九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

東京に出張 今日は妻と母のお祝い

今週末にニコライ堂で開催される全国公会(教団の年次総会)に出席するため、今日から妻と東京に来ています。

私の自宅は東京にあり、今は母が一人で住んでいますが、人吉は遠すぎて、仕事が入らない限りなかなか上京できません。

 

飛行機の窓から富士山が見えると、東京に戻って来たなあと実感します。
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今日はたまたま妻の還暦の誕生日なので、5月に88歳になった母の米寿祝いも合わせて、自宅近くのビストロでディナーにしました。

シェフが釣り好きで、自分が釣った魚を料理して出す店です。店内には魚拓が何枚も飾られています。


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今日のメインディッシュは、シェフが釣ったヒラメのポワレでした。
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母の米寿の誕生日には、東京にいる私の子どもたちが母のためにパーティーをしてくれたのですが、今日は遅ればせながら親孝行ができて良かったです。

今は母が元気で、介護の必要がないため、お陰で私も遠隔地で神父を続けることができています。

 

仕事もプライベートも、東京にいる間に済ませたい案件がいろいろあるので、忙しい数日間になりそうです。

息子のお嫁さんと初対面

今日は東京の次男が、4月に入籍したお嫁さんを連れて人吉に訪ねてきました。

私が彼女に会うのは初めてです。

 

次男は大学を卒業後、IT系のベンチャー企業に勤めてまる三年になります。

学生時代から起業していたのですが、その時から今の会社の社長に見込まれていたようです。

入社した時から新規事業の立ち上げを任され、今はその事業部長。会社が上場して事業部が分社化した暁には社長に就く予定です。

彼に結婚を前提につき合っている女性がいることは、昨年知りました。

 

今年の3月、次男から「結婚することに決めた。彼女を連れて人吉に行くので会ってほしい。お父さんに婚姻届の証人にもなってほしい」と連絡が来ました。

しかし彼らカップルは土日しか休めず、こちらは逆に土日は毎週出張が入っています。しかも大斎期間中なので、祈祷する頻度が増えています。

それで「こっちは大斎で忙しくて、会えないから来なくていいよ。証人の署名はじーじ(東京在住の義父)に書いてもらって」と言って、会うのを断ってしまったのです。

 

彼女はノンクリスチャンの家庭ですから、当然教会の事情など知らないでしょう。きっと彼女も親御さんも、「結婚の挨拶に行くと言うのに断るなんて、何て非常識な父親だろう」と思ったに違いありません。

 

結局、次男たちは義父に会って婚姻届に署名してもらい、先月の彼の28歳の誕生日に合わせて入籍しました。

 

次男から再度連絡があり、平日である今日、二人とも休みが取れることになったとのことだったので、ようやく人吉に来てもらって会うことができたのです。

 

お嫁さんのアユミさん(仮名)は動物病院の看護師。私たちの長女と同い年で、次男の三歳年上です。とても落ち着いてしっかりした女性でした。

二人を見ていると夫婦というより、やんちゃで奔放な弟と手綱を引き締めるしっかり者の姉のきょうだいという印象です。

つまり、私にしてみれば、実の娘が一人増えたような気持ちになりました。

アユミさんは大変だと思いますが、息子と結婚してくれて本当にありがとう、と親として率直に思います。

 

彼らをわが家の夕食でもてなすことにし、熊本名物の馬刺しをはじめ、この辺りの食べ物をいろいろ出しました。

馬刺し。塊の馬肉を買ってきてスライス

人吉で同居している次女は、自分が勤めているベーカリーで特注のメロンケーキを買ってきました。本物のマスクメロンを繰り抜いて、果肉とクリームを詰めたものです。

特注のメロンケーキ

彼らは結婚式をまだ挙げていないので、わが家の食卓で「新郎新婦の最初の共同作業」として、ケーキカットをしてもらいました。

ケーキカット

彼らはわが家に3時間ほどいて、宿屋に帰って行きました。

仕事が忙しくて、明日はすぐ東京に戻るそうです。

 

アユミさんの親御さんには、7月に全国公会で東京に行った時にお会いし、非礼へのお詫びも兼ねて一席設けさせていただく予定です。

 

