九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

今年もあと8時間 新しい年こそ平和の実現を!

今年もあと8時間を切りました。

 

この間の日曜日に人吉ハリストス正教会で降誕祭の聖体礼儀を終えてから、この1週間でやり残した仕事を猛スピードで片付けています。

さすがに年賀状などは教会関係者あてであれ、友人あてであれ、遅く着くのは失礼だと思っているので先週のうちに全部出しましたが、2月に講話した西日本教区主催の講演会「冬季セミナー」の講演録がまだできていませんでした。

自分が話した原稿をもとに、画像や資料の追加など、自分で講演録に編集して事務局に提出し、先方に校正と製本をしてもらうのですが、自教会の用事ばかり優先して延ばし延ばしにしていたのです。

2月に行った教区講演会の講演録を作成

字数で2万字ほどなのですが、28日(水)に提出できて、安心しました。

前倒しで書いていれば何でもなかったのですが、小学生時代の2学期の始業式直前と何も変わっていないので、我ながらつくづく成長していないと苦笑するばかりです。

 

昨日は司祭館の大掃除をして、妻が玄関に正月の飾り付けをしました。

司祭館の玄関の飾り付け

扇は能楽師だった妻の祖父が生前、仕舞を演じる時に使っていたものです。

また、左端のマンリョウは人吉教会の庭に植わっているものを切ってきて、球磨焼酎のお洒落な空き瓶に差しました。

正月気分が高まりました!

 

さて2022年を振り返ると、何といってもロシアのウクライナ侵攻という悲劇が起きたことで、忘れることができない年となりました。

ロシアもウクライナも一応は多民族・多宗教国家ではありますが、実際はキリスト教正教会アイデンティティの中心にあることは間違いありません。その正教徒が正教徒を侵略するという、文字通り神をも畏れぬ暴挙に、同じ正教徒である私は怒りと悲しみに今も満ち溢れています。

 

ちょうど今朝、NHKで2019年に放映された「世界ふれあい街歩き ウクライナキエフ」が再放送されたので視聴しました。

 

2014年のクリミア半島併合以降、東部ドネツク州で軍事衝突が続いていた時期とはいえ、キエフの街並みも市民の姿も平和そのものの印象でした。

キエフは10世紀末、キエフ=ルーシ大公国の都として、ルーシの正教会の発祥の地であり、市内の美しい修道院も紹介されていました。

特に番組では、ドネツク州の戦闘から帰還した兵士の社会復帰のために開店したピザ屋が紹介されていたのが印象的でした。その店では子ども向けのピザ作り教室が行われていて、元兵士たちが講師となって子どもたちと楽しく触れ合い、戦場で傷ついた心の平安を取り戻す試みが行われていました。

 

しかし番組の最後に、その時に放映された場所と番組に登場した市民はいま現在どうなったかが紹介されました。

露天市が並んでいた市内には捕獲したロシアの戦車の残骸が並べられ、番組に出てきた男性市民の多くは出征しました。

紹介された修道院では、毎日戦死者の埋葬式(葬儀)が行われています。

特に、上記のピザ屋のスタッフたちは全員再出征し、店長は戦死したそうです。

 

つい3年前のキエフの平和な街並みの姿とのギャップがあまりにもショッキングで、胸が塞がる思いで一杯になり、のんびり大晦日を送れるような気持ちではいられなくなってしまいました。

 

ロシア政府は今も「ウクライナをナチズムから解放する」「アメリカが挑発したことに原因がある」という主張を繰り返しています。

しかし、それは反体制運動など、ロシア国内で完結する内政問題について言っているならまだしも、ウクライナという「独立した主権国家」に軍事侵攻する理由には、どう考えてもなりません。(アメリカが国際社会で常に正義の味方とは全く思いませんが、少なくともアメリカはロシアを侵略してはいません)

まして、百歩譲って本当にウクライナの人々を解放したいというなら、平和な街並みと生活に必要なインフラ設備を「わざわざ狙って」破壊し、戦闘員だけでなく無辜の市民まで殺害するのは矛盾以外の何ものでもないと思いますが。

ロシア国民はもとより、戦争当事国でない日本人でさえも(そして正教会の信徒でさえも!)、ロシア政府の主張を鵜呑みにしてネット上で流している人がたくさんいます。もちろん言論の自由は保障されるべきですから、主張すること自体は結構なのですが、上記で指摘している矛盾について納得できる説明をしている人を一人も見たことがありません。

