九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。2019年から九州全域を担当しています。

大阪での日曜日

昨夜遅く、大阪での出張を終えて人吉に戻りました。

 

日曜日の午前中は大阪ハリストス正教会で聖体礼儀。

西日本教区の司祭全員が(全員といっても6人ですが)陪祷する聖体礼儀は、コロナ禍以降では初めてです。

私の九州着任直後の2019年10月に、大阪での聖体礼儀に陪祷して以来ですから、もう2年半ぶりということになります。

私の感覚ではコロナが収束しているとは思えませんが、社会の流れとしてはコロナとの共存を図っていくということなのでしょう。その意味では、教会に多くの聖職者と信徒が集まって祈る光景を見ることができて、気分が高揚しました。まさに希望の光です。

 

大阪教会は西日本教区では信徒数最多の大教会で、戦前まで大阪市の中心地にありましたが、空襲で焼失。ようやく1962年に現在地の吹田市に再建されました。

イコノスタシスは19世紀のロシアで造られた大変貴重なものです。

これは元々、明治時代に建てられた松山教会のものでしたが、1923年の関東大震災ニコライ堂が倒壊したことにともない、松山教会は東京の仮聖堂としてニコライ堂の敷地内に移設されました。

1929年のニコライ堂再建後も小聖堂として使われてきましたが、昭和40年台に現在のニコライ会館(信徒会館)を建築するために解体されてしまいました。

旧松山聖堂は函館や豊橋の聖堂(ともに国重要文化財)と同じく、河村以蔵の設計によるものであり、現存していれば文化財になっていた可能性があったので、失われたことは残念に思っています。

しかし、イコノスタシスだけは大阪に新築された聖堂に移設されたおかげで、生き残ることができました。

聖堂・二階席からの眺め

説教者はソロモン伝教者(仮名)

司祭発放(聖体礼儀終了時の祝福)

今年、大阪教会管轄司祭のゲオルギイ神父(仮名)が70歳の誕生日を迎えたので、聖体礼儀の最後にお祝いしました。もしコロナの影響で、今でも公開での聖体礼儀ができないままだったら、このような教会としての祝意も示せなかったのですから、とても喜ばしいことだったと思います。

正教会の祝賀の祈り「幾とせも」

ゲオルギイ神父(仮名)の挨拶

午後は会議室で教区会議(年次総会)。

私は毎年、教区会議では司会を担当しています。前任地の東京教区の教区会議でも毎年司会者でしたし、さらには以前の会社でも、支社の会議では司会担当でした。もちろん自分で希望したのではなく、そういう役職だったからですが、つくづく司会業(?)と縁が深いものだと思っています。

司会者としては「何か質問はございませんか」と尋ねて、みな黙っていればスムーズに議事を進められるので楽なのですが、西日本教区では代議員が発言内容への指摘や質問をガンガンしてきますので、会議が取り留めもない方向に行かないよう、司会者が差配するのが大変です。およそ総会というものは、「異議なし」で粛々と進んでいくことが普通ですが、この教区会議では議論が白熱し、予定時間を1時間もオーバーしてしまいました。もっとも、会議は儀式ではないので、本来その方が健全なのですが…

 

組織内の会議ですので、こういうところで議事内容の情報を公開することはしませんが、一つだけ記すなら、「九州の司祭常駐拠点を現行の人吉から福岡に移転させる構想」について表明しました。

もちろん、九州担当の私の発言の形を取ってはいますが、これは西日本教区の司祭団の総意です。

九州に司祭を配属しているのが、既存の信徒の冠婚葬祭要員としてだけなら、居住地はよほどの山間地や離島でない限りどこでも良いでしょう。また、そもそも九州は信徒自体が少ないのですから、普段は地元の人に教会を管理してもらって、誰かが亡くなった時だけ大阪などの都会の神父が現地に出張すれば十分対応できます。

しかし、わざわざ中堅クラスの専従聖職者である私を派遣するということは、九州でのより本格的かつ積極的な開拓宣教が期待されているということでしょう。

それを一人の司祭でやれということならば、活動拠点は九州の中心地である福岡市をおいて他に考えられません。

現在は福岡市内に伝道所があって、月に一回出張していますが、そもそもこの伝道所自体、これまで教会のなかった福岡市周辺を開拓するための、いわば仮設教会として2011年に開設されたものです。

開設から10年を経て、一定の信徒数も得ましたので、さらに進んで本格的な教会を造り、福岡から九州全体をも開拓していこうという構想です。目標は5年後の2027年オープンです。

もちろん私一人が勝手にするのではなく、教区事務局と連携して進めていくプロジェクトなのですが、還暦近くなっても新しいことに挑戦するのは楽しいですね。

 

人吉を金曜日の早朝に発って日曜日の深夜に帰宅するという、長丁場の出張でしたが、いろいろな意味で将来の希望を感じ取ることができて、疲れもなく晴れ晴れとした気持ちに満たされています。