何はともあれ、今日は「神父」でなく「実父」だった一日でした。

マースレニツァ(乾酪週間) ケーキも食べ収め

先週のコロナ感染でしばらく教会での祈祷を休んでいましたが、今日の夕刻の晩祷から職場復帰ならぬ祈祷復帰しました。

明日は人吉ハリストス正教会で聖体礼儀と信徒総会。

夕刻からは大斎(Great Lent)のスタートとなります。

 

この大斎は復活祭の前日までの約7週間であり、主の受難を思い起こして節制し、主の復活を迎える準備をする期間という位置づけです。

その一環として、正教会では大斎期間中、原則として動物性食品、すなわち鳥獣の肉と卵、乳製品、魚を食べることを控えます(魚は食べることが許される日が多少あります)。これを英語ではFasting(断食)と言うため誤解されがちですが、特定の食材を断つという意味であって、何も食べないという意味ではありません。

面白いことに魚類でない水産物、つまり貝類、甲殻類、軟体動物などは禁止の食材ではないので、いくら食べてもOKです。

 

このことから斎とは、仏教の精進料理のように「殺生を禁じる」考えとは違うということが言えます(そもそも牛乳は牛を殺して作った食品ではない)。

斎で一定の食材が禁じられる意味は、人間が創造され、楽園(いわゆるエデンの園)にいた時の状態を思い出すことにあります。

楽園において人間は神から「園のすべての木から取って食べなさい」(創世2:16)と言われました。つまり楽園にいた時の人間は植物を食べて生きる者であり、動物は食べる対象でなく、共に園で生きる仲間だったということなのです。そして貝やカニなどの下等生物は、かわいそうですが仲間とは見なされないわけです。

 

さらに肉については1週間早く、先週の日曜日の日没から前倒しで禁食となります。よって肉が食べられる最後の日曜日を「断肉の主日」(Meat Fare Sunday)と呼んでいます。

そして断肉の主日の夜から、明日の日没の大斎の開始までの1週間を、酪農製品を食べ尽くす期間という意味で「乾酪週間」(Cheese Fare Week)と呼びます。

日本風に言えば「食べ収め」ですね。

 

ちなみに乾酪週間をロシア語では「マースレニツァ」と言います。これはマースラ(バター)から派生した単語で、直訳すれば「バター祭」というニュアンスです。

ロシア社会(国家としてのロシアではなく、ウクライナベラルーシを含む地域社会の意味。念のため)では、マースレニツァの1週間で卵とバターを使い切るために大量のブリヌイ(クレープ)を作って食べるという文化があります。

西方社会におけるカーニバル(謝肉祭)とは元来、四旬節正教会でいう大斎)に入る前に、肉を食べ尽くすという趣旨で始まったものですが、その意味でマースレニツァは正教社会のカーニバルということができるでしょう。

 

あいにくわが家では、わざわざクレープを作ることはしませんが、ベーカリーに勤めている娘がケーキを買って帰宅しました。

明日の夜はもう酪農製品は食べられませんし、日曜日は聖体礼儀が終わるまで何も食べられませんので、今日の夕食でケーキも食べ収めです。

ケーキも食べ収め

あと一日で、大斎もスタートです。

コロナ感染 その後

先週の木曜日に家族全員のコロナ陽性が判明してから、「外出自粛期間」ということで、ずっと家族で司祭館に閉じこもっていました。

幸いなことに、症状は一般の風邪と比較してもかなり軽いものでしたが、この病気に関しては感染拡大防止を最優先に考えなくてはならないので、仕方ありません。

 

しかし、今度の日曜日は人吉ハリストス正教会の信徒総会なので、決算書類やその他の資料を作らなくてはならないし、それに加えて3月号の教会報も作成しなくてはなりません。要するに、外出自粛だからといってブラブラ遊んでいられません。

その意味では、神様からまとまったデスクワークの時間をもらったと割り切って、朝から晩までパソコンに向かい合っています。

 

