九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。2019年から九州全域を担当しています。

広報部員(?)に徹した一週間 教会報と教区報について

今週は教会報の作成と発送、教区報の編集作業で、ずっとデスクの前に座りっぱなしの一週間でした。ネットを眺めたり、まして投稿して暇つぶしなんか到底無理でした。

 

日本正教会では司祭が常駐している地方教会ならどこでも、毎月一回(教会によっては二か月に一回)、広報物として教会報を出しています。他教派の週報のようなスタイルを取っている教会は、私の知る限りではありません。

私自身は、印刷物としての週報を作成していたら、それにかかりっきりになってしまうので、小さな出来事やお知らせはSNSの自教会アカウントに適宜アップするのが良いと思っており、実際そうしています。

 

各教会で教会報を交換し合っているのですが、教会報にはその教会、というかその管轄司祭のカラーが出ていて面白いです。

神父が神学に造詣が深く、いつも何ページにもわたって長文の神学的な文章を掲載している教会報も多いです。私には勉強になってとても良いのですが、そこの信者さんたちはちゃんと読んでいるのかな、読んでついて行けるのかなと心配になったりします。自分のレベルで物を決めつけてはいけないのですが…

私自身がそこで信者となり、かつ後に管轄司祭でもあった前任教会では、以前の管轄司祭(故人)が「教会報は信者から読まれなければ意味がない。信者にとって必要な情報を簡潔に掲載すべき」という考えで、毎月の教会報も本文4ページ(一枚の紙の裏表)プラス日程表1枚にまとめられていました。

私も当時の一信徒として、また司祭としても全く同じ考えなので、自分がその教会を管轄するにあたり、教会報も神学的メッセージ、お知らせ事項、教会内外の出来事の振り返りを4ページ以内に収まるように編集して、発行していました。

前任者と唯一スタイルが違うのは、おそらくコストの節約のために全て白黒印刷だったものを、カラー印刷に切り替えたことです。正教会は聖堂も祭服も色とりどりで、ビジュアル的に「見て美しい教会」なのであり、教会報を読む側の気持ちとしても、カラーで印刷されている方が快く感じると思ったからです。これは現教会でも全く同じで、やはり教会報を白黒コピーで印刷していましたが、私が着任した第一号からカラーに切り替えて、今に至っています。

なお、前任教会は信徒数が多かったので、教会報の印刷と発送は信徒が奉仕してくれましたが、今は全て私個人の手作業です。

 

8月号は先々週の全国公会の報告記事に加え、祈祷中の熱中症対策や再拡大しているコロナ感染への注意喚起なども加えて、平日である昨日のうちに、人吉郵便局から発送することができました。

封筒詰めされた教会報

 

さて、私が所属する西日本教区では年に二回、教区報「西日本正教」を発行しています。16ページないし20ページの小冊子です。

教区報「西日本正教」(前回号)

 

編集(印刷の手配まで含む)担当は教区内の司祭の当番制で、持ち回りで順番が回ってくるのですが、今回の「2022年夏号」は私が当番となりました。

8月末に信徒宛てに発送しなくてはならないので、そこから逆算すると印刷の手配は印刷業者がお盆休みに入る前の8月上旬、さらに当番以外の各司祭による校正の時間を考えると遅くとも7月末には初校を上げる必要があります。

そのようなわけで、6月の末には全体の構成を考えて、各司祭に書いてもらいたい原稿のテーマを提示。今週の締切りまでに続々と上がって来た原稿と写真を、レイアウトを考えながら編集しました。

広報物は原稿が集まらなくて苦労するとよく聞きますが、わが教区は健筆家の人が多くて(皮肉ではなく嬉しい悲鳴という意味)、原稿集めには困りません。むしろ、全文載せたら紙数がオーバーしてしまうので、どう編集してページ内に収めるかが苦心惨憺、というか編集者の腕の見せ所です。

教区報を編集中

 

何とか、自分で設定したリミットの今日中には、初校を各司祭に提示できそうです。

 

教会報の発送も教区報の初校も、7月末日までに済ませれば問題ないのに、なぜ1週間も早くやり上げようとしたかというと、今度の月曜(大村に前泊するので正確には明日の夜)から五島列島に行き、現地のカトリック教会やキリシタンの遺構を見て回る予定を入れているからです。つまり純粋に自己都合です(笑)。

やるべき仕事を片付けないと、楽しいことも楽しめなくなります。その意味では、来週は天気も良さそうだし、楽しい取材(教会的には司祭夏季休暇)になりそうです。