九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

聖大土曜日 死から復活への移動日

今日は復活祭の前日の聖大土曜日。日本正教会用語では「聖大スボタ」といいます。スボタとは「安息日」を意味する教会スラブ語で、曜日としては土曜日のことですが、わが国では馴染みがない単語なので、私は一般向けの文章では「土曜日」と表記しています。

 

カトリック教会では、この土曜日はミサを行わず、夜から(つまり日曜日という位置付け)復活祭のミサが始まりますが、正教会では聖体礼儀を行います。

それは十字架上で死んだキリストが、墓の中で死から復活に移動している時だと考えるからです。

つまり日曜日の主の復活とは、正確な時系列としては「日曜日の朝、既にキリストが復活して、墓にいないことがマグダラのマリヤらによって発見された」のであり、復活自体はその前に神しか知らないプロセスで進行していたという理解です。

この「死から復活へのプロセス」を記憶するのが、聖大土曜日の聖体礼儀の趣旨です。

 

これを反映して、聖大土曜日の聖体礼儀では司祭は黒い祭服を着ていますが(下の写真1枚目)、福音書の朗読の前に祈祷を中断して、大斎の約7週間、聖堂内に掛けられていた黒い布を取り除き(写真2枚目)、司祭も白い祭服に着替えて信徒の前に現れます(写真3枚目)。


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「死から復活への移動」を理屈でなく、視覚で一瞬に説明する、素晴らしい典礼だと思っています。

 

昼過ぎに聖体礼儀を終えて、繁華街の天文館にあるフォーク喫茶「音楽館 Rain」に行って昼食を取りました。

ここは、鹿児島のウクライナ避難民支援をされている本田さんのご両親が営んでいる店です。

売上げの一部を支援金に充てている「ウクライナ支援ランチ」をいただきました。

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こちらで5月5日に、ウクライナについてのお話をさせていただくのですが、ポスターやチラシも作ってくださっていました。

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ご夫妻にフォークの生演奏もしていただきました。

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午後は教会に戻って、妻と明日の復活大祭に向けて、聖堂内の設営をしました。

今日の鹿児島は大雨で、明日も降り続く予報ですが、盛大にお祝いできればと思っています。

聖大金曜日 キリストの受難の記念日

今日は聖大金曜日。キリストの受難の記念日です。

平日の祈祷は人吉ハリストス正教会で執り行っていましたが、今年の復活祭の当日は鹿児島の巡回日に当たっていたので、金曜日と土曜日の祈祷も鹿児島で行うことにしました。

 

昼に鹿児島ハリストス正教会に到着し、「寝りの聖像」を置く台を聖堂内に設営。
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十字架上でイエスが息を引き取った時刻である15時に「聖大金曜日の晩課」を開始。

祈祷の終わりの方で至聖所から寝りの聖像を出し、台の上に安置します。

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寝りの聖像とは、死んで十字架から降ろされたイエスを描いたイコンです。

一年の中で聖大金曜日から、日曜日の復活祭の開始直前までの間だけ、信徒の前に出されます。
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16時からイエスの葬りを記憶する祈祷「聖大土曜日の早課」を開始。本来は日が暮れてから行うものですが、私のハイテンポな司祷でも2時間以上かかるため、参祷者の帰りが遅くなってしまわないよう、明るいうちから始めました。

祈祷の終わりの方で、寝りの聖像を掲げて聖堂を一周します。アリマタヤのヨセフらがイエスの遺体を墓に運んだ葬列を象るものです。
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教会の敷地内には花ショウブやツツジなど、花々がたくさん咲いていました。
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鹿児島で受難週間の祈祷が行われたのは、常駐司祭が鹿児島から人吉に移って以降、20年近く無かったとのこと。物珍しさもあってか(?)5人も参祷者がありました。人吉では日曜日以外の祈祷には誰も信者が来ないので、今回は司祷する側も張り合いがありました。

 

明日の祈祷にも来たいと言っている信徒がいましたので、出張して良かったと思いました。

聖大木曜日について

今日は復活祭前の木曜日。正教会では聖大木曜日(Holy Great Thursday)といいます。キリストが十字架につけられる前夜、12人の弟子たちと囲んだ晩餐を記念します。