さすがに今日になると、あまりにも体を動かしていなかったので(屋外に出るのはゴミを出しに行く時と、玄関の横の郵便受けの中を見る時くらい)、気分が滅入ってきました。

それで午前中、妻と司祭館の庭の草むしりをしました。

寒くなり始めてから4か月以上放置して、草ぼうぼうになっていましたが、1時間半ほど作業したらすっかり綺麗になりました。

草むしり後の司祭館の庭

庭に満足して司祭館に入った途端、猛烈な鼻水とくしゃみが出始めました。

外出自粛になって外気に触れなかったせいか、スギ花粉症としばらく無縁だったのですが、どうやら庭仕事をしたことで大量に花粉を浴びたようです。

コロナが治っても次は花粉症…これには参りました。

 

いずれにせよ、コロナ罹患で関係者の皆さんにご心配をおかけしましたが、今週末は万全の体調で聖体礼儀に立ち、信徒総会も滞りなく進めたいと思います。

新型コロナ感染について

2月16日は正教会で「日本の亜使徒聖ニコライ祭」。日本正教会創立者・ニコライ大主教(1836-1912)が永眠した日です。

よりによってその日本正教会の記念日に、私自身と同居家族全員(妻と娘)の新型コロナ感染が確認されました。

常日頃、教会に参祷した信徒をコロナに感染させてはならない、そのためにはまず誰よりも司祭自身が感染しないように心がけなくてはならない、などと偉そうな大口を叩いてきたのに、結局自分が感染して、最も身近な信徒であるはずの自分の妻子に移してしまいました。ただただ情けなくて落ち込んでいます。

 

これまでの経緯は次の通りです。

昨年の猛暑の影響か、今年はスギ花粉の飛散が多いようで、スギ花粉症である私は先週からずっと鼻水に悩まされていました。

今週の月曜日、朝起きると喉にいがらっぽい違和感が。

花粉アレルギーが鼻だけでなく、喉まで影響を及ぼしたかと思いました。

 

しかし、昼頃になると37℃前後の微熱が出て来ました。

さすがにこれはおかしいと思い、今週のウィークデーの予定を全てキャンセルし、トイレや食事以外の時は寝室で横になって休むことにしました。

私も妻も、家の中ではマスクを着用し、寝る部屋やリビングで食事する時間帯をずらすなどの対策も取りました。

 

火曜日の朝になると体温は全くの平熱に下がっていました。

しかし、痰がからんで咳がひどく、声がガラガラになってしまいました。

 

ここでなぜすぐ病院を受診しないのか、と指摘されそうですが、今の県の指導としては発熱や呼吸困難などの顕著な自覚症状がある時のみ、かかりつけ医か県の専用コールセンターに電話して指示を受け、指定された医療機関の発熱外来を受診するシステムになっています。

多くの人が医療機関に殺到して業務を麻痺させないよう取られた措置です。

私の場合は火曜日の時点で発熱やその他の重篤な症状がなく、普通の喉にくる風邪と変わらなかったので、発熱外来を断られて自宅待機を求められることが初めから分かっている状態でした。いわゆる「様子見」です。

 

そして昨日朝、前夜から咳が出始めた娘が38℃台の発熱。

妻がかかりつけのM病院に連絡して、そこの発熱外来を受診し陽性が判明。

発症の順番から見て、彼女は私から家庭内感染したに違いないのですが、この時点では私たち夫婦が感染者の「濃厚接触者」となりました。

私自身の症状は発熱外来受診の要件を満たしていませんが、いわゆる基礎疾患(糖尿病)を持つ濃厚接触者に相当するので、娘から陽性との連絡を受けてから、かかりつけのT病院に電話。そこの発熱外来を受診でき、陽性と分かりました。

病院で受け取った検査結果通知

 

妻の症状はこの時点で咳だけで、熱はなかったのでM病院での検査を断られ、病院の隣の調剤薬局で検査キットを購入して自分で検査。やはり陽性でした。

発熱外来であれ、検査キットの購入であれ、どのみち費用は受診者側の自己負担だし、ましてかかりつけの医療機関なのだから、その病院で検査してくれれば良いのにとは思いましたが…

 

