九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

ウクライナのカトリック修道院から

今週の水曜日、カトリック鹿児島司教座のザビエル教会に行きました。

レデンプトール宣教修道女会のテオドラ・シャルク総長の講話「生きる希望を保つ ― ウクライナでの戦争体験」を聴講するためです。

来日してライブでお話しいただく予定でしたが、諸般の事情で来日できなくなり、ミュンヘンの自室からのオンライン講話となりました。

 

テーマはウクライナでのご自身の戦争体験と、自修道会のシスターたちの現地での避難者支援活動についてです。

テオドラ総長はウクライナ出身で、現地の修道院のシスターでしたが、昨年総長に選出され、ミュンヘンの修道会本部に移られたそうです。

よってご本人のネイティブ言語はウクライナ語ですが、講話はドイツ語と英語で行われ、鹿児島のドイツ人シスターが通訳しました。

レデンプトール宣教修道女会・テオドラ総長

正教会がメジャーなウクライナで、カトリック修道院というのは違和感があるかも知れませんが、テオドラ総長らがいた修道院はドイツ語で「グリーヒシェ・カトリッシュ」(ギリシャカトリック)、日本語訳では「ウクライナ東方典礼カトリック教会」に属します。

ウクライナ東方典礼カトリック教会とは、ウクライナポーランド領だった1596年、コンスタンチノープル総主教管轄下からローマ教皇に所属を移した教会を指します。典礼や聖堂の造りなど、見かけは正教会と全く同じですが、首座主教ローマ教皇であることから教派としてはカトリック教会となります。

もちろん、ウクライナでも宗教的には少数派で、テオドラ総長によれば、彼女の修道会もウクライナでは修道院は5つ、修道女も合計で26人だけとのことでした。

 

シスター・テオドラがいた修道院ベラルーシ国境の近くにあり、開戦直後から激しいロケット弾攻撃で街はことごとく破壊されました。

その時の自分自身の心の変化の時系列的な段階を、シスターはこう述べました。

「Denial」(拒否感)→「Rebellion and Anger」(反抗心と怒り)→「Emptiness and Depression」(虚無感と憂鬱)→「Recognition of Reality」(現実の認識)

 

これを聞いて、修道生活をしているような「人間のできた人」であっても、死の恐怖を突然突き付けられた時に感じることは皆同じだなと感じました。

ただ、「反抗心と怒り」の段階に留まっている人や「虚無感と憂鬱」の段階に留まっている人など、人によって今の心理状態は様々だが、シスターたちは現実を受け入れる心理的段階に至ったことで、人々を救うという前向きな行動ができたのだと考えます。

講話のタイトル

シスターがいた街はロシア軍の占領は免れましたが、司牧していたレデンプトール会の司祭は拉致されて、現在も生死不明とのことでした。

そのような状態で、彼女たちは家を失った市民のために物心両面の支援活動を行いました。

物資の面では、衣類を取り寄せて配布することと、支援物資の輸送業務を担ったそうです。

また、心理的サポートについては(こちらが中心のように感じました)、心理カウンセラーと連携して、いわゆるPTSDの状態になった人々を回復させるプログラムを展開したそうです。具体的には、イコンを描いたり民謡を歌うことなどを通して、その人の心の混乱を鎮めて前向きな気持ちにさせていくワークショップだそうで、対象者も被災児童、傷病軍人、戦死者遺族など様々とのことでした。

 

最後の質疑応答で司会者から指名されましたので、「支援活動において、信徒人口としてはより多数派である現地の正教会との連携をどのようにしていますか」と尋ねました。

それに対する答えは「ご存じのとおり、いまのウクライナ正教会は分裂状態にある。自分たちの教会の立場、また被災者を支援する立場としては、キエフ総主教庁派(正確には独立を宣言した新ウクライナ正教会)の教会と連携せざるを得ない。実感として、キリル・モスクワ総主教が戦争を擁護する発言を続けていることに、周囲の正教徒たちは大きな失望感を持っている。モスクワ総主教派(正確にはウクライナ自治正教会)から所属を移りたいと言っている正教徒が自分の周囲には少なからずいた」とのことでした。

それまでにこやかに話していたシスター・テオドラが、「Patriarch Kyrill」(キリル総主教)の名を口にした途端、とても不機嫌そうで怖い顔になったのを私は見逃しませんでした。話し方も一生懸命感情を押さえているような口ぶりに変わり、それこそ上記の「Anger」の段階に戻ってしまったようでした。

 

それはそうでしょう。

私はウクライナ自治正教会が教会法上正統なウクライナ正教会だと理解しています。また彼らはわが日本正教会と同じ立場であり、キエフ府主教はモスクワに対して一定の独立した権限を持っています。決してモスクワ直属の教会ではありません。わが国でもその点を誤解している人々は少なくないように思います。

しかし、たとえ教会法という「文章上の理屈」はそうだとしても、実際に戦争で家や仕事、親しい人々を奪われ、さらには自分自身まで死にそうな目に遭わされたのに、教会の最高指導者がそれを正しいことだと主張したら、人間の心の面ではそれを到底受け入れられないに決まっています。

まして、イエスが「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)と言っているのに、それに逆行することを言うのは、キリスト教徒として自己矛盾以外の何ものでもないでしょう。

私自身は誰が何と言おうと、戦争に反対する意見を表明してきましたが、シスターの表情を見て、正教徒として申し訳ないという気持ちになってしまいました。

 

いずれにせよ、ガザでの紛争のせいで世界の関心もそちらに移ってしまった感がありますが、ウクライナの人々の苦境は少しも解決されていません。

日本にいて自分にできることは何なのか、これからも考えていきます。