 

神がこの世を創り、人間にいのちを与えたというのは、キリスト教信仰の根本的な理解です。つまり、神から全ての人がいのちを授かっていると信じる以上、どんな人間のいのちでも軽んじることはできず、死んで良い人などこの世にいるはずがないのです。

つまりキリスト教徒を自認するなら、自分から進んで戦争を起こし、あるいは戦争を擁護することなど絶対にできないはずです。神に背いたと自ら宣言するのと同じだからです。

よってわが国で保障されている「言論の自由」に則って、私個人の意見を言わせてもらうなら、ロシア政府の戦争を正当化する主張を鵜呑みにする者は、論理的な思考に欠けた愚か者であり、キリスト者、なかんずく正教徒でありながら侵略戦争を擁護する者は、罪深い背教者としか言いようがありません。

 

しかし、私は戦争に反対する以上、ウクライナ軍の勝利によるロシア兵の戦死を祈願することも勿論できません。

これから迎える新年に、平和を願う人々(ロシア国内にも多くいると思われます)の思いが神に届けられて、戦争の終結が実現できることを祈っています。

そして、この九州に逃れてきているウクライナの避難民のために、できることをこれからも続けていきたいと思います。

 

皆様、どうぞ良いお年を。

そして、平和が実現しますように。

人吉で降誕祭

昨日は人吉ハリストス正教会で降誕祭の聖体礼儀を行いました。日本正教会の降誕祭は1月7日ですが、私は一人で4教会を兼務している関係上、ローテーションで人吉の降誕祭は毎年「12月の第四日曜日」に行っています。今年はたまたま12月の第四日曜日が25日だったので、人吉では西方教会と同日にクリスマスとなりました。

降誕祭聖体礼儀(説教)


www.youtube.com

 

雪でどうなることかと心配しましたが、土曜日の時点で教会の境内に積雪は全くなく、何の支障もなしに祈祷を行うことができました。神に感謝です。

高速道路の通行止めも昨日朝にようやく解除され、えびの市(宮崎県)から通っている人も参祷できました。

ただ、一家で保育園を経営しているO家は、保育園でのクリスマスイベントと重なって全員欠席でした。親子3代8人の大家族なので、トータルの参祷者数が見込みより大幅に変わってしまいました。それだけ人吉は小規模な教会ということですが…

 

昨年末はコロナが収束していたので、購入した弁当を参祷者に配り、祈祷後に会食できましたが、今はまた一層感染拡大しているので、弁当は参祷者に持ち帰ってもらい、祈祷後の会食はしませんでした。一昨年末と同じ対応です。

熊本県では連日4千人台の感染者が出ており、人口当たりの新規感染者数が全国トップクラスの状況。人口3万人しかいない人吉市でも、毎日数百人の感染者が出ています。県の当局はかなり危機感を持っています。

せっかくのクリスマスなのに残念ですが、教会として感染拡大防止を進めるためには仕方ありません。

 

滞りなく祈祷を終え、午後は毎週通っているバイオリン教室のクリスマスイベント兼保護者会へ。

私は2月から、40年ぶりにバイオリンを再開したと以前投稿しました。子どもが中心のバイオリン教室なのですが、シニア世代の生徒も数人だけいます。つまり、会場には多くの大人たちがいましたが、私は保護者のお爺ちゃんではなく、生徒の側だったということです。

もっともシニア生徒の中で男性は私一人だけなのですが。

 

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シニア組も合奏を披露。私は第二バイオリンです。

バイオリンの合奏

祈祷もプライベートも、充実したクリスマスの一日でした。

北御門二郎氏の著書が寄贈されました

昨日は京都ハリストス正教会で、朝10時から宣教献金(教区あての献金)の案内の発送作業。

西日本教区の位置づけは、愛知県以西の教会を取りまとめる事務局であって、それ自体は法人でも単独の教会でもありませんから、行事の開催費用のほか、通信費や印刷費、交通費などの事務局の運営資金は各地の個々の信徒から自発的に献金していただく以外に確保できません。

