九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

聖五旬祭(ペンテコステ) 聖霊と教会 

今日は復活大祭から50日目の「聖五旬祭」(ペンテコステ)。正教会では復活大祭に次ぐ12の大きな祭日「十二大祭」の一つです。

 

人吉ハリストス正教会で聖体礼儀に引き続き、使徒行伝2章に記された聖霊降臨を記念する聖五旬祭主日晩課という特別な祈祷を行いました。当然ながら祈祷のトータルの所要時間は普段より長く、2時間以上となります。

この晩課は長時間ひざまずいた状態で祈るという特徴があります。私は今のところはあまり苦もなくできていますが、年を取ったら司祷できるかどうか、自信がありません。

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聖五旬祭主日晩課

 


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今日はわざわざ鹿児島からルーマニア人のエレナさんが娘さんたちと参祷。

ルーマニアでは復活祭やクリスマスだけでなく、他の大祭の時も食べ物やプレゼントを教会に持ち寄る習慣があるようで、たくさんのお土産を持ってきてくれました。

本来は教会で取り分けるものですが、コロナ禍ということで、わざわざ小分けしてラッピングしてあります。

こういう正教文化圏出身者の教会への熱心さには、我々日本人は敵いません。

 

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エレナさんが教会に持参した糖飯とプレゼント

帰宅してエレナさんから頂いたルーマニア風の糖飯を昼食に。

 

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ルーマニア風の糖飯

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小分けされたプレゼント

すると、東京にいる長女から、父の日のプレゼントで北海道の海産物セットが届きました。

いろいろな方面からいろいろな物をいただいて、ありがたいことです。長女とは去年の10月に犬が死んだ時以来会っていませんが、こういう形で親子の結びつきを実感できて嬉しく思いました。

 

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長女から届いた父の日のプレゼント

日中は暑いので、夕刻に少し日が陰ってから、今日参祷しなかった信徒のお宅を回って、エレナさんのお土産を配りました。

信徒の高齢化に加え、コロナ禍もあって、だんだん教会と疎遠になる方が増えてきましたので、こういう「幸せのお裾分け」は大切だと思っています。

 

聖霊降臨は、私たちの救いのために十字架上で死に、復活したキリストと、それを信じる一人ひとりを聖霊が結びつけていることが示された証しです。さらに信じる者同士も聖霊によって結びつけられているとも考えます。

パウロは「教会はキリストの体であり、全てにおいて全てを満たしている方の満ちておられる場です」(エフェソ1:23)と書いていますが、このように教会とは神と人との縦方向、人と人との横方向を聖霊が結び付けた一つの存在だとキリスト教では定義しています。

そこが会社や町内会のような、人間同士の上下関係や利害関係で構成された集団とは明らかに性格が異なるところです。

もちろん、聖霊は目では見えません。しかし、この聖霊による結びつきはただの聖書の字面の話ではなく、今日のように「互いに慈しみ、喜びを分かち合う」教会の営みにおいて可視化・具現化されると考えます。

人吉だけでなく、九州の教会はどこも小さな牧群でしかないのですが、「聖霊に結び付けられたキリストの体」として、今後もあるべき姿を追求していきたいと思っています。

今日は教会活動の一日

毎週土曜日は人吉ハリストス正教会のアソビバ(児童開放日)。
私たち夫婦で朝9時に旧司祭館に行って鍵を開け、掃除や草刈りをしながら子どもたちと幹事さんが来るのを待ちます。

 

今日は熊本市から、インカレのボランティアサークルの大学生たちが来訪。夕刻まで子どもたちの面倒を見てくれました。

ありがたいことです。

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大学生が境内に設営した外遊び用のテント

私たち夫婦はいったん司祭館に帰って、明日の聖体礼儀のためのパンを焼くなど諸準備。通常の主日の祈祷ではなく、復活大祭から50日目の聖五旬祭なので、夫婦で聖歌の練習などもしました。

 

