもおかしいと考え、やむなく無宗教式の家族葬で執り行ったとの話でした。

B子さんは過去に、京都の神父が巡回で九州に来たことがあるというAさんの話を思い出して、京都ハリストス正教会の電話番号を調べて照会し、さらに京都教会にこちらの連絡先を教えてもらって、ようやく私と連絡が取れたというわけです。

A氏は亡くなる3か月ほど前まで定期的に献金を送金して来られ、またこちらからもA氏の住所あてに会報を毎月送っていましたので、それらのデータを見ればこちらの連絡先もすぐ分かったはずなのですが、娘さんたちは同居していない以上、見る機会もなかったでしょう。

私はネットで「九州 正教会」で検索すれば必ずヒットするように、ウェブサイトもその他のSNSも全て名称を「九州の正教会」で統一しているのですが、これまた自分から検索しない限り、たどり着くことはできません。

 

電話ではB子さんは正教会式での祈祷を望んでいましたが、もう既にお骨になって何日も経っており、今さら埋葬式というのもおかしいので、1月の永眠後40日目に四十日祭パニヒダを正式なお祈りとして献じることとしました。

それでこの度、A氏の遺骨があるB子さん宅に出張したのです。

 

祈祷を挙げることができてB子さんも安心していました。

お墓は田舎の常として、大分県のA氏宅近くの山中にあるとのことでしたので、春になってからB子さんや他のご親戚と空き家になっているA氏宅に集まり、改めてパニヒダを献じて納骨することにしました。

 

さて、昨日は人吉ハリストス正教会で聖体礼儀を執り行いました。

この日は徴税人ザクヘイ(ザアカイ)の回心(ルカ19章)がテーマなので、「ザクヘイの主日」(Zacchaeus Sunday)と呼ばれます。


www.youtube.com

神現祭(1月19日)からはだいぶ日にちが過ぎていますが、人吉に聖水を常備しないわけにはいかないので、聖体礼儀に引き続き大聖水式も執り行いました。

人吉での大聖水式

聖水を聖堂内に散布

引き続き、昨年1月に永眠したOさんに一年祭のパニヒダを献じました。

 

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九州に来て4年目となり、既に何人かの信徒の葬儀も執り行いましたが、偶然とはいえ亡くなったのは半数が1月です。

12月に亡くなった上記のAさんも含めれば、多くの皆さんが亡くなっているのは冬であり、必然的に永眠者祈祷を行う機会も増えているわけです。

これは前任地でも同じでしたし、たぶん教会に限らず、社会共通の現象でしょう。

こちらは信徒が何月に亡くなろうと、やるべきお祈りをきっちりやることには変わりないのですが、冬は健康を害する人、さらに亡くなる人が多いとはっきり分かっている以上、永眠者祈祷を献じる私の側が病気になって祈れなくなったら本末転倒なので、冬場の自分自身の健康管理は万全にしたいと思っています。

 

寒波襲来の中での葬儀

全国的に今日から明後日にかけて、記録的な寒波に見舞われるとニュースで報じています。

もともとこの時期、人吉の最低気温は氷点下2℃前後なのですが、そこからさらに5℃くらい下がるとの予報なので、戦々恐々としていました。

そんな中、日曜日に93歳で永眠した人吉教会信徒のソフィヤさん(仮名)の葬儀を執り行うことになりました。

 

ソフィヤさんは人吉教会のO執事長の義理の叔母にあたる方です。

彼女は相良村内の出身で、村で一番の名士であるO家に嫁いで来られました。十数年前に亡くなられたご主人(現執事長の父の弟)は村でただ一軒の歯科医で、本家が営む病院の隣の自宅で開業していました。

残念ながら二人いた娘さんに先立たれ、ご主人が亡くなった後はO執事長が営む老人ホームで暮らしていました。

 

私はソフィヤさんには着任直後に一回会っただけでしたが、とても信仰に篤い人でした。今から思うと、娘さんに相次いで先立たれるという悲しみを経て、信仰が心の支えだったのかも知れません。

彼女は最後まで認知症などはなく、つい最近、空き家になっている自宅を自分が入居している老人ホームを運営する社会福祉法人に寄付しました。職員の寮にしてもらうためです。

そして、自分が死んだらその旧宅で通夜を挙げ、人吉ハリストス正教会で埋葬式を執り行ってほしいと言い残して永い眠りに就かれたのです。

そのようなわけで、昨日は彼女の旧宅にご遺体を運び、たくさんのイコンが飾られた部屋で通夜としてのパニヒダを執り行いました。

 

今日は埋葬式ということで、妻と朝から人吉の聖堂に行き、ご遺体が到着するまで1時間ほどかけて設営をしました。

床掃除

備品を撤去して棺を置くスペースを確保

ソフィヤさんが到着し、葬儀社の方と一緒に飾り付けをレイアウトしました。

ソフィヤさんが到着

参考までに記すと、正教会の聖堂での葬儀では必ず遺体の足を至聖所の方向に向けて安置するのが決まりです。つまり再び起き上がった(=復活)時は至聖所に向かい合うポーズということになります。