そのようなわけで、毎年11月に西日本の各教会の信徒宛てに案内を送って献金のお願いをしています。

西日本教区「宣教献金」の案内

作業の後、13時から16時までは教職者会議。

教区の行事関係の運営打合せが主なのですが、福岡での新教会設立についても私個人の仕事ではなく、教区としてのプロジェクトとして推進することで各司祭の意見統一ができました。

福岡で新規に土地を取得して聖堂を建てるには、初期費用だけでも数千万円が必要であり、一けたの世帯数しかない今の福岡の信徒の献金だけでは何年たっても実現できません。教区ぐるみ、さらには教区事務局を通して教団本体を含めた協力体制を構築できないと無理なので、そのための裏付けができたことは前進です。

 

会議とは全く関係ありませんが、京都の聖堂は国の重要文化財に指定されたこともあり、ちょうど今行われている京都市文化財保存協会主催の「京都非公開文化財特別公開」の対象になっていました。

朝からひっきりなしに見学客が訪れ、会議中も問い合わせの電話が鳴りっぱなしでした。

特別公開中の京都ハリストス正教会

また、京都の豆菓子メーカーの「豆政」が、商品のパッケージに京都ハリストス正教会の外観のイラストを載せています。それを会議の時に土産にいただきました。

もうすっかり、京都の有名寺院と肩を並べている感があります。

豆政の商品

 

こうして京都出張を終えて、昨夜遅くに人吉に帰着しました。

 

今日は人吉ハリストス正教会宇城市在住のKさんが来訪。

Kさんのお母様(故人)は教師で、水上村の学校に勤めていた時に地元の著名なトルストイ翻訳家・北御門二郎氏(1913-2004)と知り合い、以後親交があったとのことです。

北御門家は人吉ハリストス正教会を支えてきた信徒家庭の一つで、もちろん二郎氏も信徒です。昨年ブログで紹介しましたが、とても数奇な生涯を送った人物です。

 

frgregory.hatenablog.com

 

Kさんによれば、北御門氏は人吉教会で祈祷がある時は、住んでいた山奥の水上村から人吉まで出てきて、Kさんの母上ら、何人かの文学愛好者たちと定期的に会食していたそうです。

そのような経緯で、Kさんの母上も北御門氏本人から贈られたものを含めて、彼の著作の多くを収集していましたが、それを今回、人吉ハリストス正教会にご寄贈いただくことになったのです。

本だけでなく、北御門氏に関連する新聞記事や講演の録音なども含まれていました。貴重な資料です。

寄贈された北御門二郎氏の著作

わが人吉教会は京都と違って、訪ねて来る人は(信者を含めて!)ほとんどいません。今日Kさんに同行してきた親戚の方は、住所を見たら教会のすぐ近所だったのですが、教会の存在を全く知りませんでした…

ですので、こういう貴重なものを教会の蔵書としても、見る人がいなければ勿体ないとは思うのですが、わが人吉教会が輩出した数少ない文学者の遺産ということで、大切にしていきたいと思います。

水害から2年 昨日と今日

いま住んでいる人吉の司祭館の庭木が伸びすぎて、近所から苦情になってしまいましたので、今日はシルバー人材センターの方たちに剪定作業をしてもらいました。
しばらく手を加えなくても良いように、思い切り短くしてもらったので、日当たりも良くなって気分爽快です。

植木の剪定の作業前(上)と作業後(下)

前回やってもらったのは2年前の6月。着任したのはその前年の秋だったので、枝の葉は枯れかけていて気にならなかったのですが、年が明けて春から初夏になると、あまりにも庭木の荒れ具合が気になり、作業を発注しました。

それから1か月も経たないうちに人吉は大水害に襲われました。

作業前の森のように伸びた木々を見ていると、あの災害からいつの間にか年月が過ぎてしまったことに気づかされました。

 

さて、昨日は市中心部の高野寺にピアノ演奏を聴きに行きました。

 