一般的には「最後の晩餐」と呼ばれますが、正教会ではこの時にキリストがパンと葡萄酒をご自身の体と血に変化せしめたこと、すなわち主が聖体機密を制定したことを重視して「機密の晩餐」または「主の晩餐」と呼びます。

山下りん「主之晩餐」(人吉ハリストス正教会所蔵)

その意味では、日曜日に教会で行われている聖体礼儀自体が最後の晩餐を記念する典礼なのですが、聖大木曜日は「年に一回の聖体機密の記念日」ということで、どの教会でも特別なことを行います。

それは、一年間保管しておくための「予備聖体」を作ることです。

もちろん、今日は私も人吉で予備聖体を作りました。

 

聖体は「食べることに意味がある」ので、聖体礼儀で余ったら残しておくことはしません(これはカトリック教会と考えが違うところです)。聖体礼儀が終わった後で、聖職者が全部食べてしまいます。尊血(葡萄酒)の一滴たりとも残すことは許されません。

しかし病気や高齢などの理由で教会の聖体礼儀に参祷できない人は常に存在しますし、特にそういう人が危篤に陥った場合、緊急に聖体を届ける必要が生じます。

そこで、そういう事態に備えて、保管用の予備聖体を聖堂内に用意しておくのです。

 

予備聖体は聖大木曜日の聖体礼儀で聖変化(パンと葡萄酒がキリストの体と血に変化すること)した聖体を細かくスライスし、フライパンで熱してラスク状にします。

予備聖体作りのためのフライパン。他の用途に使ってはならない

これを宝座(祭壇)の上の聖龕(せいがん)という容器に納めます。カトリック教会の聖櫃(せいひつ)に相当します。

人吉ハリストス正教会の聖龕

夕刻からの祈祷「聖大金曜日の早課」では、キリストの受難を振り返るため、ヨハネ伝を中心に四福音書から受難について書かれた記事を12箇所、聖歌や祈祷文を間に挟みながら司祭が朗読します。これを「十二福音の読み」(Twelve Gospel Reading)といいます。

十二福音の読み(聖大金曜日早課)

西方教会では修道院で行われていた「受難劇」が発展して、音楽のジャンルとしての「受難曲」ができました。バッハの作品でよく知られています。

私たちの「十二福音の読み」は、まさに正教会版受難曲と言っても良いかもしれません。

 

frgregory.hatenablog.com

 

私も妻も、朗読も聖歌もテンポが速い方なので、私が司祷する祈祷は比較的早く終わるのですが、それでもこの十二福音の読みは2時間以上かかります。

月曜日から昨日まで、毎日4時間の祈祷でヨハネ伝を通読しましたが、今日もたっぷり聖書を朗読したことになります。

 

「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)

「私はぶどうの木、あなた方はその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。私を離れては、あなた方は何もできないからである」(ヨハネ15:5)

「剣をさやに納めなさい」(ヨハネ18:11)

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)

これらは今日読まれた福音書の中の一節です。まさに今この時、戦争がいかに反キリスト的な振る舞いか、そしてキリスト者はどう考え、どう行動するのが正しいのか、改めて示唆を与えられたように感じました。

 

明日は聖大金曜日。キリストの受難の記念日です。

明日から復活祭までの三日間は、鹿児島教会で祈祷する予定です。

十字架上の苦しみと死を経て復活したキリストが、今苦しみにある人々に救いをもたらすよう、祈りたいと思っています。

 

 

受難週間の祈祷 & ウクライナ支援活動の進展

今週は復活祭前の1週間「受難週間」(Passion Week)です。読んで字のごとく、キリストの受難を記憶する期間であり、毎日祈祷を執り行っています。

月曜日から水曜日までは、それぞれ7つの祈祷(早課、一時課、三時課、六時課、九時課、晩課、先備聖体礼儀)を通しで行います。所要時間は4時間ほどです。

この三日間の祈祷の特徴は、四福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)の全巻通読を行うことです。キリストの受難は単独で意味をなすものではなく、神の子が人間としてこの世に来られ、福音を宣べ伝え、十字架につけられ、三日目に復活したこと、つまりキリストのこの世での全生涯に意味があるので、それを聖書の朗読を通して振り返るのです。