これは、神に祈りを献じているのは永遠の生命に生きている故人自身であり、それを司祷者と参列者が囲んで共に祈るという考えに基づくものです。

 

埋葬式(いわゆる告別式に相当)が始まったのは13時でしたが、午前中に雨から変わった雪はどんどん激しくなり、さらに風も強くなってきました。

人吉教会の敷地の入口は細い坂道になっていて霊柩車は乗り入れられないので、出棺時は棺を抱えたまま公道まで坂道を下りて行きましたが、手がふさがっていて傘は差せませんから、雪が吹き付けて大変でした。

火葬場に着いた時は敷地内に雪が積もっていました。

雪が積もった火葬場の敷地内

しかし、ソフィヤさんのご遺志を実現することができて良かったと思いました。

人吉教会所属の信徒でご葬儀をさせていただいたのはこれで4人目ですが、聖堂で執り行ったのはソフィヤさんが初めてです。正教徒としてあるべきスタイルを全うできたという意味でも良かったと思います。

 

人吉市の火葬場は昭和時代のクラシカルな設備で、お骨になるまで2時間かかります。待合室などもありません。

そのため、棺をいったん炉に入れた後は一時解散となり、2時間後にまた火葬場に戻るのが習わしです。

コロナ禍以前は田舎の習慣として、このような「待ち時間」に酒宴が行われていたようですが、今はそのようなことはできなくなっています。

私は教会に帰って、妻や葬儀社の方たちと後片付けをし、聖堂内をもとの状態に戻しました。

 

最後に聖堂を戸締りする時にやったのは、敷地内の水道の元栓を閉め、聖堂内の蛇口から残った水を出してしまうことです。

水道の元栓をシャットダウン

ちょうど2年前、やはり人吉が寒波に見舞われた時に水道が凍結して壊れ、水が噴き出して大変だった記憶があるからです。

自分たちが住んでいる場所ならすぐ気がつきますが、普段人がいない場所でそうなったら水道代がとんでもないことになります。

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今週末はもともと、人吉で聖体礼儀を予定しているので、それまで断水。備えあれば憂いなしです。

 

帰宅後、さらに風と雪がひどくなり、吹雪のようになっています。

高速道路は午前中の時点で福岡県や大分県で全線通行止めになっていましたが、ついに通行止めの名所(?)である八代―えびの間もストップしてしまいました。

今日の葬儀の喪主は故人の首都圏在住のお孫さん(先だった娘さんの遺児)でしたが、人吉からは空港にも新幹線の駅にも高速道路で山を越えなければ行かれないので、しばらく当地に留め置かれてしまうかも知れません。

しかし、たぶん明日の朝は路面が凍ってスケート場のようになってしまうでしょう。人吉には公共の交通機関がほとんどなく、外出にはマイカーが必須ですが、この調子では喪主様だけでなく、わが家もどこにも行かれないことになりそうです。

 

もちろん今回の寒波は人吉だけでなく、全国共通で及んでいますから、どなた様もどうか今週はご無事でありますようにお祈りします。

鹿児島で神現祭の祈祷

今日は鹿児島ハリストス正教会に巡回し、主の神現祭の祈祷を執り行いました。

神現祭(Epiphany)とは、イエスヨルダン川で洗礼者ヨハネ日本正教会では前駆授洗イオアン)から洗礼を受けたことを記念する祭です。

 

聖体礼儀に引き続き、水を聖水にする大聖水式という祈祷が行われることに特徴があります。

大聖水式

 

神現祭(1月6日。日本正教会のようにユリウス暦使用教会では1月19日)の時は、ロシア正教会では凍った川や池に穴を開けて浸かること、またギリシャなどバルカン半島の教会では寒中水泳が行われるなど、独特の年中行事があります。さすがに日本正教会では、そういう土着の行事はありません。

 

聖体礼儀と大聖水式に引き続き、ルーマニア人信徒のエレナさんのお母様の40日祭パニヒダを執り行いました。

エレナさんは度々このブログでも紹介していますが、鹿児島市在住でルーマニア料理の惣菜店を営んでいる人です。

年末に彼女のお母様が亡くなり、ルーマニアで葬儀が行われましたが、今回は遠く離れた日本で永眠後40日の記憶を行ったものです。

エレナさんが作ったルーマニア風の麦の糖飯が捧げられました。

ルーマニア風の糖飯

 

祈祷が一通り終わって、信徒会館で会計担当執事と打合せをしている時に、人吉教会の執事長から電話がありました。

執事長は医師で、病院と老人ホームを経営していますが、その老人ホームに入居している執事長の叔母様が亡くなったとのことでした。

明日、故人のご自宅で通夜を行い、明後日に人吉ハリストス正教会で埋葬式(いわゆる告別式に相当)を行うことになりました。

1週間前に熊本で聖体礼儀を行った後に船舶成聖で2回出張。この週末に鹿児島で祈祷し、戻ったら通夜と埋葬式と休む暇は全くありませんが、教会は人が生まれてから死ぬまで関わる場所ですから、ある意味当然のお勤めを果たしているわけです。

 