いずれにせよ、これで家族全員のコロナ感染が判明。7日間の「外出自粛」を求められたため、妻も娘も勤務先に連絡して仕事を休むことになりました。

 

私に関しては毎週、九州各地の教会を巡回することがルーティンの勤めですが、今週末は鹿児島の巡回日でした。

そこで急いで九州管区のSNS上に、司祭と家族のコロナ感染のため今週末の鹿児島での祈祷を中止することを告知。毎月鹿児島教会に参祷している信徒には電話やメールで直接、巡回中止を連絡しました。

また来週、京都に出張して教区行事の講演会と教職者会議に出席する予定でしたが、行かれないのでホテルと飛行機をキャンセル。教区事務局にコロナ罹患を報告し、講演会のオンライン視聴と会議のZoomでの出席の手配をしてもらいました。

 

一番気がかりなのは私が家族以外、特に教会の信徒に感染させていないかです。

発症を自覚したのは月曜日であり、前日の時点で既に感染していたとすると、日曜日の熊本ハリストス正教会の参祷者に移っていないとも限りません。

不幸中の幸いというか、熊本教会はもともと信徒が少なく、その日は高齢者とはいえ3人(90代2人、80代1人)しか信徒と接触がありませんでしたので、電話ですぐ本人に確認ができました。そして体調に異常をきたした人は誰もいなかったことが分かって、ようやく安堵しました。

 

昨日は娘の熱は39℃台まで上がり、妻は37℃台の微熱でしたが、娘は解熱剤を処方された(現在のところはコロナ治療に関わる医薬品は国費負担のため本人負担なし)おかげで、現在は二人とも平熱になっています。

他の症状は三人とも全く同じ、咳と声の異常のみです。同一のウイルスを共有(?)しているのだから当たり前かも知れませんが。

奇妙なことに発症前にあれほど出ていた鼻水は、ほとんど出ません。家族全員が外出しないことで、屋外のスギ花粉との接触がなくなったためと思われ、またこのウイルスは喉を傷めても鼻にはあまり影響しないのかも知れません。

また典型的なコロナの症状として挙げられている「倦怠感」「息苦しさ」「味覚・嗅覚障害」などは全くありません。

 

結果として幸いなことに、私たち家族は「軽い風邪」程度の症状で済みそうです。しかしワクチンを4回接種し、マスクの着用など常に気をつけていた私が、どこかであっさりとウイルスを貰ってきてしまい、同じ家の中でもあまり顔を合わせなかった娘(笑)にも簡単に移ってしまったことを思うと、このウイルスの感染力は尋常なレベルではないと痛感しました。

「2類から5類へ」「マスク着用は自由」など、コロナは大したことはないと心理的に誤解させる流れが形成されている印象ですが、むしろこのウイルスをなめてかかってはいけないと、文字通り体で覚えさせられた次第です。

趣味について バイオリンと合唱

私は高校に入って部活動でバイオリンを始め、卒業と同時に止めてしまいましたが、昨年から40年ぶりにバイオリンを再開したことは以前書きました。

今日でレッスンを始めてから1年となります。

 

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バイオリン教室の発表会(2022年7月)

 

再開した時は完全にズブの素人に戻っていましたが(そもそも、元々上手くありませんでしたが)、1年経ってだいぶ感覚が蘇ってきました。

バイオリンはあくまでも個人で楽しむための趣味のつもりでしたが、多少弾けるようになるとちょっと図々しくなり、いろいろ演奏してみたくなるものです。

たまたま昨年末、人吉市から十数㎞ほど離れた球磨郡あさぎり町で活動している弦楽合奏団があることを知りました。「弦楽アンサンブル楓」という名です。

定演などはなく、学校行事や福祉施設などでのボランティア演奏を主体にしているようです。

https://enskaede.exblog.jp

 

しかも偶然ですが、団長のA氏は私が知っている人だったのです!

