九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

災害と人吉

異常に早い梅雨明けで、天候はもう真夏になってしまいました。

さらに一昨日は台風が九州に上陸。当地で大雨には慣れっこになってしまったので、この台風は大したレベルとは思えませんでしたが、7月になった途端に台風上陸というのも異常気象ですね。

 

昨日は台風が通り過ぎて雨が止んだので、参院選期日前投票のために人吉市役所に行きました。

人吉市役所は2016年4月の熊本地震で被災して取り壊され、以来ずっと市内に分散された仮庁舎で執務が行われてきました。市長室に至っては市立図書館の一室という有様でした。

当然ながら市役所の再建計画が進められてきたのですが、一昨年の大水害の影響もあって難航。地震から6年経った今年の5月にようやく新庁舎が完成しました。

新庁舎に入るのは完成して初めてですが、建物だけ見たらここは大都市かと思うような立派なものです。

5月にオープンした人吉市役所新庁舎

人吉市は水害からの復興はもちろんですが、高い高齢者人口比率、産業の誘致(銀行の支店以外に大企業の事業所は皆無)、高等教育機関の不在(大学がないので高校を卒業した若者は、進学であれ就職であれ都会に出てしまって戻ってこない)等々、自治体としての問題が山積しています。

市も庁舎という器だけで満足せず、今後もしっかりと行政の役割を果たしてもらいたいと思っています。

 

さて人吉は1193年、遠江御家人・相良氏が源頼朝から地頭に任じられて下向したことに始まる、歴史ある城下町です。相良氏は1871年廃藩置県まで700年近く、人吉の領主であり続けたのであり、これは1185年に薩摩に来た島津氏に次ぐ、最長の大名家ということになります。

そのため、市内には何世紀も続く老舗の店がたくさんあるのですが、このところ水害とコロナ禍の影響で続々と閉店に追い込まれています。

 

つい一か月ほど前には、市内の鍛冶屋町で650年続いた(つまり創業は南北朝時代!)鍛冶屋の「正光刃物製作所」が廃業しました。

 

相良氏は旧領の遠江からたくさんの鍛冶職人を連れてきたため、刃物づくりは人吉の主産業となり、今でも手作りの包丁などが特産品として売られています。

その鍛冶職人を住まわせた地区が、今もある鍛冶屋町なのですが、この地域は2年前の水害で水没し、大変な被害を受けました。

鍛冶屋町で唯一残っていた鍛冶屋の正光刃物は、水害後に営業再開し、テレビのニュースでも取り上げられていましたが、コロナ禍で外部から来る人が減り、ついに営業が継続できなくなってしまったのです。

先祖代々、650年も受け継がれてきた家業があっけなく終わりを迎えるとは、コロナ禍恐るべしです。

 

つい先日、水害からちょうど2年の7月4日には、人吉駅前で110年続いた和菓子屋のいわみ商店が廃業しました。

 

こちらの店は「いわみまんじゅう」という、海苔巻きのように棒状になった大福もちが有名でした。ちなみに当地では「中にあんこが入った菓子」は全て饅頭と呼ばれます。

見た目が珍しいだけでなく、味も良かったので、私は気に入っていました。

人吉駅前も水害の時は大変な被害で、いわみ商店も被災。しかし、わずか2か月で営業を再開しました。

老舗の暖簾が守られて良かったと思っていたのですが、残念ながら2年で廃業してしまったのです。

直接的な理由は後継者がいないことですが、水害で今も鉄道が不通なのに加えてコロナ禍で観光客が全くいなくなり、売り上げが見込めなくなったことも大きかったと思います。

 

コロナも広義の災害と考えれば、人吉のように数百年の歴史を重ねて営みを続けてきた町を衰退、いや滅亡に向かわせるような途轍もない災いだと考えざるを得ません。

 

報道では全国的にコロナの新規感染者が急速に拡大し、第七波到来と見なされているようです。

その中で九州各県、特に熊本県は感染拡大が特にひどい状態です。県の人口は170万人にもかかわらず、一昨日から今日までの三日間、連日1500人前後の新規感染者数で推移しています。人口わずか3万人の人吉市も、毎日二桁の新規感染者がいます。

 

まさに憎むべき災いなのですが、いくら御託を並べても教会を預かる自分自身が感染してしまっては何にもなりません。今後も感染対策に緊張感をもって牧会活動に当たりたいと思っています。