午後からは、長崎市在住の男性とZoomで伝道会(教理勉強会)。私の管区の信徒女性と結婚を前提に交際していて、洗礼も考えているとのこと。

ある意味コロナ禍の怪我の功名で、Zoomというツールが一般に定着したわけですが、私のように広域で宣教牧会しなければならない者には心強い文明の利器です。

九州各地で訪問・面接形式で伝道会を開催するのは、時間と交通費がかかり過ぎて到底無理。すっかりZoomの恩恵に与っています。

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Zoomで伝道会

夕刻に教会に再び行き、聖五旬祭の前晩祷を執行。

写真は大祭の前晩だけに行われるリティヤという特別な祈祷です。「五餅の祝福」といい、大地の恵みを通して私たちに命を与えてくださっている神に感謝して、五つのパン、麦粒、オリーブ油、ワインの四種の食品を祝福します。

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晩課のリティヤ

コロナ禍で(一応そういうことにしておきます)、晩祷に私たち夫婦以外の参祷者が来たのはこの一年で一回しかなく、今日も夫婦だけでお祈りしたのですが(だからマスクを着けていません)、今日の一日を無事に送れたことを神に感謝しました。

自然の力 6月に起きた地震の数々

今日は人吉ハリストス正教会子育て支援サロンの開催日。参加者はいませんでしたので、私は境内の草刈りをしていました。

夏になると、昔に植えられたまま放置されていた球根植物や、旧司祭館の床下から生えてきた雑草が大輪の花を咲かせます。当然ながら何の手入れもしていませんが、自然の力は大きいことを実感させられます。

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教会の境内に勝手に生えてくる花々

 

さて自然の力といえば本日、6月18日は2018年に最大震度6弱の「大阪北部地震」が発生した日です。

大阪府内に限れば、阪神淡路大震災を上回る震度でした。

大阪ハリストス正教会も大阪北部の吹田市にありますので、心配で連絡してみたら、物の落下はあったようですが、建物には被害がないと聞いて安堵した記憶があります。

 

この地震で6人の方が亡くなったのですが、そのうちの一人は小学校のブロック塀が倒壊し、たまたま側を通りかかって下敷きになった生徒でした。

宮城県沖地震からちょうど40年経ったのに、その教訓が全く生かされておらず、何の落ち度もない子どもの命が奪われたことにやり場のない憤りと悲しさで一杯になりました。

 

宮城県沖地震とは1978年6月12日に発生した大地震です。

私の感覚では、宮城県沖地震と呼ぶ場合、この1978年の地震を想起するのですが、宮城県沖を震源とする地震は数多く発生しており、その最たるものが2011年の東日本大震災なので、この地震の場合は「1978年宮城県沖地震」と年号を入れるのが正式なようです。

この地震が発生したのは17時過ぎで、当時中三だった私は体育祭か何かの準備で教室にいました。東京は震度4でしたが、揺れている時間がとにかく長く、窓から見えるプールの水面が波打っていて、何だかとんでもないことが起きたように思いました。

この地震の最大震度は仙台市などで5でしたが死者は28人もいました。うち18人がブロック塀の下敷きになった人々でした。

以来、マスコミはブロック塀の危険性を書き立てたので、行政もブロック塀の高さや鉄筋の有無などについて規制を加えたものとばかり思っていました。

しかし三年前の大阪の地震で、全国の自治体でブロック塀の耐震基準を決めているところはほとんどなく、結局野放しだったことが明るみに出たわけです。

市民の誰かが死ななければ動かない、いやたとえ死んでも動かない行政なら、存在意義がありません。まさに「税金泥棒」です。

猛省を促したいと思いますが、私たちも残念ながら「いざという時に行政はあてにできない」と考えて、防災の備えをしなければならないでしょう。

 

さて大阪北部地震のちょうど1年後、2019年6月18日に最大震度6強の山形沖地震が発生しました。

また、2008年6月14日には最大震度6強の岩手宮城内陸地震が発生しています。この時は土石流で温泉旅館が下敷きになるなどして、死者・行方不明者は23人もいました。