A氏は相良村の開業医で、お母様が人吉ハリストス正教会のO執事長の叔母に当たります。お母様は幼児洗礼の正教徒でしたが、ちょうど3年前に亡くなり、私が葬儀を執り行っています。(A氏や他のご家族は信徒ではありません)

それでA氏への年賀状に「楓」に関心があると書いたところ、大歓迎との連絡をいただいたので、一昨日に練習場所のあさぎり町の公民館に楽器持参で行きました。

 

いまの団員は全部で10人ですが、弦楽五部(バイオリン第一と第二、ビオラ、チェロ、コントラバス)の全パートが揃っています。

「まずは一緒に弾きましょう」ということで、第二バイオリンのA氏の隣で楽譜を見せてもらい、早速練習に参加しました。

皆さん、人吉球磨のような田舎のどこで楽器を習ったのかと思うくらい上手で驚きました。私は楽譜が初見であること以前に、いまの自分の技術レベルでは少し難易度が高い楽曲だったので、ついていくのがやっとでしたが、今後の練習のしがいがあるというものです。

これから毎週月曜日の練習に通うのが楽しみです。

 

さて大学入学後、私は「早稲田大学グリークラブ」に入り、合唱を始めました。

社会人になってからは、前職時代も神学校に入った後も忙しく、合唱はそれこそ教会の聖歌隊でしか歌う機会がありませんでした。

しかし、50代になってから時間に余裕ができてきたので(神父としての仕事量は変わらないので、時間の使い方が上手くなったのでしょう)、一般の合唱団に参加するようになりました。もちろん、あくまでも趣味です。

正教会典礼は事実上、アカペラの小さなオラトリオみたいな形態なので、「教会で散々歌っているのに、神父が何でわざわざ教会の外に行って合唱をするのか」と言われたことがあります。しかし、私は聖職者としてであれ聖歌隊員としてであれ、教会で聖歌を奉唱することは、たとえそれがどんなに美しくて魅力的な合唱曲だとしても「祈り」であって、決して「趣味」ではないと考えています。つまり同じ合唱という行為であっても祈りは祈り、趣味は趣味であり、きちんと区別した上でどちらも真剣にやりたいと思っているのです。

 

以前見た統計に、社会人で合唱をしている人の人口比率は首都圏と関西の都市部に極端に集中していることが示されていました。つまり、そういう都会には社会人の合唱団がたくさんあり、より取り見取りの環境だが、地方では逆に大人の合唱団はあまり一般的ではないということです。

実際、人吉に来て、継続的に活動している合唱団がないと知った時は驚きました。

 

それで九州でも本格的に合唱を続けたかった私は、着任して間もなくの2020年1月、福岡の「九響合唱団」のオーディションを受けて入団しました。これはプロオーケストラの九州交響楽団(九響)の付属合唱団です。

練習に通うには福岡まで片道2時間半かかり、高速代もバカにならないのですが、それを惜しんでは合唱ができないのだから仕方ありません。

しかし、そのように苦労して参加したのも束の間、コロナ禍のため出演予定の九響の演奏会が次々と中止になってしまいました。高速代を返せとコロナウイルスに言いたい気持ちです。

ようやく昨年の10月と11月、福岡で九響の演奏会に出演でき、九州に来てから三年かかって舞台上でのリアルな合唱を経験しました。心から嬉しく思いました。

 

frgregory.hatenablog.com

 

さてその演奏会と同時期、鹿児島教会の信徒から、鹿児島の音大に合唱団があるという話を聞きました。

ネットで調べてみると、それは鹿児島国際大学(単科の音大ではなく、音楽科のある総合大学)の学内の合唱団で、しかも昨年から学外の一般団員も公募していることが分かりました。

ドイツ人声楽家のウーヴェ・ハイルマン氏が指導している「ハイルマン合唱団」という団体です。


ハイルマン合唱団 (@iuk_music) / Twitter

 

学内メインのためか、ネット上で公開情報があまり更新されていなかったので、昨年末に入団の可否についてメールで照会したところ、ハイルマン先生から直接電話がかかってきて、歓迎しますとのことでした。

練習は火曜日ですが、これまで出張や葬儀などの公務が重なったため、昨日ようやく初参加しました。演目はバッハ作曲「マタイ受難曲」です。

 

鹿児島国際大学のキャンパス内の練習場所に来てみると、集まったのは30人ほどで、大部分は音楽科の学生でした。中年の方も若干いましたが、教職員だったようです。学外、それも鹿児島県外から来て、さらに学生諸君の父兄よりも年長であろう私にはもの凄いアウェイ感でした…

