九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

聖大木曜日について

今日は復活祭前の木曜日。正教会では聖大木曜日(Holy Great Thursday)といいます。キリストが十字架につけられる前夜、12人の弟子たちと囲んだ晩餐を記念します。

一般的には「最後の晩餐」と呼ばれますが、正教会ではこの時にキリストがパンと葡萄酒をご自身の体と血に変化せしめたこと、すなわち主が聖体機密を制定したことを重視して「機密の晩餐」または「主の晩餐」と呼びます。

山下りん「主之晩餐」(人吉ハリストス正教会所蔵)

その意味では、日曜日に教会で行われている聖体礼儀自体が最後の晩餐を記念する典礼なのですが、聖大木曜日は「年に一回の聖体機密の記念日」ということで、どの教会でも特別なことを行います。

それは、一年間保管しておくための「予備聖体」を作ることです。

もちろん、今日は私も人吉で予備聖体を作りました。

 

聖体は「食べることに意味がある」ので、聖体礼儀で余ったら残しておくことはしません(これはカトリック教会と考えが違うところです)。聖体礼儀が終わった後で、聖職者が全部食べてしまいます。尊血(葡萄酒)の一滴たりとも残すことは許されません。

しかし病気や高齢などの理由で教会の聖体礼儀に参祷できない人は常に存在しますし、特にそういう人が危篤に陥った場合、緊急に聖体を届ける必要が生じます。

そこで、そういう事態に備えて、保管用の予備聖体を聖堂内に用意しておくのです。

 

予備聖体は聖大木曜日の聖体礼儀で聖変化(パンと葡萄酒がキリストの体と血に変化すること)した聖体を細かくスライスし、フライパンで熱してラスク状にします。

予備聖体作りのためのフライパン。他の用途に使ってはならない

これを宝座(祭壇)の上の聖龕(せいがん)という容器に納めます。カトリック教会の聖櫃(せいひつ)に相当します。

人吉ハリストス正教会の聖龕

夕刻からの祈祷「聖大金曜日の早課」では、キリストの受難を振り返るため、ヨハネ伝を中心に四福音書から受難について書かれた記事を12箇所、聖歌や祈祷文を間に挟みながら司祭が朗読します。これを「十二福音の読み」(Twelve Gospel Reading)といいます。

十二福音の読み(聖大金曜日早課)

西方教会では修道院で行われていた「受難劇」が発展して、音楽のジャンルとしての「受難曲」ができました。バッハの作品でよく知られています。

私たちの「十二福音の読み」は、まさに正教会版受難曲と言っても良いかもしれません。

 

frgregory.hatenablog.com

 

私も妻も、朗読も聖歌もテンポが速い方なので、私が司祷する祈祷は比較的早く終わるのですが、それでもこの十二福音の読みは2時間以上かかります。

月曜日から昨日まで、毎日4時間の祈祷でヨハネ伝を通読しましたが、今日もたっぷり聖書を朗読したことになります。

 

「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)

「私はぶどうの木、あなた方はその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。私を離れては、あなた方は何もできないからである」(ヨハネ15:5)

「剣をさやに納めなさい」(ヨハネ18:11)

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)

これらは今日読まれた福音書の中の一節です。まさに今この時、戦争がいかに反キリスト的な振る舞いか、そしてキリスト者はどう考え、どう行動するのが正しいのか、改めて示唆を与えられたように感じました。

 

明日は聖大金曜日。キリストの受難の記念日です。

明日から復活祭までの三日間は、鹿児島教会で祈祷する予定です。

十字架上の苦しみと死を経て復活したキリストが、今苦しみにある人々に救いをもたらすよう、祈りたいと思っています。