この地震では、震源近くの宮城県栗原市にある金成ハリストス正教会が大きな被害を受け、お金と時間をかけて聖堂を修築しました。しかし完成直後、東日本大震災に見舞われ、再び被災してしまいました。大変な試練に遭っています。

 

なぜか大地震は6月に集中して起きている印象なのですが、本来なら地震は365日、いつでも起こる可能性があるはずです。

現に熊本県が大地震に見舞われたのは5年前の4月であり、県内は今も復興途上です。

そのようなわけで、前述のように自分たちが防災への備えをするだけでなく、災害が起きた時に教会が被災者のお役に立てるにはどうしたら良いか、今も考え続けています。

時代を拓いた女性たち 熊本四賢婦人とプロテスタント信仰

本日、6月16日は明治から大正にかけて活躍した教育者・社会活動家の矢嶋楫子(1833-1925)が永眠した日です。
彼女は幕末から明治にかけて、男尊女卑の価値観が当たり前だった時代に、女性の教育と地位向上の分野でリーダーシップを発揮した女性です。

そして何より、わが熊本県が生んだ偉人の一人です。

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矢嶋楫子

 

特筆すべきなのは、活躍したのは楫子ひとりだけでなく、彼女の三人の姉たちも同じだったことです。よって彼女たち矢嶋四姉妹は「四賢婦人」と呼ばれています。(きょうだいとしては二男七女)

 

熊本県益城町の生家の近くには「四賢婦人記念館」が建てられており、私も3月に訪ねてきました。

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益城町・四賢婦人記念館

元の記念館は旧矢島家の屋敷だったそうですが、2016年の熊本地震で全壊。2年ほど前に現在の記念館が新築されたと聞きました。

館内では町が出版した伝記漫画『四賢婦人物語』が販売されていたので、買って読みました。私もこちらに越して来てから、「熊本が生んだ四賢婦人」といった言葉を聞きながら詳しく知らないままでしたが、この本を読んでみて良く分かりました。特に明治時代のプロテスタントの著名人たち(いわゆる熊本バンド)が、矢嶋姉妹と深い繋がりがあることに改めて驚かされました。

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まんが『四賢婦人物語』

四賢婦人の長姉、矢嶋家三女の竹崎順子は、高名な学者・横井小楠の門弟の夫・律次郎と共に農地を開拓しながら、私塾を開いて子どもたちを教えました。そして60代になって、熊本初の女子校「熊本女学校」が開校した時に舎監、後に校長となりました。彼女は義理の甥で熊本女学校の初代校長・海老名弾正から薫陶を受け、プロテスタントの洗礼を受けました。

 

四女の徳富久子はなかなか男児に恵まれず、嫁ぎ先でいじめられながらも、生まれてきた子たちのしつけと教育を徹底。熊本洋学校、さらに京都の同志社で学んだ三人の子は、後のジャーナリストの徳富蘇峰、小説家の徳富蘆花、叔母の矢嶋楫子を助けた社会事業家の湯浅初子です。この子らも久子自身も洗礼を受けています。

 

五女の横井つせ子は父や兄、義兄たちの師・横井小楠の後妻です。小楠が暗殺されて、若くして未亡人になりましたが、子どもたちを立派に育て上げました。息子の横井時雄は同志社を出て牧師となり、新島八重の姪(山本覚馬の娘)時子と結婚。同志社の第三代総長となりました。また娘のみや子は熊本洋学校で学んだ海老名弾正と結婚。海老名は後に同志社の第八代総長となりました。つせ子は洗礼を受けませんでしたが、二人の子どもたちはもちろんプロテスタントです。

ちなみに横井時雄、海老名弾正、徳富蘇峰を含む、熊本洋学校プロテスタントの洗礼を受けた生徒35人は、明治9年(1876)に「奉教趣意書」という誓約書を作り、宣教グループを結成しました。これを「熊本バンド」と呼び、札幌バンド、横浜バンドと並ぶ明治日本のプロテスタント宣教の三大源流となっています。

