九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

熊本巡回 いろいろな意味で心機一転

一昨日は熊本ハリストス正教会に巡回しました。

 

会堂のシロアリの食害が酷く、リフォームを発注したことは既に投稿しています。

工事のため10月は一か月間、教会をクローズしました。

 

その工事が先月末に完了し、今回はお披露目です。

シロアリに食われてボロボロになっていた土台を入れ替え、穴が開いてスカスカになっていた床と壁(高さ1mくらいまで)も新調しました。

床は無垢材を使い、いきなり高級感アップです。

リフォームされた熊本ハリストス正教会の床と壁

会食用の湯飲みや皿を入れていた古い茶箪笥も、壁を伝って来たシロアリに食われて底が抜けてしまったのですが、執事長が新品を献納してくれました。

執事長が献納した新品の茶箪笥

熊本教会は80代後半と90代の信徒4人だけの教勢であり、教会の閉鎖も真剣に考えなければと思っていたのですが、今回のリフォームは信徒の側から希望したので施工したものです。

自分たちの次の世代に熊本の教会堂を残したいという気持ちに他なりません。

これは頑張って開拓しなければ、という気持ちにさせられました。

 

聖体礼儀が終わって、午後は宇土市に住む信徒のダリヤさん(仮名)を訪問。

ダリヤさんは定期的な廻家祈祷(家庭訪問)を希望しているので、熊本巡回の後は他の予定がない限り、訪問するようにしています。

大正13年生まれの彼女は九州の最高齢信徒で、今日(11月14日)が99歳の誕生日。それで2日早い白寿のお祝いということで、セルビアの土産などをお持ちしました。

九州の最高齢信徒・ダリヤ姉(仮名・99歳)

どこも教会は高齢の信徒が多く、必然的に私も高齢者と接する機会が多いのですが、90代は概ね運動機能(特に歩行能力)に異常があるか、認知症を発症しているかのいずれか、あるいはその両方の状態の人がほとんどです。

歩行が不能、あるいは億劫になり、寝ていることが多くなると、比較的早くお別れの時が来るように感じます。

しかし、ダリヤさんは認知機能は問題なく(数分前にこちらが話したことを忘れて同じことを尋ねるなど、高齢者特有の傾向はある)、身体機能も正常です。

何もつかまらずに椅子から立ち上がったり、杖をつかずに歩くことが支障なくできます。まさに健康長寿そのものです。

今でも近所のスーパーまで徒歩で買い物に行っていると言っていました。

初めて会ったのは着任した4年前で、その時既に95歳でしたが、その頃と全く変わっていません。80代前半くらいに見えます。

聖使徒ヨハネは聖書に「この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった」(ヨハネ21:23)と記され、実際に大変な長寿だったのですが、ダリヤさんも神に選ばれ、長く元気に生きておられるように思えてきます。

 

私は今年で60歳。還暦という言葉に急にお爺さんになったような感覚でいたのですが、綺麗になった熊本の会堂と白寿のダリヤさんに接して心機一転、もっと頑張らねばという気持ちにさせられました。

ダニイル府主教の葬儀 私は九州で仕事

昨日は8月10日に永眠したダニイル府主教の埋葬式(告別式に相当)が、ニコライ堂セラフィム大主教の司祷により執り行われました。

教団からの通知で、教団が指定した司祭のみ陪祷ということでしたので、私は参列せず、弔電のみお送りしました。

本州の司祭たちは自主的に参列した人も少なくなかったのですが、昨日の新幹線の大遅延で葬儀に間に合わなかった神父や諦めて引き返した神父もいたようです。

 

京都教会のソロモン伝教者から写真を送ってもらいました。

ダニイル府主教の埋葬式(ニコライ堂

写真を見ると、一般信徒がたくさん参列しており、正教会にとって首座主教の葬送がいかに大きな出来事であるか、見て取れます。

 

埋葬式後、府主教の棺は横浜外国人墓地に運ばれ、埋葬されました。

ダニイル府主教の埋葬(横浜外国人墓地

 

わが国は火葬が普通であることは誰でもご存じのとおりですが、過去の日本の主教たちについては正教会の伝統に則って土葬されてきており、ダニイル府主教にも同じ対応がなされました。