練習日程を見ると、昨年末から始めて3月の本番まで10回足らずしかなく、マタイ受難曲のような超大曲なのにどうするのかと思ったら、学内で毎年演奏しているようです。つまり「みんなが歌える曲」ということですね。

ソリストは声楽専攻の学生に割り振られていました。ハイルマン先生の練習内容も合唱に対してよりも、ソリストの学生に対する歌唱指導の方が中心でした。

また合唱団とは別に、オケも器楽専攻の学生と教員で編成されているそうです。

 

どうやらこの団体は趣味のサークルというより、音楽科の教育の一環として運営されているように思われましたが(よって会費も演奏会のチケットノルマもない)、前述のように「本格的に合唱を続けたい」私には願ったりかなったりです。

しかも福岡より鹿児島の方が断然近く、高速代も安く済みます!

 

以上の結果、趣味に関しては今後毎週月曜日にあさぎり町弦楽合奏、火曜日に鹿児島で合唱、水曜日にバイオリンの個人レッスンというスケジュールになりました。九響の方は12月の本番に向けて、夏に練習が再開されるので、それが始まったら福岡に行く機会がさらにプラスされます。

音楽という趣味を続けるには、首都圏に住んでいた時と比べるとだいぶハードルが高いのですが(神父なので本番が日曜日なら辞退することは従来どおり)、仕事と趣味を両立させて充実した日々を過ごしたいと思っています。

この新年が「主の禧年(よろこばしき年)」となりますように

新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

 

元日の今朝は晴天との予報だったので、初日の出を見に行きました。

司祭館のすぐ近くに小高い丘があり、頂上が村山公園という公園になっていて、人吉市内が見渡せる展望台があります。

昨年の初日の出は人吉ハリストス正教会の近くの球磨川の岸辺で見たのですが、川原より丘の上の方が良く見えるだろうと思い、7時に起きて妻と行ってみました。

九州の日の出の時刻は東京より30分ほど遅く、今日の日の出も7時18分なので、そのようにのんびり出かけても初日の出には楽勝で間に合うのです。

 

7時20分過ぎに村山公園の展望台に着くと、既に20台以上の車が!

これまで私が知らなかっただけで、どうやらここは人吉の初日の出の名所だったようです…

公園の大して広くない展望台にも30人近い人々がいました。

初日の出を見ようとする人々(7時30分)

しかし、写真でも分かるように辺りは一面の濃霧に覆われており、既に日の出時刻は過ぎているのに全く太陽は見えません。

 

球磨地方、特に人吉市は晩秋から冬にかけて濃霧で有名です。

これは盆地で昼と夜の寒暖差が極端なため、放射冷却で起きる現象です。

皮肉なことに放射冷却は、晴天の時に起きます。つまり、曇りや雨の日に霧は発生しません。

 

おそらく雲一つない空に昇る朝日が白々と輝いているはずにも関わらず、地上にいる私たちには全くそれが見えません。

濃霧で朝日は全く見えない(7時40分)

いま人吉では毎朝氷点下ですが、この時もマイナス2℃。

寒いのに加えて全く日の出が見えなくて、展望台にいた人も一人減り二人減り、ついに7時45分頃には公園に誰もいなくなってしまいました。

 

私たち夫婦も諦めて、人吉教会に向かいました。

 

教会では元日の祈祷である「新年感謝祈祷」(Thanksgiving Service of New Year)を執り行いました。

新しい年を迎えられたことを神に感謝し、この新しい年にも神が私たちに恵みを与えてくれるよう祈る内容です。

もちろん、ウクライナで苦しむ人々の救いと平和の実現も追加して祈っています。

新年感謝祈祷


www.youtube.com

 

人吉に来て4回目のお正月ですが、元日の祈祷に信徒が来たことはただの一度もありません。

しかし、4教会を兼務している私が新年の祈りを人吉でしなければならない決まりはないし、信仰は自由ですから、信者が教会に来なくてはならない義務もないのでお互い様です。