高野寺の向かいの青井阿蘇神社は大水害の時、国宝の社殿が水没して大変な被害を受けました。

この辺りは被害が最も酷い地区で、神社の前の蓮池にも道路から車が何台も流れ込んで見るも無残な状態でした。

しかし、今は池の蓮も生き返り、破損した文化財の禊橋(みそぎばし)の修復もようやく始まって、復興に向けて少しずつ進んでいるようです。

青井阿蘇神社の前の池

高野寺も4m以上水没したそうで、本堂以外の庫裏などの建物は全て取り壊されてしまい、プレハブの仮設寺務所などがある以外、境内は閑散としています。

高野寺の境内

このお寺では住職の奥様がピアノ教室を開いています。

住職によれば水害前、グランドピアノ2台、アップライトピアノ2台、電子ピアノ1台があったそうですが、全て被災しました。

開演の挨拶の時、大切にしていたピアノが瓦礫として重機で取り出された時の思い出を語る住職の声は、涙で震えていました。

その後、支援者からグランドピアノが寄贈され、ピアノ教室を再開できたそうです。

 

今回は人吉市のタウン誌「どぅぎゃん」(私も定期購読しています)の主催で、無料のミニコンサートが開かれたものです。

来聴したのは大人だけでなく、ここでピアノを習っている子どもたちが何人も来ました。

人吉教会の執事長の幼いお孫さん3人も来ていて驚きましたが、ここの生徒だとのこと。相良村からわざわざ通って来るとは、高野寺のピアノ教室はなかなか評判が良いようです。

 

演奏者は人吉生まれで、現在ポーランドで活躍しているピアニストの有島京さんです。

ショパンの小品を何曲か、披露してくれました。

演奏はピアノが置いてある仮設集会所で行われ、ピアノ教室の生徒以外のわれわれ聴衆は外で聴くという趣向です。

ピアノ教室が行われている境内の仮設集会所

演奏者の有島京さん

有島さんは一昨年冬、コロナでポーランドを離れて人吉に戻っていた時に、人吉労音主催のコンサートで演奏したのを聴きに行きました。その時も災害復興祈念だったように記憶しています。

 

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有島さんによれば、現在ポーランドにはウクライナの人々がたくさん避難してきており、支援のためのコンサートで頻繁に演奏しているとのこと。偶然とはいえ、いろいろな形、いろいろな場所で復興支援に携わられています。

 

青井阿蘇神社のように復興が見える形で進んできたところもあれば、高野寺のように水害から2,年経っても、まだ先が長いところもあります。

私も人吉であと何年生活することになるか分かりませんが、復興への歩みを見届けながら、できるお手伝いをしていきたいと思っています。

広報部員(?)に徹した一週間 教会報と教区報について

今週は教会報の作成と発送、教区報の編集作業で、ずっとデスクの前に座りっぱなしの一週間でした。ネットを眺めたり、まして投稿して暇つぶしなんか到底無理でした。

 

日本正教会では司祭が常駐している地方教会ならどこでも、毎月一回(教会によっては二か月に一回)、広報物として教会報を出しています。他教派の週報のようなスタイルを取っている教会は、私の知る限りではありません。

私自身は、印刷物としての週報を作成していたら、それにかかりっきりになってしまうので、小さな出来事やお知らせはSNSの自教会アカウントに適宜アップするのが良いと思っており、実際そうしています。

 

各教会で教会報を交換し合っているのですが、教会報にはその教会、というかその管轄司祭のカラーが出ていて面白いです。

神父が神学に造詣が深く、いつも何ページにもわたって長文の神学的な文章を掲載している教会報も多いです。私には勉強になってとても良いのですが、そこの信者さんたちはちゃんと読んでいるのかな、読んでついて行けるのかなと心配になったりします。自分のレベルで物を決めつけてはいけないのですが…

私自身がそこで信者となり、かつ後に管轄司祭でもあった前任教会では、以前の管轄司祭(故人)が「教会報は信者から読まれなければ意味がない。信者にとって必要な情報を簡潔に掲載すべき」という考えで、毎月の教会報も本文4ページ(一枚の紙の裏表)プラス日程表1枚にまとめられていました。

私も当時の一信徒として、また司祭としても全く同じ考えなので、自分がその教会を管轄するにあたり、教会報も神学的メッセージ、お知らせ事項、教会内外の出来事の振り返りを4ページ以内に収まるように編集して、発行していました。

前任者と唯一スタイルが違うのは、おそらくコストの節約のために全て白黒印刷だったものを、カラー印刷に切り替えたことです。正教会は聖堂も祭服も色とりどりで、ビジュアル的に「見て美しい教会」なのであり、教会報を読む側の気持ちとしても、カラーで印刷されている方が快く感じると思ったからです。これは現教会でも全く同じで、やはり教会報を白黒コピーで印刷していましたが、私が着任した第一号からカラーに切り替えて、今に至っています。

