昨日は大分県宇佐市に出張し、12月に永眠したA氏の納骨を行いました。
宇佐市といっても市街ではなく、景勝地の耶馬渓に近い山奥でした。
A氏の永眠後、自宅は空き家になっているのですが、お墓は自宅の敷地内にあるとのことで、ご遺族と話し合った結果、ご自宅を開けて親戚に集まってもらい、パニヒダを行って納骨するということになりました。
親戚といっても、北九州市などに在住の娘さんたちとその家族しかいないのですが…遠くから出てきてもらうという意味では私と同じです。
A邸の住所をカーナビに入力して行ったのですが、細くて急な山道をひたすら走り続けることになり、もし住所が違っていて迷子になったらとんでもないことになりそうだと不安になりました。
人吉から4時間かかってようやくたどり着いたA邸は、周囲に人家がほとんどない場所でした。ただ、景色だけはとても綺麗でした。
A氏は周囲に店屋も病院も何もないこの山中で、93歳で亡くなるまで先祖代々の家を守って暮らしていたのです。
パニヒダを執り行った座敷には、明治時代のイコンがたくさん飾ってありました。
それにしても、この集落はもとより、大分県内にすら昔から教会はなく、明治期から続く正教会の信徒も大分県下ではA家一軒だけしかないので、どうして信徒になったのか不思議に思って、ご遺族に尋ねてみました。
本当はA氏本人に直接聞ければ一番良かったのですが、私の着任直後にコロナ禍となり、家庭訪問が全くできない状況になってしまったため、生前のA氏には一度も会わずじまいになってしまったのです。
ご遺族の話によれば、故人の祖父が明治期に「どこかに行って」(それが東京なのか大阪なのか、それとも他の都市なのか全く不明)正教会を知り、そこで洗礼を受けたとのことでした。
そのまま郷里に戻り、教会に通う経験のないまま(古いイコンなどがあるということは、司祭が訪問することはあったと思われますが)、百数十年間にわたって代々信仰を継承してきたわけです。
故人自身も大変信仰に篤く、亡くなる半年くらい前まで九州管区の郵振口座に定額献金を毎月欠かさず送金してきていました。振込み手続きをしていた郵便局の前も車で通りましたが、A邸からは到底歩いて行けない距離でした。
このようなA氏本人と先祖たちの信仰への徹底的な熱心さには、何だか長崎の潜伏キリシタンを思わせるものがあり、大変印象的な一日となりました。
ただ山道を含めて片道4時間、往復8時間で600㎞近い距離を一日で走破したので、夜に帰宅した時はヘトヘトになっていましたが…
今朝は7時半に家を出て、鹿児島ハリストス正教会に巡回しました。
鹿児島教会の境内には、四季折々に花が咲くように、いろいろな植物が植えてあります。今はアジサイが綺麗です。
今日は米国人信徒のアーロン兄が、ガイアナ出身者の一家(正教徒でなくプロテスタント)を連れてきてくれました。ガイアナが南米の国であることは知っていましたが、そこから来た人と会うのは初めてです。
ご主人は日本企業、奥さんは保育園で英語講師をしていて、連れて来た小学生の息子さんは鹿児島市内の小学校に通っています。全員、日本語が堪能で驚きました。
彼らゲストたちを交えて昼食の後、役員会で決算と信徒総会の日程の打合せ。
それが終わって帰宅する時は、天気が良かったので、鹿児島市から姶良まで桜島を見ながら海岸線をドライブしました。
二日間のトータルで700㎞超えのロングドライブで、体力的にはきついものがありましたが、故人も含めていろいろな出会いがあり、充実した週末でした。