もっとも全巻はあまりにも時間がかかり過ぎるので、日本正教会では慣習として、四福音書のうちの任意の一巻だけにしています。

今年はヨハネ伝を選びましたが、それだけでも読み応えがあります。しかし、聖書の一節だけでなく、全部を通して声に出して読み上げるというのは、日常のクリスチャンライフの中であまりやらないことだと思います。その意味では、受難週間の三日がかりの福音書通読は意義のあるメニューだなと思っています。

ヨハネによる福音書の通読

 

さて、九州の草の根でウクライナ支援に関わっている方たちと連携を進めていることは既に書きました。

 

frgregory.hatenablog.com

 

5月28日の熊本市での「お話会」は、熊本県立大学のご関係者がとても立派な案内チラシを作ってくださいました。

ウクライナについての「お話会」案内

私の方でもカラーコピーして教会報に同封し、今週末の復活祭の祈祷が終わったら発送することにしています。

来週発送予定の教会報を印刷

また、宮崎市の有志演奏家の音楽投稿サイト "Playing for Ukraine" では、演奏動画がアップされています。

https://sites.google.com/view/playingforukraine/videos

ピアノの前に置いてある生神女マリヤのイコンは、人吉ハリストス正教会の聖堂に安置してあるものです。国民の大部分が正教の兄弟姉妹であるウクライナの人々が、マリヤの転達(取り次ぎ)により救われるよう願って、お貸ししました。

私も復活祭が過ぎたら、聖歌を歌って提供する予定でいます。

 

報道によれば、国連事務総長が今週末の復活祭に合わせて一時停戦するよう、ロシア政府に呼びかけました。

しかし、ロシア政府は拒否しているようです。当たり前でしょう。

プーチン大統領に復活祭を守るくらいの信仰心があるなら、初めから戦争なんか起こすはずがないからです。

そもそも「正教徒にとって復活祭は大切なのだから戦争を止めろ」と呼びかけるのは、ロシアの教会の仕事のはずです。しかし、それをしないのは、教会の存在意義の自己否定以外の何ものでもありません。同じ正教徒の一員として本当に情けなく思います。

 

ウクライナから遠く離れた日本にいる私には、大したことはできないのですが、苦しむ兄弟姉妹の救いのために今後もできることに取り組んでいきます。

聖枝祭 「枝」とは何の木の枝?

今日は人吉ハリストス正教会で聖枝祭の聖体礼儀を執り行いました。聖枝祭とは復活祭の1週間前の日曜日で、イエスエルサレム入城を記念する祭日です。


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ヨハネによる福音書12章では、エルサレム市民がシュロの枝を持ってイエスを迎えたとあることから、聖枝祭の聖体礼儀で参祷者は木の枝を持つのが正教会の伝統です。

何の木の枝を使うか、関心があって以前調べてみたことがありますが、同じ正教会でも地域によって違いがあって面白く思いました。

中近東では聖書の記述どおりシュロの枝ですが(そもそも聖書の舞台は中近東)、ギリシャなどのバルカン地方ではオリーブなどの常緑樹の枝です。コーカサス地方ジョージアでは木ではなく草(名前は不明)のように見えました。寒冷地のロシア圏では、シュロとは似ても似つかない、ネコヤナギの枝と相場が決まっています。

実際、聖書にも市民がシュロの枝を持っていたと書いてあるのはヨハネ伝だけで、マタイ伝には「木の枝を切って道に敷いた」(マタイ21:8)、マルコ伝には「野原から葉のついた枝を切ってきて道に敷いた」(マルコ11:8)とあり、何の木の枝だったかは書いていないし、そもそも手に持っていたとも書いてありません。

教会の側も「ヨハネ伝にシュロと書いてあるから枝はシュロでなければ許されない」ではなく、キリスト教が様々な地域に宣教されていく過程において、その地域ごとの風土と気候にマッチした植物が選ばれ、伝統化していったのでしょう。正教会の「多様な文化の信仰による一致」という特性が良く表れていると思っています。

 