ただ言えるのは、信者が100人来ようとゼロだろうと、私は司祭ですから祈ることは変わりません。来年は人吉以外のどこで新年を迎えるか、考えることにします。

 

祈祷を終えて司祭館に戻ると、ようやく霧が少なくなって太陽が空にぼんやりと見えました。

霧の向こうに見える太陽(10時)

妻の手作りのおせち料理で、二人で新年最初の食事をしました。(娘は起きて来ませんでした)

おせち料理と雑煮

熊本では新年に郷土料理の「からし蓮根」を食べる習慣があるそうなので、一切れ入っています。さすがに手作りではなく、買ったものですが。

また、熊本のお屠蘇は「赤酒」という、みりんに似た熊本特産の酒を用います。お屠蘇用の洒落た酒器は我が家にはないので、鹿児島の焼酎用の酒器「黒じょか」に入れました。肥後国薩摩国のコラボです。

鹿児島の黒じょかと熊本の赤酒のコラボ

ちなみに人吉球磨地方では県北の熊本地方と異なり、おせち料理には真っ赤に染めた「酢だこ」(年末のスーパーで山積みになって売られています)、飲み物は赤酒でなく「球磨焼酎」が必須なのですが、さすがに朝から焼酎は厳しいものがあるので夕食に回しました。

同じ九州どころか、同じ県内でも地域文化や習慣が様々だというのが、これまで地方での生活をほとんど経験したことがなかった私には実に面白く感じられます。

 

さて、話を教会の新年の祈りに戻します。

朗読される福音書はルカ4章16~22節。イエスが会堂で、旧約聖書イザヤ書61章を朗読して、「この聖書の言葉は今日実現した」と言った箇所です。

つまり、イザヤが預言した救世主の到来はイエス自身、すなわち神が人となってこの世に来たことによって実現したという意味です。

イザヤ書の該当箇所を全文引用すると次のようになります。

 

主はわたしに油を注ぎ

主なる神の霊がわたしをとらえた。

わたしを遣わして

貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。

打ち砕かれた心を包み

捕らわれた人には自由を

つながれている人には解放を告知させるために。

主が恵みをお与えになる年(を告知させるために)。

(イザヤ61:1-2、新共同訳)

 

ちなみに上記で「主が恵みをお与えになる年」と訳されている箇所は、日本正教会訳では「主の禧年(よろこばしき年)」となっています。

 

わが国では伝統的にお正月、特に元日が特別な日と位置付けられ、宗教とは関係なしに誰もが「今年も良い年となりますように」などと普通に言っているのですが、では「良い年」とは具体的に何なのでしょうか。

キリスト教ではこの聖句が示すように、「この世の全ての人間をとらえて離さない『死』とそこから派生する『生きることへの絶望』からの、キリストによる解放」と明確に位置付けています。

キリストが来られたのは2千年前ですから、とっくの昔に良い年は来ているのですが、罪深い人間の側がいつも悪い年に変えてしまっていると言えるでしょう。

死の恐怖も絶望も、世界中の誰にでも共通する問題ではありますが、ウクライナではまさにリアルで「打ち砕かれた心の人」「捕らわれた人」「つながれている人」が何万人もいることもまた、世界中の人々は知っているはずです。

この2023年、神が彼らを苦難から救い、解放してくださるよう私は祈ります。

 

ちなみに上記で引用したイザヤ書の聖句の続きは「わたしたちの神が報復される日を告知して」(イザヤ61:2)です。

政治指導者だけでなく、宗教者でさえも、あの侵略戦争が正しいものであるかのように言って憚らない人がいます。しかしそのように「人の心を打ち砕き」「人を捕らえ」「人をつなぐ」者には何が待っているかもイザヤは預言しているのです。

信仰も思想も自由ですから、神を信じようと信じまいと、あるいは神をどのようにねじ曲げようとその人の勝手ですが、それで自分は将来良い方に報いられるのか悪い方に報いられるのかと考えたら、良い方がいいに決まっています。

そのために求められるのは宗教や思想以前に、「良識」ではないでしょうか。

世界平和の実現の前提として、良識が優先される世界の実現を祈るばかりです。