なお、前任教会は信徒数が多かったので、教会報の印刷と発送は信徒が奉仕してくれましたが、今は全て私個人の手作業です。

 

8月号は先々週の全国公会の報告記事に加え、祈祷中の熱中症対策や再拡大しているコロナ感染への注意喚起なども加えて、平日である昨日のうちに、人吉郵便局から発送することができました。

封筒詰めされた教会報

 

さて、私が所属する西日本教区では年に二回、教区報「西日本正教」を発行しています。16ページないし20ページの小冊子です。

教区報「西日本正教」(前回号)

 

編集(印刷の手配まで含む)担当は教区内の司祭の当番制で、持ち回りで順番が回ってくるのですが、今回の「2022年夏号」は私が当番となりました。

8月末に信徒宛てに発送しなくてはならないので、そこから逆算すると印刷の手配は印刷業者がお盆休みに入る前の8月上旬、さらに当番以外の各司祭による校正の時間を考えると遅くとも7月末には初校を上げる必要があります。

そのようなわけで、6月の末には全体の構成を考えて、各司祭に書いてもらいたい原稿のテーマを提示。今週の締切りまでに続々と上がって来た原稿と写真を、レイアウトを考えながら編集しました。

広報物は原稿が集まらなくて苦労するとよく聞きますが、わが教区は健筆家の人が多くて(皮肉ではなく嬉しい悲鳴という意味)、原稿集めには困りません。むしろ、全文載せたら紙数がオーバーしてしまうので、どう編集してページ内に収めるかが苦心惨憺、というか編集者の腕の見せ所です。

教区報を編集中

 

何とか、自分で設定したリミットの今日中には、初校を各司祭に提示できそうです。

 

教会報の発送も教区報の初校も、7月末日までに済ませれば問題ないのに、なぜ1週間も早くやり上げようとしたかというと、今度の月曜(大村に前泊するので正確には明日の夜)から五島列島に行き、現地のカトリック教会やキリシタンの遺構を見て回る予定を入れているからです。つまり純粋に自己都合です(笑)。

やるべき仕事を片付けないと、楽しいことも楽しめなくなります。その意味では、来週は天気も良さそうだし、楽しい取材(教会的には司祭夏季休暇)になりそうです。

大雨の人吉 皆さんの地域でも警戒を

一昨日、東京出張から戻りました。

教会報に先週末の全国公会の報告記事を載せることに加え、年に二回発行している西日本教区の教区報の編集当番が回ってきたので、この二日間は原稿書きと編集作業に追われています。神父というより完全にライターになっています。

 

明後日は鹿児島へ巡回予定。

妻は聖体礼儀で用いるパンを焼きました。正式にはプロスフォラといいますが、一般的には「聖パン」(英語ではHoly Bread)と呼びならわされています。

今日焼いた聖パン

前任地のような比較的大きな教会では婦人会などの奉仕、小さな教会では神父本人が焼いているところが多いようですが、私のところは妻がこういうものを作るのが得意なので、妻に任せています。

聖パンの材料は小麦粉と水とイースト菌だけと決められているので、店屋で売っているような一般的なパンを用いることはできません。そのため世界のどこの国でも、正教会では、自教会で使う聖パンは自家製が基本だろうと思います。

よって金曜日か土曜日には、世界中の正教会でパンを焼いているに違いありません。

 

さて今日は、朝から雨が降り続いており、これは屋内の仕事がはかどっていいなと思っていたら、夕方になるにつれて雨は収まるどころか、バケツをひっくり返したような勢いになってきました。

市は16時に高齢者避難指示を出しました。

近所の小さい河川では既に溢れたところがあるようです。

 

どうやら九州に線状降水帯が発生するおそれがあるとのこと。

線状降水帯などという用語はこれまで全く知らなかったのですが、ちょうど2年前に人吉を襲った豪雨災害の時に初めて知りました。

深夜に避難指示が出たらすぐ逃げ出せるよう、今夜は枕元に市から支給された防災ラジオと懐中電灯を置いて寝ることにします。

 