日本正教会はロシア経由で宣教された経緯から、ネコヤナギの枝を用いるのが伝統になっています。

北海道や東北ならともかく、関東以西はロシアとは違って温暖なので、聖枝祭の時期(おおむね4月の中旬から下旬)にネコヤナギを入手するのは困難ではあるのですが…

もちろんお金を使って業者から買えば、ネコヤナギだろうと何だろうといくらでも入手できるでしょうが、上記のようにこの木でなくてはならないという決まりはありません。私の個人的な考えとしては、無理に日本と気候の違うロシアの真似をする必要はないのであって、ネコヤナギが手に入らなくても八重桜やツツジなど、その時期に美しく咲いている花木の枝を切ってきて使うのが、日本の教会として最も相応しいと思っています。

 

今回の人吉教会の聖枝祭ではネコヤナギの枝、それも天然の枝を用いました。

人吉の隣の相良村を流れる川辺川は、一昨年の豪雨災害では大洪水を引き起こしましたが、本来は蛍の生息する穏やかな清流です。そのほとりにネコヤナギの木がたくさん自生していると聞きました。

そこで相良村在住の執事長に、川原に自生しているネコヤナギの枝を採集してくれないかお願いしたのです。

さすがに今の時期はネコヤナギの花は終わってしまうので、執事長はまだ寒い3月初旬に伐採し、保管しておいてくれました。

それを昨日、教会に運んでいただき、晩祷で成聖して今日の聖体礼儀で参祷者に配りました。

ついでに、ということで自宅のお屋敷のシュロの枝もくださいました。さすがにこちらは、葉の直径が50㎝くらいあって手に持つのは不可能なので、聖堂内に飾っておきましたが。

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献納されたネコヤナギとシュロの枝

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枝の成聖


「中近東風」のシュロと「ロシア風」のネコヤナギ。異文化的な二種類の枝が、日本の片田舎の教会で一つになりました。しかも業者から買ったのではなく、庭木と天然の違いがあるとはいえ、実際にこの地に生えている木から採ったものです。

上記の「多様な文化の信仰による一致」が、この枝たちに示されているような思いがしました。

多様な文化、多様なアイデンティティの存在を認めた上で、キリストが示した愛をもって一致していくことがキリスト教、とりわけ正教会の本義のはずなのですが…正教徒なのにそれに逆行する背教者たちのせいで、いまウクライナで戦争に苦しむ人々がいます。

この聖枝祭から来週の復活祭の前日まで、人類の罪を贖うために十字架に釘打たれたイエスを記憶する「受難週間」(Passion Week)となります。この一週間、戦争という巨悪のために苦しむ人の救いを願い続けたいと思っています。

九州でのウクライナ支援活動者の皆さんとともに

人吉では連日夏日が続いていて、あたり一面いろいろな花が咲き誇っています。

人吉ハリストス正教会の敷地の入口にはフジの木が自生しているのですが、この花も見事に満開です。

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人吉ハリストス正教会に自生しているフジの木

 

さて先月の鹿児島巡回の時、ウクライナ避難者への義援金募集イベントを企画している「宙の駅」社の本田静さんとお会いしたことを投稿しました。

 

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本田さんは今度の日曜日の4月17日を皮切りに、関係するミュージシャンによる義援金募集のチャリティコンサートを鹿児島県内の各地で開催します。NHKでも報じられており、地域の注目を集めています。

 

また、私の講話によるウクライナ紹介のイベントも5月5日(木)に鹿児島・天文館、5月28日(土)に熊本市中心部の熊日会館で開催していただくことが決まっています。

「宙の駅」公式サイト http://solanoeki.jp/

 

これらのイベントで集まった義援金を、鹿児島県内にいるウクライナからの避難者の方たちにダイレクトに届ける予定です。

彼らはわが国の現状の法令では「一時滞在者」の扱いにしかならないようで、生活費や医療費の確保が大変だそうですから、少しでもお役に立てればと思います。

 

また先日、宮崎市在住のIT企業経営者の黒木氏より、音楽の配信でウクライナの人々を慰問するプロジェクトを立ち上げたというお話をいただきました。

"Playing for Ukraine" というサイト名で、プロアマを問わず有志に音楽を演奏してもらい、その動画を関係機関などに配信する企画だそうです。

Playing for Ukraine サイト https://sites.google.com/view/playingforukraine/home

 

黒木氏は私のブログの熱心な読者で、昨年10月に私に会いたいと宮崎から訪ねて来てくださった方です。(その時の記事は匿名で紹介しましたが、以後実名を掲載します)

