九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

信仰は権力に屈しない 正教勝利の主日

先週末は福岡に巡回していました。


www.youtube.com

 

福岡伝道所にはウクライナ出身の女性信徒が通っています。

彼女の故郷のドネツクは、まさにロシア軍に蹂躙されている地域です。わが人吉のように、不可抗力の自然災害だったならともかく、戦争という「人間の故意」によってふるさとが無残に荒廃したことを思うと、本当に同情に堪えません。

彼女の両親は既に亡く、ドネツクに親戚はいないようですが、外資系IT企業で働く息子さんがキエフに住んでいるとのこと。

ロシア軍の侵攻の可能性が高いからと、会社から「海外出張」という事実上の避難を指示され、キエフ空港から身一つで飛び立ったのが、まさに開戦当日の2月24日だったそうです。開戦後、ウクライナ政府は成人男性の出国を禁じたので、もし飛行機の便が一日、いや半日遅かったら現地に取り残されていたところでした。

しかし、このままでは故郷のウクライナに帰れる見込みがないので、出張扱いとはいえ、実質的な難民です。

それでも彼女の息子さんは出国できたのでまだラッキーでしたが、私が知っている他のウクライナ出身者の親族には避難中でまだ出国できない人々がたくさんいます。

 

そのような苦難にある人々のことを思いながら、聖体礼儀の最後に世界平和を祈るための晩課のリティヤを献じました。

f:id:frgregory:20220315101204p:plain

戦禍に苦しむ人々の救いと世界平和を願う祈り
(後方に憔悴したウクライナ出身信徒)

 

さて、この日は大斎に入って最初の日曜日。「正教勝利の主日」(Sunday of the Triumph of Orthodoxy)と呼ばれます。

これは843年の大斎第一日曜日に、当時のビザンチン帝国の実質的な最高権力者だったテオドラ皇太后が、イコノクラスム(聖像破壊運動)の撤回を宣言したことを記念するものです。

 

イコノクラスムの発端は730年、当時の皇帝レオン三世がイコンをキリスト教信仰で禁じられている偶像とみなし、破壊するよう命じたことにあります。

イコンはかつての禁教時代、ローマのカタコンベの壁に描かれるなど、初代教会から守られてきた信仰上の伝統でしたが、それに対して国家権力が弾圧を伴って介入してきたことになります。

もちろん教会側にもイコンの崇敬を疑問視する人々はおり、イコンの擁護派と反対派とで教会内での宗教論争が生じました。

ついに、787年に教会の全代表者を集めた第七全地公会が開催され、論戦の結果、「イコンを神として拝んでいるのでなければ偶像崇拝ではない」という結論が採択されました。古くから継承されてきたキリスト教信仰の伝統が、正式な教義として認証されたことになります。

その後も帝国側はイコノクラスム政策を止めませんでしたが、教会は公会の宣言を根拠にイコンの擁護を主張。ようやく半世紀以上も経って、国はイコノクラスムの撤回、つまり世俗権力の宗教への介入を止めるに至ったのです。正統なキリスト教会(Orthodox Church = 正教会)の主張が国家権力に勝ったという意味で、この記念日を正教勝利の主日と呼んでいるわけです。

 

「イコンは偶像でない」という教義は、イコン擁護派の論客だったダマスコのヨハネ(676-749)の言葉がベースとなっています。

f:id:frgregory:20220315160640j:plain

ダマスコのヨハネ

その考えを要約すると「私たちが信じているキリストとは何か。それは目に見えない神が、私たちと同じ人間となり、目に見える姿でこの世に来て下さった方だ」ということになります。そのキリストを通して当時の人々、特に使徒たちは直接福音の教えを受け、私たちの罪のために十字架上で死んだ姿、さらに復活して現れた姿に接することで、神の実在と死からの復活の真実性を確信できました。つまり「キリスト自身が神のイコンだった」というわけです。

そのキリストを信じていながら、教えを目で見えるように表現したイコンを否定することは矛盾である。これがダマスコのヨハネの言わんとしたことです。

 

そしてこの正教勝利の出来事が示しているのは、信仰は権力に屈しないということです。

もし当時のビザンチン国教会、今日の正教会が国家権力におもねる組織だったとしたら、皇帝の命令であるイコンの破壊に反対するはずがなく、むしろ進んで従ったでしょう。絶対的な権力に逆らって弾圧されるより、言われる通りに追従して利益を得る方が公的組織としては断然良いに決まっています。

しかし、教会はそうしませんでした。国家の圧力や社会の傾向に屈して教えを変えることは、信仰の放棄と同じだからです。この正教会の考えは現代でも変わりません。

 

今行われている「正教徒による正教徒への侵略」という異常な事態にあって(そもそも侵略戦争を主導する者にまともなキリスト教の信仰心があるとは思えませんが)、私たちの教会はロシアがどうとかウクライナがどうとか言う以前に、「戦争は絶対反対・世界平和が絶対に必要」という考えを崩さずに、今後も祈りを続けていきたいと思っています。