横浜外国人墓地は首都圏でほぼ唯一土葬できる墓地であり、私の前任教会の管轄地でもあるので、当然ダニイル府主教の将来の埋葬場所も知っていましたが、実際にその日が来てしまい、かつ自分は転勤してしまったために立ち会えなかったことに、複雑な思いでいます。

 

さて、そのようなわけで私は東京には行かなかった代わりに、九州で仕事です。

昨日の午後は熊本教会に行き、リフォーム業者と打ち合わせ。

会堂のシロアリの食害が4年前の着任当初から気になっていたのですが、もう我慢の限界を超えたのでシロアリ駆除と破損個所を直すことにしたのです。

 

立ててあった古い書籍には壁からシロアリが入り込んで、中でウヨウヨはい回っていました。本は箱の中で土のようにボロボロになっていました。

本が接していた壁面。穴だらけになっている

床の上に敷いてある絨毯をめくると、これまたシロアリがウヨウヨ。

シロアリが開けた床の穴

 

あまりにもグロテスクな光景なので、写真は這い回っているシロアリを除いた後のものを載せています。

 

業者の見立てでは、会堂の床下全てがシロアリにやられているのはほぼ確実とのこと(それは素人の私でもわかる)。

そもそも熊本教会は、戦前からあった教会堂が空襲で焼けてしまい、六十数年前に資産家のY氏の屋敷の物置小屋を会堂に改装して今も使っています。

Y氏の死後、屋敷は人手に渡ってしまいましたが、会堂が建っている10坪ほどの土地だけは宗教法人名義に変更していたため、売却を免れて今日に至りました。

そんなお金持ちだったのなら、物置ではなくてちゃんと専用に建てた教会堂を寄進なり遺贈なりしてくれても良かったのに、などと不埒な思いにもなります。

かなり大掛かりな工事をしなくてはなりませんが、小さな教会で手元資金がありません。そのため、シロアリ対策も過去に全くなされていなかったのです。そういう教会を私が引き継いでしまったわけですが、どういうレベルまで修繕するか、これから出てくる見積りを見て思案しなくてはなりません…

 

今日は福岡へ。

大阪から出張した教団財務委員長のゲオルギイ神父を案内して、福岡の新教会用地の物件を視察してもらいました。

東京で来週行われる財務委員会で、教団からの物件の購入資金提供を決めてもらえるよう念押ししました。ある意味、社内営業です。

誰が見ても購入に賛成するような物件なので、早く結論が出てほしいと思います。

広々としたリビング。ここを信徒会館にしたい

 

そんなこんなで、この二日間は工務店か不動産屋になったようでした。

豪雨の中での船舶成聖式

出張先の東京から11日(火)に戻りました。

東京には先週の木曜日から6日間いたのですが、連日カンカン照りで大変な暑さでした。もう梅雨明けしているのではないかと思ったくらいです。

九州はずっと雨が続いていて、7月になってからほとんど太陽を見ていなかったので、別の国に来たようでした。

特に福岡県や大分県などの九州北部地域では大変な豪雨災害になっています。

東京では現地の信者さんたちが口々に「九州は大変なことになっていますね。グレゴリー神父さんが被災したんじゃないかって、心配で心配で」などとおっしゃるのですが、私がいる九州南部の雨は全く大したことがないので、申し訳ないくらいに思いました。

 

さて、九州に戻った翌日の12日(水)は、朝から早速お勤めです。

いつもお馴染みの造船所である長洲町のジャパン・マリン・ユナイテッド(JMU有明事業所で、ギリシャ船の船舶成聖式を執り行いました。

 

朝10時半に対象の船に乗り、中で待機しているようにとの指示でした。

現地は福岡県との県境近くで人吉からは2時間近くかかるので、朝8時半に出発。人吉の天気は曇りでした。

車を走らせて造船所に近づくと、猛烈な大雨が降り出しました。雷も鳴り響いています。天気予報では「曇り」だったのですが…

同じ熊本県内なのに、ここは豪雨が続いている「九州北部」なんだと改めて思い知らされました。

 

岸壁のテントの下で雨が小やみになるのを待ちましたが、まったく収まる気配がありません。

造船所は大雨

あきらめて船内に入り、操舵室で祈祷の設営をしました。

操舵室からの眺め。雨はひどくなる一方

 