 

六女の矢嶋楫子は酒乱の夫と別れ、40歳で兄の矢嶋源助を頼って上京。若い学生に混じって勉強し、教師になりました。そしてアメリカ人宣教師のマリア・ツルーと出会ってミッションスクールの新栄女学校の教師となり、彼女の薫陶でプロテスタントの洗礼を受けました。後に明治23年に新栄女学校と櫻井女学校が合併して女子学院となった時、57歳で初代院長に就任しています。

また、明治19年の米国婦人禁酒会の来日を期に、「婦人矯風運動」に参画。姪の海老名みや子や湯浅初子らと、女性たちを酒乱や売春などから救うための「東京キリスト教婦人矯風会」(現・日本キリスト教婦人矯風会)を立ち上げ、初代会頭となりました。

ちなみに彼女は女子学院に校則を作りませんでした。その理由として「あなたがたは聖書を持っています。自分で自分を治めるのです。善悪の判断は規則に任せるのではなく、良心がするべきです」と述べています。まさにクリスチャンの矜持そのものです。

 

こうして見てきますと、四賢婦人に共通するのは「教育熱心」と「他人のために尽くす奉仕精神」と言えます。もちろん、キリスト教信仰の影響もあるとは思いますが、彼女らはクリスチャンホームに生まれたのではなく(江戸時代ですから当然)、洗礼を受けたのは大人になってからです。つまり、キリスト教の影響というより、彼女たちが幼い時から培われた価値観がキリスト教、とりわけプロテスタンティズムと合致したのでしょう。こういう人々がキリスト教と出会ったというのも、神の計らいだったかも知れませんが。

その意味で、彼女たちを育てた両親は本当に偉大だと思います。

 

彼女たちの父、矢嶋忠左衛門は村の庄屋で、肥後藩の役人も兼ねていました。

地元の振興のために熱心に働いたことはもとより、向学心が高く、上述の横井小楠の門弟でもありました。幕末の富農出身で学問熱心というのは、今のNHK大河ドラマの主人公・渋沢栄一にも相通じるように思います。

彼と妻の鶴との間に9人の子どもがいましたが、彼らは男子だけでなく、娘たちにも読み書きを学ばせ、さらに質素倹約・自給自足のライフスタイルを徹底しました。

つまり彼女らの勤勉さや奉仕精神は、両親の薫陶の賜物なのです。

 

四賢婦人の伝記を読んで、子どもの教育と質素で勤勉な日常生活というのは、時代を超えて価値があると改めて思いました。

私たち夫婦も4人の子の親で、しかもクリスチャンですが、子どもたちに対してそこまで真剣に接していませんでした。

今さら遅いですが…今から自分だけでもしっかりします。

球磨川下りへの期待

人吉の球磨川下りは1908年から1世紀以上も続く観光の目玉です。

2019年10月に私が人吉に着任し、1か月経ってやっと生活の方も落ち着いてきたので、名物の川下りの舟に乗ってみるかと思ったら、11月で営業終了とのことで間に合わず。

3月に川開きとのことなので、それでは3月末くらいに桜でも見ながら乗ってみようか、それまで少しの辛抱だなと思っていました。

しかし、思いもしなかったコロナ禍で営業休止に…

 

緊急事態宣言の解除にともない、昨年5月下旬に土日限定で営業再開されましたが、土日はこちらも営業日(?)ですし、すぐに梅雨入りしてしまいましたので、梅雨が明けたら出張のない週に乗船しようと考えていました。

そんな調子で延ばし延ばしにしていたら、あの悪夢の7月4日が。

船場は当然ながら球磨川べりにあるため、洪水で壊滅的な打撃を受け、舟も全て流失。運営会社は無期限で営業を休止することが発表されました。

 

