九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。2019年から九州全域を担当しています。

生神女進堂祭 自分自身の体こそが神殿

昨日、12月4日は福岡伝道所に巡回しました。

この日(ユリウス暦の11月21日)は生神女進堂祭の祭日です。


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イコン「生神女の進堂」

 

生神女進堂祭とは、生神女(イエスの母)マリヤが3歳の時、両親のヨアキムとアンナのもとを離れてエルサレムの神殿に捧げられ、そこで育ったことを記念する祭です。

マリヤの生涯は聖書に記述がないので、あまり祭としては広く認知されていないのですが、正教会では降誕祭などと同じ「十二大祭」に位置づけられる大変重要な祭日とされます。

 

西方教会カトリックプロテスタント)では降誕祭の4週間前からアドベント待降節)に入ります。これは「降誕祭を待ち望む期間」と位置付けられます。

東方正教会では、1月7日(ユリウス暦の12月25日)の降誕祭を迎える準備期間として11月28日(ユリウス暦の11月15日)から40日間の斎(動物性食品を断つ期間)となります。つまり、「クリスマスをウキウキと楽しみにする」よりは「神が人類を罪と死から救うためにこの世に来られることを、節制して厳粛に受け止める」という位置づけと言えるでしょう。

しかし、そうは言うものの、キリスト教社会で降誕祭は晴れやかな祝祭日であることには変わりありません。

正教会では生神女進堂祭以降、聖体礼儀の前の祈祷である早課(日本正教会ロシア正教会にならって、聖体礼儀の前夜に行われる)の中で歌われるカノンという聖歌が、降誕祭のそれに切り替わります。つまり、聖歌だけは実際の降誕祭から約1か月先取りして歌い、「もうすぐクリスマス」という気持ちを高めているわけです。

その意味では、生神女進堂祭が西方教会で位置づけられるところの「アドベント」の初日、と言えるかもしれません。

 

さて、マリヤが神殿に入ったことがなぜそんなに重要なのかというと、マリヤが後に神の子を胎内に身籠ることによって、彼女自身が「生ける神殿」になったことの預象だと考えるからです。

さらに人間であるマリヤを通してキリスト、つまり「神が人間の肉体を取って」この世に生まれてきたのであり、それを信じて洗礼を受け、聖体(キリストの体と血)に与る私たちクリスチャンもまた、自分自身と神との一致を実現しているとも考えます。

つまりマリヤだけでなく、一人ひとりの私たちクリスチャンの体も「生ける神殿」なのだということです。

新約聖書パウロは「私たちは生ける神の神殿なのです」(コリント後6:16)と書いていますが、これはそういう意味です。

 

また、パウロはコリント前書の5章から6章にかけて、性的にみだらな人や不正な行いの人との関係を戒めています。それは単に不道徳だからいけません、という意味ではなく、「自分自身の体こそが神殿なのだから、それをわざわざ汚すような真似は止めろ」ということです。指摘の個所を引用すると次のようになります。

「みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです。知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです」(コリント前6:18-19)

 

この「自分自身の体こそが神殿」という考えは、単に性的なものだけに留まらず、広く「健康の維持管理」にも繋がるものです。今回の福岡での聖体礼儀でも、説教でそのことを話しています。

 

しかしその意味では私自身も偉そうなことは言えません。

私はたくさんの人々と交流を拡げるのが好きで、毎晩のように外で飲食することが多かったのです。若い頃は何ともなかったのですが、50代になってから酒量も体重も減ったのに、血糖値だけがメキメキと上がって糖尿病になってしまいました。

糖尿病は不摂生な人が誰でもかかる病気のように誤解されている向きがありますが、同じ生活をしていてもなる人とならない人がいることから分かるように、一番の原因は「遺伝」です。つまり、糖尿病になりやすい遺伝子を持っている人が「内臓脂肪型肥満」「炭水化物の過食」「過度の飲酒」「運動不足」「ストレス」「加齢」「妊娠」など、様々な引き金で発症する病気です。

私は亡父が若い頃から糖尿病で、自分自身もたまたま10年くらい前にDNA検査を受けたところ、「日本人平均の1.8倍糖尿病になりやすい遺伝子」の持ち主という結果が出ていました。つまり始めから分かっていたのにこのザマです。

治療を始める直前は空腹時血糖値が220台(標準は100未満)、Hba1cが10.7(標準は5.5以下)で、すぐにインスリン治療を始めないと生命に関わると言われました。しかし、投薬のみでの様子見をお願いして治療を始めたところ、幸いなことに上手くいき、すぐに数値が標準範囲に収まって今に至っています。網膜や腎臓などの危険な合併症の懸念は今のところ全くありません。

また血圧や尿酸値など、血糖値以外は昔から全て標準値です。

その代わり治療を始めてから自発的に、スマホのアプリで毎朝の体重、その日食べたものの食材ごとのカロリーと栄養素、消費したカロリー(ジム通いでの運動内容だけでなく、その日歩いた時間と距離、祈祷などで立っていた時間、車を運転していた時間なども含む)を全て記録して、目標を管理しています。

そんなに自己管理できるなら何で始めからやらなかったのか、それなら病気にならなかったのにと言われても仕方ないですが、だからと言って「どうせ糖尿病は不治の病だから好きに生きるんだ」と諦めて、成り行き任せでさらに悪化させるよりマシでしょう。

 

つい先日、俳優の渡辺徹さんが亡くなったと報じられていました。好きなタレントの一人でしたし、年齢も近いのでショックです。

彼は一時、相撲取りのように太っていたし、過去に心臓病で手術を受けたことも当時の報道で知っていましたが、30歳で糖尿病を発症し、6年前から人工透析を受けていたことは初めて知りました。

つまり生涯の半分が闘病生活だったということです。

亡くなられた経緯も、糖尿病かつ人工透析患者に見られる「感染症への抵抗力の低下」によるものであることは明らかで、同病の一人として身につまされる思いです。

 

私自身の肉体という神殿は、病気のせいで雨漏りが始まりましたが、これ以上のあばら屋にならないよう管理していきたいと思っています。