九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。2019年から九州全域を担当しています。

歴史

松山ロシア兵墓地での祈り 死者に敵も味方もない

11月4日(月)、愛媛県の松山に出張しました。 市内の松山ロシア兵墓地でのパニヒダ(慰霊の祈祷)に陪祷するためです。 日露戦争中、日本各地にロシア軍捕虜の収容所が造られましたが、その中で最大規模だったのが松山捕虜収容所です。 延べ6千人の捕虜が松…

宣教って何なのか ド・ロ神父の生涯に考えさせられる

台風21号の接近で、福岡は昨日から大雨に見舞われています。 特に今日の未明は滝のような雨で、4年前の人吉の大水害の時とそっくりの雨音のせいで眠れませんでした。 雨はようやく昼頃に止みましたが、24時間雨量は200ミリを大きく超えました。11月としては…

九州大学と第九

九州、とりわけ私が住んでいる福岡では、地元の旧帝大である九州大学が、文字通り地元の最高学府として絶大なステイタスを持っています。 9月16日(月)、その九州大学の「第九日本人初演100周年記念事業」として、九大フィルハーモニー・オーケストラによる…

九州の正教会の歴史遺産を守る

本日、3月11日は2011年に東日本大震災が発生した日です。日本正教会は宮城・岩手両県に最も多くの教会が集中しており、現地の信徒が9名犠牲になったほか、多くの教会堂が被災しました。 特に町の大半が津波と火災で壊滅的な打撃を受けた岩手県山田町では、…

「海道東征」演奏を振り返って

今週の月曜日、アクロス福岡で九州交響楽団による「海道東征」の演奏会に合唱で出演しました。 海道東征とは、古事記と日本書紀の神武東征の記述をもとに北原白秋が詩を書き、それに信時潔(「海ゆかば」や「慶應義塾塾歌」の作曲者として有名)が曲をつけた…

榎本武揚 ニコライ大主教との接点

本日、10月26日は旧幕臣・榎本武揚(1836-1908)の命日です。 榎本武揚(1868年) 榎本は戊辰戦争の最終決戦である箱館戦争で、旧幕府軍の最高指導者だったにもかかわらず、生き延びて明治新政府で活躍し、後に大臣も歴任するという極めて珍しい経歴の持ち主…

秋分の日 奥球磨の文化財を探訪

昨夜は「多良木町交流館石倉」にコンサートを聴きに行きました。 この「石倉」は昭和10年に多良木農業会(現在のJAの前身)が米倉庫として建てたもので、国の有形文化財に指定されています。 都会ならともかく、交通の不便な奥球磨の多良木町に、このような…

五島の旅の振り返り ②五島のキリシタン迫害は政治問題以上に差別問題

一昨日の日曜日は福岡に巡回。信徒総会で福岡に新教会を造る構想と、そのための方策について説明し、信徒たちの賛同を得ました。 現在福岡伝道所として使用している建物は、福岡空港の近くで競売にかけられていた90㎡ほどの畑をある人が買い取り、そこに2010…

ニコライ堂に出張

先週末にニコライ堂で開催された全国公会に出席するため、東京に出張しています。 9日(土)の昼、ニコライ堂に到着。 教団役員を除く代議員数は50人ですが、うち37人が出席。過去2年間はコロナ禍のため、事実上の専従職員会議のような状態でしたが、今回は…

長崎にて 原爆とキリシタンの苦難をしのぶ

26日(火)から二泊三日で長崎に行っていました。復活祭後の廻家祈祷(信徒訪問)に合わせて、現地で原爆の遺構を見て来ようと思ったからです。 26日の九州は終日、まるで台風のような大雨と強風でした。 そのため、熊本から島原へ行くフェリーが欠航になっ…

奥球磨の桜と歴史を探訪

数日前、地元で桜が開花しましたが、たちまち見頃になりました。 天気予報で明日の南九州は大荒れの悪天候になると言っていましたので、散ってしまう前に今年の桜を見ておこうと思い、水上村の市房ダムまで行ってみました。 ここのダム湖畔には約1万本の桜が…

熊本へ巡回 田原坂で西南戦争について思う

先週末は熊本に巡回しました。 熊本ハリストス正教会は約140年の歴史がありますが、いまは所属信徒が3世帯まで減ってしまい、細々とやっています。 大斎の装飾用の黒い布も調達できないので、人吉から持参して祈祷の間だけ祭壇にかけています。 熊本ハリスト…

東日本とウクライナ 理不尽に命を奪われた人々への祈り

昨日、3月10日は1945年の東京大空襲で、10万人を超える東京都民が亡くなった日です。 太平洋戦争は1937年の日中開戦、つまり日本の中国への軍事侵攻が発端ですが、為政者が始めた戦争に多くの一般市民は責任がありません。よって彼らが攻撃対象とされ、いく…

ウクライナと全世界の戦禍に苦しむ人のための祈り 毎週続けます

ウクライナへのロシア軍の侵攻が始まって2週目に入りました。 先週末の鹿児島巡回では、戦争で理不尽に生命を奪われたウクライナ市民のために永眠者祈祷(死者の連祷)を献じました。 しかし、戦闘は拡大の一途であり、国外に逃れた人々が既に100万人を超え…

ミケランジェロとルターとバチカン

本日、2月18日はミケランジェロ(1475-1564)とマルティン・ルター(1483-1546)の永眠日です。 二人の没年は違いますが、16世紀の西欧史の二人の巨人のいわゆる命日が同日ということに、何だか不思議な繋がりを感じています。 二人は当然、面識はないのです…

2月15日はセルビアの日

本日、2月15日はユリウス暦の2月2日であり、日本正教会では「主の迎接祭」(スレテーニエ)という大祭にあたります。 この祭日は降誕祭から40日目であり、お生まれになったイエスが律法に従い、両親に連れられてエルサレムの神殿に詣でた出来事(ルカ2:22-38…

キリスト教で11月は死者の月?