そのようなわけで、明日は故人宅でしっかりとお祈りしてきます。

今日も船舶成聖式

火曜日の瀬戸内海に引き続き、今日も船舶成聖式で出張しました。

火曜日に成聖した「カルロヴァシ」と同一の船会社の依頼により、セットで引き受けたものです。

 

なぜかこのところ船舶成聖の依頼が立て続けにあり、この半年でもう5回目です。

半年で葬儀が5件ある教会は珍しくないですが、船舶成聖の依頼は少ないかも知れません。

 

場所は熊本県長洲町のジャパン・マリン・ユナイテッド(JMU有明事業所。

この半年の船舶成聖5件のうち、3件が同じ事業所です。

担当の人々とすっかり顔なじみになってしまいました。

 

10時半に現地に到着して、勝手知った乗船用エレベーターで新船「オリンパス」に乗船。ブリッジ(操舵室)に上がって成聖式の設営をしました。

JMU有明事業所の景色

新船「オリンパス」の甲板

成聖式の設営

11時に来賓たちが到着し、岸壁で「命名式」が行われました。

命名式。風船が飛ばされている。

命名式が終わると来賓たちが船に上がってくるのが見えます。

来賓たちの乗船

当然ながら、火曜日の成聖式と同じ来賓ですので、3日ぶりの再会です。

 

一通り祈祷が終わり、機器類に聖水をかけて成聖した後、オーナーの関係者が船の汽笛を3回鳴らすのがお決まりの「セレモニー」です。理由は知らないのですが、これは女性の役目と決まっています。

オーナーの親族の女性が汽笛を鳴らす

 

来賓たちが帰るのを見送って、私も正午に下船してJMUを後にしました。

 

さて、今日のように熊本県北部に出張し、時間がある時によく立ち寄るのが和水町の酒蔵「花の香酒造」です。JMUからは車で40分くらいです。

花の香酒造(熊本県和水町

この酒蔵は2019年秋の着任直後、当時のNHK大河ドラマの主人公で日本マラソンの父・金栗四三の生家を見学に行った時、近くにあったことで初めて知りました。

生産量が少なく、そのため置いている飲食店も少ないので、九州の外ではあまり知られていないのですが、ここのお酒を買って飲んでみたらとても美味しかったので、すっかり気に入りました。私の評価としては、熊本県産の酒で一番美味しいと思います。

さらにこの蔵は地元・和水町での酒米栽培から手掛けていて、地産地消にもこだわっています。酒の味に加えて、そういうオリジナルな酒造りへのこだわりも私の気に入っているところです。

しかし、ここの酒を取り扱っている酒店は少ないので、私は祈祷の機会を見て、直接酒蔵まで買いに来ているのです。

 

今日は2022BY(醸造年度)の新酒を買って、人吉に戻りました。

出張の時は、その土地のいろいろなものを見学してくるようにしていますが、美味しいものとの出会いも楽しみであり、それがやりがいにもなっています。

瀬戸内海の離島で船舶成聖式

今日はいよいよギリシャの新造船の成聖式です。

 

朝8時に、因島のホテルのすぐそばの桟橋からフェリーに乗船。

車やバイクに乗ったまま乗船し、対岸の生名島に到着すると反対側から自走して降りる仕組みです。

乗船時間は3分ほど。船というより移動式の橋と言った方がよい造りです。

フェリーが桟橋に到着

対岸に向けて航行中


生名島から走って橋を渡り、岩城島へ。

目的地の造船所「岩城造船」に着きました。

岩城造船にて。中央奥の船が成聖の対象。

 

ギリシャから来日している船主たちがチャーター船で到着。彼らと共にゴンドラで吊り上げられて甲板へ。空中から見える海と島々の景色がとにかく綺麗です!

ゴンドラで乗船。空中からの眺め


岩城造船の担当者の案内でブリッジ(操舵室)に行き、祈祷の設営をしました。

成聖式の設営


甲板上では「命名式」というセレモニーが行われています。ちなみに新船の名は「カルロヴァシ」です。

甲板上での命名

 

命名式が終わり、来賓たちがブリッジに上がって来るのを待って、成聖式を開始。

船舶成聖式の祈祷文は全て日本語ですが、正教会式で行う場合、依頼主である主賓はほぼ例外なくギリシャ人なので、「主の祈り」や「光栄讃詞」など、ギリシャ語の祈祷文を知っている個所はギリシャ語で唱えるようにしています。文字通りの顧客サービス(英語で礼拝は「サービス」)です。

 

15分ほどで成聖式を終えて、来賓と共に再びゴンドラに乗って下船。

空中から見る新船のブリッジ

来賓たちを見送って、私もレンタカーで岩城造船を後にしました。

昨日は天気予報が外れ、芸予諸島は激しい雨だったので、今日も雨だったらどうしようと思いましたが(事故防止のため、規則で傘を差して船に乗ることはできない)、実に良い天気で一安心でした。

 

今回は初体験の離島(本土は目と鼻の先ですが)での祈祷で、一泊二日の瀬戸内海の旅を楽しみました。

岩城造船の担当者によれば、岩城島は島全体が桜の名所とのこと。桜の時期にまた祈祷の依頼が来ないかなと、今から期待しています(笑)。