 

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今回、ウクライナの人々はほとんどが正教徒であることから、このプロジェクトへの助言を求められたので、「スタジオに生神女マリヤのイコンを置き、収録の時に画面に入れること」を提案しました。また私としてもぜひ協力したいので、イコンは私の私物と教会の備品とを問わず、喜んでお貸しするとも伝えました。

すると善は急げということで、黒木氏が昨日人吉まで訪ねて来られたので、イコンの現物を何枚も見ていただき、うち2枚をお貸ししました。

「神父にもぜひバイオリン演奏の提供をお願いしたい」というお話だったのですが、私はバイオリンのレッスンを始めたばかりなので、今はまだ人前で演奏する技量など全くありません。もし演奏しようものなら、冗談抜きでウクライナの人々にかえって不快な思いをさせてしまいます。

そこで、スタジオではなく聖堂で正教会聖歌を独唱し、その動画を提供させていただくことにしました。

 

ウクライナとは、ロシア語で「辺境」という意味です。わが九州も、私が生まれてから通算50年以上も住んでいた東京近辺と比べたら、地域的には辺境です。

しかし、この九州の人々が続々と、草の根活動でウクライナの戦禍に苦しむ人々のために立ち上がっています。

私も一緒に手を携えて、活動して行こうと決意しています!

二人のマリヤにささげた週末

先週の土曜日は人吉ハリストス正教会で、大斎第五土曜日の早課と聖体礼儀を執り行いました。

この日は生神女(イエスの母)マリヤに捧げられた日であり、早課の中で司祭が生神女を讃美するアカフィストという祈祷文を朗読することから、「アカフィストのスボタ」(スボタは教会スラブ語で土曜日の意味)と呼ばれています。


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早課だけで1時間半、聖体礼儀と合わせると2時間半かかります。

 

アカフィストの内容は、神の子を身籠ったマリヤをいろいろな表現で讃えながら延々と「慶べよ」と呼びかけるものです。そして最後の第13コンダクという段落で「衆人を凡そのわざわいより救い、及び将来の苦しみより逃れしめたまえ」という願いを述べます。

まさに今この時、ウクライナの戦禍に苦しんでいる正教の兄弟姉妹の救いを願うものであり、感慨深いものがありました。

 

アカフィストのスボタの祈祷を終えて熊本に移動。

日曜日は熊本ハリストス正教会で、大斎第五主日の聖体礼儀を執り行いました。


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大斎第五主日はエジプトのマリヤという聖人に捧げられた日ですので、「エギペトのマリヤの主日」(エギペトはエジプトの教会スラブ語読み)とも呼ばれます。

エジプトのマリヤについての紹介は一年前に書いていますので、過去記事を貼付しますが、彼女はたくさんのマリヤという名の聖人の中で「第二のマリヤ」(第一はもちろん生神女マリヤ)と呼ばれる大聖人です。

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エジプトのマリヤの伝記を描いたイコン

 

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エジプトのマリヤは若い頃、ふしだらな不良少女でしたが、それを悔い改めて47年もの間、生涯の終わりに至るまで砂漠での厳しい隠遁生活を自らに課しました。

つまり、人間は誰でも、そしていつでも自分の過ちを悔い改め、真摯に生きようと志すならば、神は受け入れてくれるということを、生涯をかけて体現した人物なのです。

 

救世主の母となることを「お言葉どおり、この身になりますように」(ルカ1:38)と進んで受け入れた生神女マリヤと、過去を悔い改め、自らの意思で徹底的な信仰生活を選んだエジプトのマリヤ…二人のマリヤの人生のスタイルは異なりますが、本来人間の生き方も人それぞれです。共通しているのはただ、誰もが自らの意思でその生き方を選択しているということだけです。

正教会は「信者はこういう掟を守ってこう生きなければならない。できなかったら地獄に落ちる」などと、人間を型にはめるようなことは言いません。むしろ多様な生き方において、その人が自らの意思で何を選択し、どう信仰を守って行くかを重視します。

自分の寿命が80年だと仮定すると、年齢的には間もなく第三クオーターの終わりに近づいていることになりますが、この正教会の信仰に従い、私も残りの人生を悔いなく生きていきたいと改めて思った週末でした。