今日は唐津くんちが2年ぶりに開催されるということで、人吉から片道3時間かけて見に行くつもりでいました。 7月に唐津を訪ねて曳山展示場を見学して、これが実際に祭で街をパレードするところをぜひ見たいと思っていたからです。 frgregory.hatenablog.com …

日本古代史の地・宗像を探訪

先々週の福岡巡回の前に、わが国の古代文化の地の一つである宗像(むなかた)を訪ねました。 宗像を支配した豪族・宗像氏は、弥生時代から続く「海人族」の長です。彼らは玄界灘の海運と漁業を古代から支配してきました。 また、宗像氏は日本最古の神社の一…

山鹿のレトロな魅力 ①八千代座

くまもと復興国際音楽祭の演奏会を聴きに山鹿に行きましたが、この山鹿は明治時代にタイムスリップしたような、レトロな魅力満載の街ですので、複数に分けてご紹介します。 山鹿は今でこそ鉄道の通っていない、熊本県北の田舎町ですが、古くは菊池川の水運を…

トルストイの「破門」とは何だったのか

今日は私たち夫婦の結婚記念日です。 もっとも、妻は昨日が二回目のコロナワクチン接種だったので、副反応を考慮してお祝いはささやかながら先週末にしました。肝心の副反応は現時点で全くないのですが(笑)。 さて9月9日はロシアの文豪・トルストイの誕生…

エルサレムの神殿 ユダヤ人の信仰のアイデンティティ

本日、9月7日は西暦70年、ユダヤ戦争においてローマ軍がエルサレムを占領した日です。 西暦66年、ローマ帝国のユダヤ属州総督がエルサレムの神殿の宝物を略奪したことをきっかけに、ユダヤ人による反ローマ暴動が発生しました。エルサレムの神殿は当時のユダ…

福岡歴史探訪 筥崎宮と香椎宮

この週末は福岡伝道所に巡回していました。 福岡県内は緊急事態宣言中であり、祈祷するかどうか迷いもありましたが、これまで書いてきたように飛沫感染防止、具体的には室内の換気と参祷者の沈黙の徹底をすることで聖体礼儀を執り行いました。感染に不安のあ…

日本軍国主義の殉教者 セルギイ府主教

8月10日は、日本正教会の第二代首座主教・セルギイ府主教が永眠した日です。 セルギイ府主教(1871-1945) セルギイ師は1871年、ロシア北部の古都ノブゴロドで生まれました。ノブゴロドの神学校を経て、サンクトペテルブルクの神学アカデミア(大学院に相当…

西陣織の世界 日本の織物の歴史を学ぶ

台風9号の九州上陸と鹿児島・宮崎両県の通過で、人吉でも今日の未明は家が吹き飛びそうな暴風雨で、ほとんど眠れませんでした。 しかし、夜が明けるととすっかり良い天気になり、朝9時に避難指示も解除になったので、ひとまず安心しました。 長崎原爆犠牲者…

太宰府で文化財探訪の博物館めぐり

週末の福岡巡回に合わせて、土曜日に太宰府に行ってきました。九州国立博物館の特別展「皇室の名宝」を見るためです。 九州国立博物館 わが国の歴史において、公家や大名、有力寺社などから朝廷に多くの宝物が献上されてきました。また戦前は、明治23年に宮…

天草と三角西港へ 知られざる歴史を勉強

昨日は宇城市の三角西港で、ラフカディオ・ハーンについての講演会に出かけました。 私は高校時代、ハーンに傾倒していてほぼ全ての作品を原書で読みました。 九州に転勤して、彼が五高の教授時代に住んでいた家が「小泉八雲熊本旧居」として現存していると…

唐津歴史紀行

7月2日の昼に伊万里市内で信徒訪問を済ませ、九州の歴史ある城下町である唐津に向かいました。 唐津は長く松浦党の波多氏の所領でしたが秀吉に滅ぼされ、1594年に秀吉の腹心の寺沢広高の所領となりました。広高は朝鮮出兵で、名護屋城の普請やマネジメントを…

平戸歴史紀行

巡回を兼ねて昨日まで、三泊四日で出かけていました。 以前から平戸を見たかったので、7月1日に一泊して回りました。 平戸は1550年にフランシスコ・ザビエルが来航した地。領主の松浦隆信から布教の許可を得て、翌年には教会が誕生し、多くの人々がカトリッ…

日本人初の正教会司祭・澤邊琢磨 キリストに仕えたサムライ

月に一度の鹿児島教会巡回では、聖体礼儀に引き続いてその月に永眠した信徒のためにリティヤ(短い永眠者祈祷)を献じています。 この間の日曜日は6月の永眠者として、1913年6月25日に永眠した長司祭パウェル澤邊琢磨師も記憶されました。 澤邊琢磨師(1834-…

初代京都の主教 聖アンドロニク

昨日、6月20日は「神品致命者・ペルミの大主教聖アンドロニク」の祭日(記念日)でした。 彼は最初の京都主教であり、わが西日本教区では、主教座である京都ハリストス正教会の聖堂建立100周年にあたる2003年に、日本語で「初代京都の主教」という文言を入れ…