九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。2019年から九州全域を担当しています。

エジプトのマリヤについて&英国王室と正教会

今日は人吉ハリストス正教会で大斎第五主日の聖体礼儀を執り行いました。


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この大斎第五主日はエジプトの聖マリヤを記憶することから、「エギペトのマリヤの主日」(エギペトはエジプトの教会スラブ語読み)ともいいます。

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エジプトの聖マリヤのイコン

エジプトの聖マリヤは正教会カトリック教会とで共通して敬われている聖人です。

エジプトで生まれた彼女は、若い頃は奔放でふしだらな女でした。しかし、エルサレムで十字架挙栄祭の日(イエスがつけられた十字架が発見された記念日)に、興味半分に主の十字架が公開されている聖堂に入ろうとして、見えない力に押し戻され、自分の罪のゆえに神に拒まれていることに初めて気づきます。

彼女は悔い改めて、パレスチナの荒野で、一人だけで修道的な祈りの生活を続けました。そして荒野で47年ぶりに人間に会いました。修道司祭のゾシマです。

マリヤは翌年の聖大木曜日(復活祭の直前の木曜日。いわゆる最後の晩餐を記憶する日)に聖体を届けてくれるようゾシマに依頼し、ゾシマはその通りにしました。そしてさらにその翌年、ゾシマが再びマリヤに聖体を届けに来ると、彼女は「師ゾシマよ、私を葬ってください。聖大金曜日(聖大木曜日の翌日。イエスの受難を記憶する日)に世を去った私のために祈ってください」と書き残して死んでいました。人里離れた荒野での生活で教会に行っていなかった彼女は、人生の最後に聖体、すなわちキリストの体に与ることを希望し、ゾシマから領聖した翌日に永眠したのです。

 

初めから正しい生き方をした人が救われるのは当然ですが、彼女のように過去の行いがどんなに罪深くても、それを悔い改めて誰よりも正しく生きようとする人を神は顧みてくれる、というのはルカによる福音書15章の「放蕩息子のたとえ」にも記されているとおり、キリスト教の教えの根本です。

その意味で、エジプトのマリヤは悔い改めの人生を自分自身に課したという意味で、正教会においては、あまたいるマリヤという名の聖人の中で「第二のマリヤ」(第一はもちろん生神女マリヤ)と呼ばれて大変崇敬されています。

 

さて話は違うのですが、4月9日に英国のエリザベス女王の夫君・エジンバラ公フィリップ殿下が薨去。17日に葬儀が行われました。

英国王室は当然、聖公会英国国教会)に所属しますので、葬儀も聖公会で行われたのですが、その葬儀の中でロシア正教会聖歌「死者のコンダク」が歌われているのをYouTubeで見ました。

すぐにピンときたのは、これはフィリップ殿下がギリシャ正教会で幼児洗礼を受けたからに違いない、ということです。

フィリップ殿下はギリシャ王国(当時)の王族として生まれました。しかし王家はギリシャ人ではなく、19世紀にギリシャオスマントルコから独立した時、英国がデンマークのグリュックスブルク王家からゲオルク王子を連れてきて即位させたものです。このギリシャ王となったゲオルク王子の姉は、ヴィクトリア女王の子のエドワード7世の妃であり、その意味では英国王室と縁続きです。

また、フィリップ殿下の母・アリス王女の生家のバッテンベルク家もドイツ貴族であり(後に英国に帰化してマウントバッテンと改姓)、アリス王女はヴィクトリア女王の曽孫です。ちなみにアリス王女の叔母のエリザベート公女とアレクサンドラ公女はロシアのロマノフ家に嫁ぎ、正教会に改宗しています。(エリザベートは後の聖エリザヴェータ・フョードロヴナ、アレクサンドラはニコライ二世の皇后)。

つまり、ギリシャ王家は英国王家の親戚で、非ギリシャ人の支配階級だったのですが、王位に就くにあたって宗教的にはギリシャ正教会に帰属し、それでフィリップ殿下も「本家のお姫様」で、ヴィクトリア女王の玄孫同士であるエリザベス女王に婿入りするまでは正教徒だった、というわけです。

そのようなわけで、殿下本人は必ずしも熱心な正教徒とは言えなかったとは思いますが、そのご最後にあたって少しだけでも正教会の祈りの歌が取り上げてもらえて良かったかな、とも思っています。