1時間ほどしてギリシャから来たオーナーら、来賓が到着。

通常は岸壁で命名式と呼ばれる式典を行い、それから来賓たちが操舵室に上がってきて、そこで成聖祈祷を行い、聖水を船内の各所に振りかけて回ります。

ちなみに聖水はヒソップという、毛の長いブラシにつけて対象物に振りかけます。これはもともと、細い木の枝を束ねて用いていたことに由来する器物です。

しかし、今回は傘を差してもずぶ濡れになるような大雨だったので、セレブな来賓たちを濡らさないようにということで、命名式が行われている岸壁のテントのところまで降りてきて、そこで成聖祈祷をするようにと連絡が来ました。

始めから分かっていれば乗船しなかったのに、とは思いましたが、施主様のご指示ですから仕方ありません。横殴りの雨の中を下船しました。

 

来賓のいるテントにイコンなどを並べて祈祷したのですが、船から離れた場所なので聖水を直接かけることができません。

そこで祈祷を始める前に次のようにスピーチをしました。ギリシャ語は話せないので英語です。

 

「私たち日本人は古くから『雨は大地を固くする』(=雨降って地固まる)と言います。これが意味するのは、困難は私たちを強めるので、結果として幸運な将来をもたらすということです。今日、私たちは嵐の中にいますが、私たちの祈りを通して全能の神がこの雨を聖水に変え、この船を幾とせも祝福してくださるように願いましょう」

 

そして祈祷の最後に聖水を撒く場面では、上記のヒソップを使わずに、雨の中を出て行ってペットボトルに入った聖水を船の方に向かって思いきりぶちまけました。

ギリシャ人の来賓たちには大ウケで、歓声が上がりました。

 

とんでもない悪天候で、そこにいた誰もがうんざりしている雰囲気だったのですが、そんな気持ちで神に祈りを献じるのは良くないことです。

せめてグレゴリー神父が一生懸命に祈ってくれたと、外国から来た来賓に言葉ではなく(そもそもギリシャ語はできない)アクションで分かってもらえればと思った次第です。

 

ともあれ、成聖祈祷を無事に終え、人吉に戻りました。

熊本市を過ぎると雨雲を抜けてしまったのか、雨はやんでしまいました…

これからは雨がこれ以上被害をもたらさないように、それこそ神に祈りたいと思っています。

母の日に熊本で復活大祭

昨日は熊本ハリストス正教会復活大祭を執り行いました。

まる一か月かけて、復活大祭を九州の5か所で行ったことになります。

 

熊本の信徒は高齢者の3世帯しかいませんが、3軒とも自作のイースターエッグを持参して参祷しました。

3軒の信徒が持参したイースターエッグ

原則、熊本巡回は毎月の第二日曜日なので、熊本での復活大祭もほぼ毎年、母の日と重なります。

各教会での復活大祭では、妻が作ったイースターエッグとクリーチ(祭日の菓子パン)を参祷者に配っていますが、熊本では母の日ということで、カーネーションの鉢植えを用意し、女性の参祷者にプレゼントしています。

今回もカーネーションを持ってきました。必ず来る女性信徒は3人と初めから分かっているので、大した負担ではありません。

女性信徒にプレゼントするためのカーネーション

祈祷後の会食は、昨年までずっと自粛してきましたが、コロナもだいぶ収束したので、1月の降誕祭に引き続き、近くの日本料理屋に頼んで弁当を作ってもらい、それを妻が受け取ってきて皆で会食しました。

私が九州に着任してから復活大祭は4回目ですが、最初の2020年の時点で既にコロナ禍になっており、このようにイースターの「アフター祈祷」(?)を信徒の皆さんと楽しめたのは初めてです。

教会共同体として当たり前の姿を少しずつ取り戻せているように感じられて、うれしく思いました。

会食用に注文した弁当

午後は熊本市の隣の益城町に新しくできた墓地に移動し、3年前に永眠した信徒の納骨を執り行いました。

お墓自体はもっと前に完成していましたが、キリストの復活で示された永遠の生命に、故人様も天国で与れるようにと、ご遺族が熊本での復活大祭の開催日に合わせて行うことを希望されたものです。

初めて納骨する新しいお墓なので、通常の納骨のための祈りの前に墓石に聖水をかけて成聖する「墓碑成聖」をしました。

墓碑成聖

墓地は基本的に雨をさえぎるものがなく、祈祷の時は両手がふさがっていて傘を持てないので、雨天での墓地祈祷は本当に大変なのですが、昨日は前日までの悪天候とは打って変わって暑いくらいの好天に恵まれたので、私自身にもご遺族の皆さんにも良かったです。

