九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。2019年から九州全域を担当しています。

生神女マリヤに献げた週末 なぜ教会はマリヤを敬うのか

福岡では3月25日に桜の開花宣言が出た後、気温が冷え込んだこともあって2週間経った今も見事な満開の桜を楽しむことができます。
1週間前、桜の名所・舞鶴公園福岡城跡)に行ってみましたが、福岡に住むようになって初めて迎えた桜の時期でもあり、じっくりと花を堪能してきました。

舞鶴公園の満開の桜(3月31日撮影)


さて、4月20日の復活祭まであと2週間となりました。

先週末の土日は生神女(イエスの母)マリヤに献じる聖体礼儀を行いました。

 

大斎第五土曜日(今年は4月5日)は、日本正教会で「アカフィストのスボタ」と呼ばれます。

アカフィストとは聖人を記憶する祈祷の一つで、この時は生神女を記憶する「生神女のアカフィスト」の祈祷文を、聖体礼儀の前の早課という典礼の中で司祭が朗読します。

また、スボタとはヘブライ語の「シャバト」(安息日)に由来する教会スラブ語の単語で、「土曜日」の意味です。現代ロシア語でも土曜日をスボタといいます。

生神女のアカフィストの朗読

翌日の6日は熊本ハリストス正教会に巡回し、天使ガブリエルがマリヤに神の子を身ごもったと告げたことを記憶する「生神女福音祭」の聖体礼儀を執り行いました。

本来の祭日は今日(ユリウス暦の3月25日)なのですが、一日繰り上げて日曜日に執り行うことにしました。

生神女福音祭・説教

 

つまり「アカフィストのスボタ」は移動祭日、「生神女福音祭」は毎年日にちが決まっている固定祭日であり、同じ生神女を記憶しているとはいえ本来は別物なのですが、今年はたまたま日程がほぼ重なったということです。

 

正教会の伝統的な教義の一つに、聖人への崇敬があります。

当然ながら、聖人とはいえあくまでも人間ですから、教会としてのオフィシャルな尊敬の対象という意味であって、神として拝むという意味ではありません。この点は他宗教の方から誤解されることもあります。

 

その聖人たちの中で最高の尊敬の対象が生神女マリヤという位置づけです。

ちなみにマリヤという名の聖人もたくさんいるので、他と区別するためにイエスの母に対しては「セオトコス」という呼称をつけて呼びます。

セオトコスとはギリシャ語で「神を生んだ者」という意味であり、日本正教会では字義どおり「生神女」という訳を当てています。わが国では一般的に、カトリック教会の訳語「聖母」の方が知られています。

 

諸聖人の中で生神女マリヤを最高位に位置づける理由について、よく「キリストを生んだからです」といった言い方がなされます。もちろんそれは確かにそうなのですが、それだけでは「弁護士は弁護をする人です」と言っているのと同じで「なぜ最高なのか」という説明になっておらず、そういう問答無用な言い方はマリヤ信仰、マリヤの神格化につながりかねません。そうなったらキリスト教キリスト教でなくなってしまいます。

 

私たちが生神女マリヤを敬う理由は「キリストを信じている」からです。

私たちが信じるキリストとは「目に見えない神が私たち人類を救うために、イエスという名の私たちと同じ人間、つまり目に見える、そしていつか必ず死ぬ人間となってこの世に来てくださった方」と定義しています。

この「神が人となる」(受肉)という考えは他の一神教、つまりユダヤ教イスラム教と一線を画す、キリスト教の根幹を成すものです。

しかしキリストが桃太郎のように桃から生まれたり、かぐや姫のように光る竹から出てきたとしたら、私たち人間とは違う形でこの世に現れることになり、ただのファンタジーの世界の住人となってしまいます。

そこで神は人間の女性を選び、彼女から神が人間の赤ちゃんとして生まれるというプロセスを採ったと私たちは理解しています。この選ばれた女性がマリヤです。

もちろん、人間の赤ちゃんとして生まれるといっても、神の子と分からなければ他の子どもと区別がつきませんから、神は「わたしたちの主が御自ら、あなたたちにしるしを与える。見よ、おとめが身ごもって子を産む」(イザヤ7:14)というイザヤ書の預言どおり、普通の人間の受胎では絶対にあり得ない奇蹟を起こしたと考えます。これを記憶する祭が前述の生神女福音祭です。

このように、「神が人となった方=キリスト」をキリスト教信仰の中心に置く以上、その神を人として生むために選ばれた人物がマリヤだったから、教会は古今東西の全ての聖人の中でマリヤを最も敬う、ということになるのです。

 

神学の話はもうこのくらいにしておきますが、日本正教会ではロシア正教会の習慣を踏襲し、生神女を記憶する祈祷では青色の祭服を着用することになっています。

大斎の平日は黒い祭服でしたが、生神女に献げられたこの週末だけは曇りの間の晴れ間のような青い祭服で、気持ちも晴ればれとして過ごしました。

復活祭まであと2週間、しっかりとお祈りを重ねていきます。