九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

「海道東征」演奏を振り返って

今週の月曜日、アクロス福岡九州交響楽団による「海道東征」の演奏会に合唱で出演しました。

 

海道東征とは、古事記日本書紀の神武東征の記述をもとに北原白秋が詩を書き、それに信時潔(「海ゆかば」や「慶應義塾塾歌」の作曲者として有名)が曲をつけた日本初のカンタータです。

昭和15年の紀元二千六百年奉祝芸能祭で初演されました。

当時のそのような政治的背景もあって、戦後は長いこと演奏が封印されてきましたが、この10年くらいでしばしば演奏されるようになっているようです。

私自身は個人的に、音楽であれ文学であれ絵画であれ、よほど公序良俗を乱すものだったり、差別やヘイトを喚起するものでない限り、意図的に、まして政治的思惑でそれを排除すべきでないと思っています。芸術において表現の自由は守られるべきであり、よって作者の意図や時代背景なども、一人ひとりの鑑賞者の理解に任されるべきだと考えるからです。

その意味で、音楽を趣味にしている者の一人として、少し前まで社会的に封印された「幻の曲」の演奏に参加できたことは有意義な経験だったと思います。

「海道東征」演奏会パンフレット

合唱曲としては、どういうわけか全体に音域が低すぎて歌いにくく(特にソプラノやテナーといった高音パートには厳しい)、実際に歌う側としては今ひとつなのですが、楽曲としては荘厳な箇所、明るい箇所、感傷的な箇所、勇壮な箇所等々、色彩が豊かです。

要は歌だけではなく、オーケストラが伴って初めて魅力が伝わる音楽という印象でした。

実際、合唱の練習に参加していて、本番の1か月前まで「みんな、こんなに歌えなくてよく平気だな(偉そうで済みません…)」と思っていましたが、オーケストラと合わせたら格段にノリが良くなり、本番も素晴らしい出来だったように思います。そこは曲の持っているポテンシャルに加え、マエストロの現田茂夫氏と九響の音楽を引き出す力によるものでしょう。

 

合唱曲としては今ひとつと書きましたが、北原白秋による大和ことばの歌詞は実に格調があって素晴らしいものです。

今年は昭和17年に白秋が亡くなって80年ということで、命日の翌日の11月3日に彼の郷里・柳川の北原白秋生家を見学に行きました。そして最晩年の白秋が渾身の思いで「海道東征」を書きあげたことを見てきましたので、とても感慨深いものがありました。

 

frgregory.hatenablog.com

 

また、11月23日に宮崎市に出張し、パニヒダを献じてきたのですが、せっかく宮崎まで来たし、翌週には「海道東征」の本番があるからということで、皇祖発祥の伝説の地である高千穂まで足を延ばしました。ちなみに海道東征の第一曲の題名は「高千穂」です。

高千穂では天照大神伝説の場所や高千穂峡の綺麗な景色、さらに国の無形重要文化財に指定されている高千穂神楽を鑑賞するなどしてきました。

高千穂峡

天安河原天照大神伝説の場所の一つ)

重要無形文化財「高千穂神楽」


私自身は皇室の先祖が神だとはもちろん思っていません。また高千穂に行ってよく分かりましたが、九州の豪族であったとしても、少なくともこの地方の出身だとは思わなくなりました。
というのも、高千穂は山奥すぎて耕作地がほとんどなく、また海からも遠すぎて交易が困難だからです。

私は皇室の先祖は福岡県周辺の玄界灘沿岸を本拠とし、中国や朝鮮と交易していた人々だと想像します。実際、福岡市の志賀島では、西暦57年に漢の皇帝から贈られた国宝「漢委奴国王印」が発見されていますから、そういう力のある豪族があの辺にいたことは間違いありません。そもそも奈良のような遠方まで攻め上るには、それなりの経済力と軍事力が必要であり、そのためには大陸から輸入した鉄器などの先進的な道具や武器が不可欠なはずです。

しかし、それを差し引いても、わが国の古代伝説の舞台を見てきたことは、海道東征演奏の良いイメージトレーニングになりました。

 

いずれにせよ、今回の海道東征の演奏にあたって、ただ単に福岡で合唱を歌ってきたということに留まらず、日本古代史のロマンに思いを馳せる機会ができて良かったと思っています。