 

夕刻に人吉に戻り、夕食の頃には同居している娘も仕事を終えて帰宅しました。

彼女は人吉市内の比較的お洒落なパンとケーキの店で働いているのですが、自分の店で母の日のケーキを買ってきました。

娘が買ってきた母の日のケーキ

今日は教会で他のお宅の母の日をお祝いしてきたわけですが、わが子からもお祝いしてもらえたわけです。

もっとも、母の日ですから祝ってもらったのは妻であって、私ではないのですが。

父の日の6月18日は教区会議のため京都に出張中なので、わが家でのお祝いはなさそうです(笑)。

聖枝祭とネコヤナギ

西方教会カトリックプロテスタント)では今日が復活祭ですね。おめでとうございます。

今年は東方正教会では1週間ずれて、来週の日曜日が復活祭となります。

 

今日は復活祭の前の日曜日、聖枝祭の聖体礼儀を熊本ハリストス正教会で執り行いました。

聖枝祭聖体礼儀。祭服の色の指定は緑。

エスエルサレム入城(ヨハネ12章ほか)を記憶する祭日ですが、この出来事は単なる歴史上の事件に留まるものではなく、イエスの十字架上の死と復活に向かうプロセスの始まり、つまり「キリストによる人類の救いのわざ」のスタートだと、キリスト教会では理解しています。

 

このエルサレム入城の時、市民は「なつめやしの枝を持って迎えに出た」(ヨハネ12:13)と聖書に記されています。英語での呼称「Palm Sunday」(シュロの日曜日)もこれに由来します。

 

正教会ではこれを象って、聖枝祭の祈祷の時に参祷者は様々な木の枝を手に持つことになっています。様々というのは、同じ正教会でも地域によって違いがあるからです。

私が知る限りでは、中近東の教会では聖書の記述のとおりヤシ科の植物ですが、ギリシャなどバルカン半島ではオリーブなどの常緑樹の枝を使うことが多いようです。

ロシア圏では寒冷地でそういった植物がなかったためか、ネコヤナギの枝を用いるという特徴があります。そのため、祭の呼称も教会スラブ語ではシュロではなく「枝の主日」です。日本正教会での名称「聖枝祭」もこれに由来します。

また、日本正教会はロシア経由で宣教された経緯もあり、聖枝祭でもネコヤナギを用いることが習慣となっています。

しかし、日本はロシアと違って温暖なので、北海道や東北以外の教会ではどこも、4月にネコヤナギを入手するのに結構苦労しています。

ちなみに私の前任教会では、東北在住の信徒に自生しているネコヤナギを採取して送ってもらっていました。

もっとも上記のように、正教会では伝統としてその地域でポピュラーな木の枝を用いてきました。その意味ではネコヤナギの方が、史実の舞台であるエルサレムから見ればイレギュラーかも知れません。よって、わが国でもネコヤナギに固執する必要はないのであって、ネコヤナギが入手できないなら松や椿など、わが国の庭木としてよくある木の枝を使えば良いと私は考えています。

 

いまの私の管轄では今回、人吉ハリストス正教会の境内に植えたネコヤナギの枝を2月末に切り、それを保管しておいて、買ってきたチューリップなどの花を加えてラッピングしました。

このネコヤナギは私が着任した時、人吉教会の執事長が川辺川のほとりに自生していた木の枝を挿し木したものです。それが成長して今回つぼみをつけました。

まだ若木なので枝は4本しか採れませんでしたが、業者に高いお金を払い、ネコヤナギを買って体裁を整えるよりも、教会で育てた木の枝(たとえそれがネコヤナギの木でなかったとしても)を使うことに意味があると思っています。

参祷者に配ったネコヤナギの枝とチューリップの花

聖枝祭から来週日曜日の復活祭までの1週間を、正教会では「受難週間」(Passion Week)と呼び、イエスの受難への道、つまり上記の「キリストによる人類の救いのわざ」のプロセスを記憶します。

1年間で最も厳粛なこれからの1週間を、教会での祈りを通して送っていきます。

正教勝利の主日

今朝の人吉の最低気温は0.1℃。しかし日中の最高気温は20℃を超えました。

あまりにも寒暖差が激しくて、朝は暖房をガンガン焚いているのに、昼間は車の中が暑くて冷房を入れています。

ただ、季節は春に向かって駆け足で進んでいるようで、桜の開花予報もずいぶん早まりました。昨年同様、春分の頃には開花の見込みです。

 