豪雨災害は人吉だけではなく、どこでも起こる恐れがあります。

どうか皆さんの地域でも、普段から警戒なさってください。

災害と人吉

異常に早い梅雨明けで、天候はもう真夏になってしまいました。

さらに一昨日は台風が九州に上陸。当地で大雨には慣れっこになってしまったので、この台風は大したレベルとは思えませんでしたが、7月になった途端に台風上陸というのも異常気象ですね。

 

昨日は台風が通り過ぎて雨が止んだので、参院選期日前投票のために人吉市役所に行きました。

人吉市役所は2016年4月の熊本地震で被災して取り壊され、以来ずっと市内に分散された仮庁舎で執務が行われてきました。市長室に至っては市立図書館の一室という有様でした。

当然ながら市役所の再建計画が進められてきたのですが、一昨年の大水害の影響もあって難航。地震から6年経った今年の5月にようやく新庁舎が完成しました。

新庁舎に入るのは完成して初めてですが、建物だけ見たらここは大都市かと思うような立派なものです。

5月にオープンした人吉市役所新庁舎

人吉市は水害からの復興はもちろんですが、高い高齢者人口比率、産業の誘致(銀行の支店以外に大企業の事業所は皆無)、高等教育機関の不在(大学がないので高校を卒業した若者は、進学であれ就職であれ都会に出てしまって戻ってこない)等々、自治体としての問題が山積しています。

市も庁舎という器だけで満足せず、今後もしっかりと行政の役割を果たしてもらいたいと思っています。

 

さて人吉は1193年、遠江御家人・相良氏が源頼朝から地頭に任じられて下向したことに始まる、歴史ある城下町です。相良氏は1871年廃藩置県まで700年近く、人吉の領主であり続けたのであり、これは1185年に薩摩に来た島津氏に次ぐ、最長の大名家ということになります。

そのため、市内には何世紀も続く老舗の店がたくさんあるのですが、このところ水害とコロナ禍の影響で続々と閉店に追い込まれています。

 

つい一か月ほど前には、市内の鍛冶屋町で650年続いた(つまり創業は南北朝時代!)鍛冶屋の「正光刃物製作所」が廃業しました。

 

相良氏は旧領の遠江からたくさんの鍛冶職人を連れてきたため、刃物づくりは人吉の主産業となり、今でも手作りの包丁などが特産品として売られています。

その鍛冶職人を住まわせた地区が、今もある鍛冶屋町なのですが、この地域は2年前の水害で水没し、大変な被害を受けました。

鍛冶屋町で唯一残っていた鍛冶屋の正光刃物は、水害後に営業再開し、テレビのニュースでも取り上げられていましたが、コロナ禍で外部から来る人が減り、ついに営業が継続できなくなってしまったのです。

先祖代々、650年も受け継がれてきた家業があっけなく終わりを迎えるとは、コロナ禍恐るべしです。

 

つい先日、水害からちょうど2年の7月4日には、人吉駅前で110年続いた和菓子屋のいわみ商店が廃業しました。

 

こちらの店は「いわみまんじゅう」という、海苔巻きのように棒状になった大福もちが有名でした。ちなみに当地では「中にあんこが入った菓子」は全て饅頭と呼ばれます。

見た目が珍しいだけでなく、味も良かったので、私は気に入っていました。

人吉駅前も水害の時は大変な被害で、いわみ商店も被災。しかし、わずか2か月で営業を再開しました。

老舗の暖簾が守られて良かったと思っていたのですが、残念ながら2年で廃業してしまったのです。

直接的な理由は後継者がいないことですが、水害で今も鉄道が不通なのに加えてコロナ禍で観光客が全くいなくなり、売り上げが見込めなくなったことも大きかったと思います。

 

コロナも広義の災害と考えれば、人吉のように数百年の歴史を重ねて営みを続けてきた町を衰退、いや滅亡に向かわせるような途轍もない災いだと考えざるを得ません。

 

報道では全国的にコロナの新規感染者が急速に拡大し、第七波到来と見なされているようです。

その中で九州各県、特に熊本県は感染拡大が特にひどい状態です。県の人口は170万人にもかかわらず、一昨日から今日までの三日間、連日1500人前後の新規感染者数で推移しています。人口わずか3万人の人吉市も、毎日二桁の新規感染者がいます。

 

まさに憎むべき災いなのですが、いくら御託を並べても教会を預かる自分自身が感染してしまっては何にもなりません。今後も感染対策に緊張感をもって牧会活動に当たりたいと思っています。