流失した舟は奇跡的に全て発見され、回収されたとのことでしたが、洪水後の人吉市内の惨状を見ると到底営業再開、というか会社の存続自体が難しいのではないか、もう球磨川下りは一生ご縁がなかったと思うしかないか、と寂しく思っていました。

 

しかし、運営会社はコロナ第三波の最中の今年1月、発船場の新築を発表。

さらに水害発生1周年となる7月4日に営業再開と決まりました。

 

船場は人吉ハリストス正教会のすぐ近くなので、昨日様子を見に行ったら立派な建物がほぼ完成に近づいていました。

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再建された球磨川下りの発船場

 舟も保管されていました。これから修理すると思われますが。

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川下りの舟

観光旅館のほとんどはまだ休業中で、鉄道も不通のまま。それに加えてコロナが収束したとはいえない現状なのに、営業再開を決めるとは会社はちょっと冒険し過ぎではないかと思うのですが、人吉の復興のために先駆けになろうという心意気なのでしょう。

 

それに応えて、営業が再開されたら悲願(?)の川下り船に乗りたいと思います。

ちなみに運営会社の名前は、そのものズバリの「球磨川くだり株式会社」です。

私自身はこの会社に知り合いは誰もいませんが、多くの方々に「ぜひご贔屓に」と伝えたい気持ちです。よろしくお願いします!

 http://www.kumagawa.co.jp/

熊本に巡回

先週の土曜日、人吉ハリストス正教会での子どものためのコンサートが終わって熊本に移動。

昨日は熊本ハリストス正教会で主の昇天祭の聖体礼儀を行いました。本来の祭日は6月10日でしたので、少し繰り下げとなります。

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熊本ハリストス正教会で聖体礼儀


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主の昇天祭とは何かについては投稿済みですのでご覧ください。

 

frgregory.hatenablog.com

 

 さて、熊本県は昨日まで国の「まん延防止等重点措置」の対象地域となっていました。そのため、県から飲食店の「20時以降の営業自粛」と「酒類の提供の終日停止」が要請されていました。

そのようなわけで、土曜日は夕食に行くのが遅くなると飲食店が閉まってしまうので、ホテルに18時過ぎに着いてすぐに街に出ましたが、多くの店は休業していました。

1月の巡回の時に行ったことのあるイタリア料理店だけが開いていたので入店。

料理は美味しくてワインが欲しくなりましたが、提供できないことは分かっているので水で我慢しました。


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しかし、18時半に入店してラストオーダーの19時半までいましたが、その間私たち夫婦以外に一人も来店者がありませんでした。

良い店が休業せずに頑張って開店していても、お客が来なければ本当に大変だなと実感しました。

 

熊本県の重点措置は今日から解除されましたが、酒類の提供は可となったものの、熊本市だけは酒類を提供する飲食店は21時閉店という時短要請が継続します。

飲食店はもちろん、酒類のメーカーや販売業者も苦難の時が続くようです。

私自身は感染拡大防止には、飲食店の時短は所詮は小手先の策であって、欧米で既に実証されているように「ワクチン接種の徹底」に勝る方策はないと考えています。

地方は首都圏と比べると、どうしてもワクチン接種の進捗度合が低くなるようですが、感染そのもの以上に「コロナ禍で仕事がなくなる人」を減らすために、ワクチン大量接種による収束化が進んでほしいと思っています。

教会ミニコンサート

毎週土曜日は、人吉ハリストス正教会のアソビバ(被災児童への開放)の日。

今日は阿蘇西原村を拠点に活動しているViento(ビエント)さんにお越しいただき、子どもたちのためにコンサートを開催しました。 

ビエントはケーナシンセサイザーのデュオ。一般的ないわゆる名曲だけでなく、オリジナル曲も作曲しています。

 

正教会の聖堂内では祈祷と関係ないイベントはできませんので、集会室で開催しました。


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南米や東南アジアの民俗楽器を、子どもたちにお試し演奏してもらいました。


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今日は結構な雨降りでしたが、子どもたちは12人ほど集まりました。みな喜んでいたので良かったです。