さて、季節が冬から春に向かうこの時期、教会の方も復活祭に向けての大斎の時期に入っています。

一昨日の日曜日は熊本ハリストス正教会に巡回しました。

 

この日は大斎に入って最初の日曜日ですが、正教会では「正教勝利の主日」(Sunday of Orthodoxy)と呼んでいます。

これは843年の大斎第一日曜日に、当時のビザンチン帝国の最高指導者・テオドラ皇太后が、イコノクラスムの撤回を宣言したことを記念するものです。

正教勝利の主日 聖体礼儀


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730年に当時の皇帝レオン3世が、イコンの崇敬を偶像崇拝とみなしてこれを禁止する勅令「聖像禁止令」を出しました。これがきっかけで、ビザンチン帝国内でイコンを破壊する運動、イコノクラスムが起こりました。

教会内でもイコン擁護派と破壊派が対立し、論争が続きました。

そのため、キリスト教ではイコンをどう理解するのか、守るべきかそれとも廃するべきか、神学的な結論を出すため、787年に第7全地公会(The Seventh Ecumenical Counsel)と呼ばれる教会会議が開催されました。

そして論争の末、イコンはそれ自体を神として拝むためのものではなく、そこに描かれた原像(キリストや聖人、聖書の場面など)を思い出すために教会が伝統として守ってきたツールであり、偶像には該当しないとの結論に至りました。

 

この公会の決議に影響を与えたのは、イコンを擁護してレオン3世に抵抗したダマスコのヨハネ(676頃-749)の神学です。

ダマスコのヨハネ

彼の神学を要約すると「イエス・キリストは目に見えない神が目に見える人間となってこの世に来られた方であり、それを見て信じる者が救いに招かれているというのが教会の教えである。つまりキリストご自身が神のイコンなのだから、イコンを否定するのは矛盾している」というものです。

 

この全地公会の決議は、国家の最高権力者である皇帝の命令に対して、きちんと根拠を明示した上で反論したものであり、いわば「信仰は権力に屈しない」ことを証ししたものといえます。

もちろん国の側も一度出したお触れを引っ込めることはできず、イコノクラスムは継続しましたが、公会から60年近く経ってようやくテオドラ皇太后が国の誤りを認め、聖像禁止令を撤回したことで、「正統なキリスト教の教義(=正教)が権力に勝利した」というわけです。

 

ちなみに昨年の正教勝利の主日は3月13日。ロシアのウクライナ侵攻から2週間ほど経った時期でした。

その時にも「信仰は権力に屈しない」と書いているのですが、1年経っても未だにこの邪悪な侵略戦争が収まる気配がないことに心が痛むばかりです。

 

frgregory.hatenablog.com

 

一部の教会指導者が今もなお、この戦争がロシアにとって正しいものであるかのような発言をしてはばからないのですが、これは戦争を遂行しようとする国家権力を翼賛するものに他なりません。

そもそもロシアだろうと他のどの国だろうと、戦争を起こすことは国家の利益のために人が人を殺すものであり、それは聖書に記されたキリストの教えに背く行いだと私は以前から言い続けています。

そして教会はキリストの教えを正しく伝えるべき存在であって、権力者のイエスマンになってはなりません。それは上記の第7全地公会の理念に反するものであり、教会として自殺行為になってしまうからです。

 

たまたまニコライ堂の信徒がSNSに、同じ正教勝利の日に行われた月例パニヒダ(その月に永眠した信徒を記憶する合同パニヒダ)の中で、「ウクライナにおける不義の戦禍に傷つけ倒れしウクライナの人々のために祈る」という文言が追加されたと書いていたのを目にしました。

ニコライ堂日本正教会の本部ですから、これはこの度の戦争を「不当なもの」と考え、その犠牲になった「(ロシアではなく)ウクライナの人々のために」祈ることが日本正教会の意思だと表明しているといえるでしょう。少なくともロシアが正しい、戦争が正しいと言っている指導者には異を唱えていることになります。常識的で当たり前のことではあるのですが。

