九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

今年もあと8時間 新しい年こそ平和の実現を!

今年もあと8時間を切りました。

 

この間の日曜日に人吉ハリストス正教会で降誕祭の聖体礼儀を終えてから、この1週間でやり残した仕事を猛スピードで片付けています。

さすがに年賀状などは教会関係者あてであれ、友人あてであれ、遅く着くのは失礼だと思っているので先週のうちに全部出しましたが、2月に講話した西日本教区主催の講演会「冬季セミナー」の講演録がまだできていませんでした。

自分が話した原稿をもとに、画像や資料の追加など、自分で講演録に編集して事務局に提出し、先方に校正と製本をしてもらうのですが、自教会の用事ばかり優先して延ばし延ばしにしていたのです。

2月に行った教区講演会の講演録を作成

字数で2万字ほどなのですが、28日(水)に提出できて、安心しました。

前倒しで書いていれば何でもなかったのですが、小学生時代の2学期の始業式直前と何も変わっていないので、我ながらつくづく成長していないと苦笑するばかりです。

 

昨日は司祭館の大掃除をして、妻が玄関に正月の飾り付けをしました。

司祭館の玄関の飾り付け

扇は能楽師だった妻の祖父が生前、仕舞を演じる時に使っていたものです。

また、左端のマンリョウは人吉教会の庭に植わっているものを切ってきて、球磨焼酎のお洒落な空き瓶に差しました。

正月気分が高まりました!

 

さて2022年を振り返ると、何といってもロシアのウクライナ侵攻という悲劇が起きたことで、忘れることができない年となりました。

ロシアもウクライナも一応は多民族・多宗教国家ではありますが、実際はキリスト教正教会アイデンティティの中心にあることは間違いありません。その正教徒が正教徒を侵略するという、文字通り神をも畏れぬ暴挙に、同じ正教徒である私は怒りと悲しみに今も満ち溢れています。

 

ちょうど今朝、NHKで2019年に放映された「世界ふれあい街歩き ウクライナキエフ」が再放送されたので視聴しました。

 

2014年のクリミア半島併合以降、東部ドネツク州で軍事衝突が続いていた時期とはいえ、キエフの街並みも市民の姿も平和そのものの印象でした。

キエフは10世紀末、キエフ=ルーシ大公国の都として、ルーシの正教会の発祥の地であり、市内の美しい修道院も紹介されていました。

特に番組では、ドネツク州の戦闘から帰還した兵士の社会復帰のために開店したピザ屋が紹介されていたのが印象的でした。その店では子ども向けのピザ作り教室が行われていて、元兵士たちが講師となって子どもたちと楽しく触れ合い、戦場で傷ついた心の平安を取り戻す試みが行われていました。

 

しかし番組の最後に、その時に放映された場所と番組に登場した市民はいま現在どうなったかが紹介されました。

露天市が並んでいた市内には捕獲したロシアの戦車の残骸が並べられ、番組に出てきた男性市民の多くは出征しました。

紹介された修道院では、毎日戦死者の埋葬式(葬儀)が行われています。

特に、上記のピザ屋のスタッフたちは全員再出征し、店長は戦死したそうです。

 

つい3年前のキエフの平和な街並みの姿とのギャップがあまりにもショッキングで、胸が塞がる思いで一杯になり、のんびり大晦日を送れるような気持ちではいられなくなってしまいました。

 

ロシア政府は今も「ウクライナをナチズムから解放する」「アメリカが挑発したことに原因がある」という主張を繰り返しています。

しかし、それは反体制運動など、ロシア国内で完結する内政問題について言っているならまだしも、ウクライナという「独立した主権国家」に軍事侵攻する理由には、どう考えてもなりません。(アメリカが国際社会で常に正義の味方とは全く思いませんが、少なくともアメリカはロシアを侵略してはいません)

まして、百歩譲って本当にウクライナの人々を解放したいというなら、平和な街並みと生活に必要なインフラ設備を「わざわざ狙って」破壊し、戦闘員だけでなく無辜の市民まで殺害するのは矛盾以外の何ものでもないと思いますが。

ロシア国民はもとより、戦争当事国でない日本人でさえも(そして正教会の信徒でさえも!)、ロシア政府の主張を鵜呑みにしてネット上で流している人がたくさんいます。もちろん言論の自由は保障されるべきですから、主張すること自体は結構なのですが、上記で指摘している矛盾について納得できる説明をしている人を一人も見たことがありません。

 

神がこの世を創り、人間にいのちを与えたというのは、キリスト教信仰の根本的な理解です。つまり、神から全ての人がいのちを授かっていると信じる以上、どんな人間のいのちでも軽んじることはできず、死んで良い人などこの世にいるはずがないのです。

つまりキリスト教徒を自認するなら、自分から進んで戦争を起こし、あるいは戦争を擁護することなど絶対にできないはずです。神に背いたと自ら宣言するのと同じだからです。

よってわが国で保障されている「言論の自由」に則って、私個人の意見を言わせてもらうなら、ロシア政府の戦争を正当化する主張を鵜呑みにする者は、論理的な思考に欠けた愚か者であり、キリスト者、なかんずく正教徒でありながら侵略戦争を擁護する者は、罪深い背教者としか言いようがありません。

 

しかし、私は戦争に反対する以上、ウクライナ軍の勝利によるロシア兵の戦死を祈願することも勿論できません。

これから迎える新年に、平和を願う人々(ロシア国内にも多くいると思われます)の思いが神に届けられて、戦争の終結が実現できることを祈っています。

そして、この九州に逃れてきているウクライナの避難民のために、できることをこれからも続けていきたいと思います。

 

皆様、どうぞ良いお年を。

そして、平和が実現しますように。