それならそうと、地方の教会にも伝達してもらいたいものだとは思いますが、こちらは以前からウクライナの人々のために祈っているので、私の気持ちは何も変わりません。

言えることは繰り返しになりますが、教会は権力に屈したりおもねったりすることなく、キリストの教えを実践するためにあるのであり、私もその一員として、今後も苦しんでいるウクライナの方たちのために祈り、助けたいと思っています。

他人と自分を比較することの落とし穴

今年の正教会の復活祭は、西方教会カトリックプロテスタント)と1週間遅れの4月16日です。

その復活祭の約7週間前、2月26日の夕刻から、復活祭に向けての準備期間「大斎」(Great Lent)が始まります。他教派では四旬節や大斎節など、呼称は様々です。

さらに正教会では少しややこしいことに、その大斎を迎える前の準備期間があり、今がその最中ということになります。

今年は2月5日に「税吏とファリセイの主日」、12日に「蕩子の主日」の聖体礼儀を巡回して執り行ってきました。

これらの呼称は、それぞれの日曜日に朗読される福音書のテーマにちなむものです。つまり税吏とファリセイの主日では「徴税人とファリサイ人のたとえ」(ルカ18:9-14)、蕩子の主日では「放蕩息子のたとえ」(ルカ15:11-32)が朗読され、それぞれの福音書が提示している教えをもとにして、大斎に入る前に自分自身を振り返ってみましょう、ということです。

 


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この二つの主日の、それぞれのテーマの説き証しは以前に書いていますので添付しておきます。

 

frgregory.hatenablog.com

 

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あえてこの二つの福音の共通点を抽出するならば、「他人と自分を比較することの落とし穴」と言えるでしょう。

 

徴税人とファリサイ人のたとえでは、神殿で「わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献じています」(ルカ18:12)、つまり律法に則った模範的な生活を貫いていることを誇るファリサイ人と、周囲から悪人だと蔑まれていて、自分も罪を自覚し「神様、罪人のわたしを憐れんでください」(同18:13)と祈る徴税人が対比されます。そしてイエスはこのケースにおいて義とされた、つまり神に正しい者とされたのは徴税人の方であり、ファリサイ人ではないと説きました。

理由はファリサイ人は「わたしは他の人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します」(同18:11)と言っているからです。

信仰が神と自分との関係に帰結するものである以上、自分自身が熱心な信仰生活を送っているという事実だけで十分であり、他人と自分を比較する必要はないはずです。しかし、このファリサイ人は自分を良く見せるため、あるいは優れた自分に満足したいために、やらなくてもいい「他人と自分との比較」をしていることで、かえって自分の価値を下げているのです。

イコン「税吏とファリセイ」

「放蕩息子のたとえ」は、二人の兄弟が父から財産を分けてもらったところ、次男はそれを放蕩で使い果たしてしまい、悔い改めて父のもとに帰る。父はそれを喜んで迎え、祝宴を開くという内容です。これを通して、「人間の罪とは」「悔い改めとは」「神の人間に対する無条件の愛」といったテーマが説かれています。

さらにこのたとえでは、追記事項として長男の反応が記されています。長男は、「このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる」(ルカ15:29-30)と言っています。要するに不公平だというクレームです。

日本人的な価値観では、おそらくこの長男の「支持者」は少なくないと思いますが、しかしそれなら「父親は財産を二人に分けてやった」(同15:12)という記述をどう考えますか、ということになります。

要するに、長男は自分がもらうべき取り分は既にしっかりもらっているのに、それには言及せず、また父が戻ってきた次男のために何をしようと父の側の意思であるにも関わらず、「放蕩な次男と比べたら自分の方が真面目なのだから、自分はもっともらって当然」と言っているわけです。

つまり、自分の人生は自分の人生、弟の人生は弟の人生なのだから、このケースでは素直に祝宴に着けば(たとえ内心は面白くないにしても)、自分もお相伴に与れるのに、自分と弟を比較するという余計なことのせいで自分が損しているのです。

 

福音書には他にも「空の鳥と野の花のたとえ」(マタイ6:25-34)など、他人と自分を比較することの弊害や無意味さを説く箇所がいくつもあります。

嫉妬、物欲、怨恨、虚栄心、傲慢または劣等感…数え上げればきりがないのですが、他人と自分を比較して、そういった落とし穴にはまってかえって苦しまないように、私自身も「今の自分の人生」を素直に受け止めて、前向きに物事を考えるように努めたいと思っています。