九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

人吉での復活祭 信仰の高山への登頂

ハリストス復活!

主の復活はキリスト教信仰の根幹であり、その意味において復活祭は「信仰という高山への登頂」と言えます。

今日は人吉ハリストス正教会で午前10時から、復活祭の聖体礼儀を執り行いました。

 

参祷者が持参したイースターエッグなどが並べられています。

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参祷者が持参したイースターエッグなど

 

朝は台風のような暴風雨でしたが、祈祷の時はまだ強風ながら、雨は止んで晴れていましたので、正教会の伝統に則り聖堂の周囲を十字行(行進)しました。

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復活祭の開式


 コロナ禍の中、今日の参祷者は24人!私が九州に着任して、人吉教会では最多です。

参祷者の中にウクライナ、米国、ルーマニアの出身の方がいたので、福音書をそれぞれの言語で読んでもらいました。私の日本語と合わせて四か国語です。

主の福音が万民に宣べ伝えられたことの証しとして、復活祭の福音書朗読は任意の四か国語で読むように祈祷書で指示されているのですが、現実問題として世界のどこでも、それができる教会は外国人が多く住む都会の一部の教会だけでしょう。それが人吉のような山奥の小さな教会で実現して、神が多くの人々を集めてくださったことに感謝するばかりです。

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四か国語で福音書を朗読

祈祷の最後にイースターエッグなどを成聖。妻が作ったクリーチとイースターエッグは参祷者にプレゼントしました。

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イースターエッグなどの成聖


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参祷者が予想以上に多くてクリーチは二個しか余りませんでしたが、これは今日来られなかった信者に届けるので、私は味見できません。

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妻が作ったクリーチ。二個だけ残った。

その代わり、ウクライナ人信徒からクリーチ、ルーマニア人信徒からパスカ(ともに現地の復活祭で食するパン)を頂きました。帰宅してから食べてみましたが、私好みのモッチリした食感でとても美味しかったです。 

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クリーチ

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ルーマニアのパスカ

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二種類の復活祭のパン


九州はいま、コロナの感染が急激に拡大しているので、「強風なのに窓を開放」「聖歌者以外に聖歌を歌わせない」「祝会中止」など、コロナ対策でイレギュラーな復活祭となりました。楽しいお祭りの要素はほぼありません。しかし、それにも関わらず、復活祭で祈りを献じようと多くの方がはるばる人吉まで来られました。復活された主の恩寵と祝福が彼らにありますよう、祈らずにいられませんでした。

聖大土曜日 主の死から復活への「移行期間」


今日は復活祭前日の聖大土曜日。朝から聖体礼儀を行いました。

この祈祷は年に一回だけの特別なもので、十字架上で死んだキリストが墓の中で復活したこと、つまり言わば「墓の中で死から復活へ移行」していることを記憶するものです。

 


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まず旧約聖書から15箇所が朗読されます。天地創造(創世記)、救いの約束(出エジプト記、ダニエル書など)、救世主の受難(イザヤ書など)と復活(列王記、ヨナ書など)といったテーマを網羅するもので、キリスト教信仰の根拠となっている旧約聖書の記述のいわば「ハイライト集」となっています。

続いて使徒書簡からロマ書の第6章。私たちが受ける洗礼とは、罪深い古い自分がキリストと共に十字架につけられて死に、神と共に生きる新しい自分がキリストと共に復活することだ、という内容です。「キリスト教信仰とは地上における自分自身の死と復活」という極めて重要な命題です。

 

ロマ書の朗読が終わると、聖堂内の大斎用の黒い装飾を、白や金の装飾に交換します。司祭も黒い祭服から純白の祭服に着替えます。まさに死から復活への移行を目に見える形で象るのです。

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黒い祭服(上)から白い祭服(下)へチェンジ


 そして司祭は福音書からマタイ伝の第28章を朗読します。イエスが復活して墓は空になり、ガリラヤで弟子たちに現れて「私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」(マタイ28:20)と告げる内容です。復活はただの歴史上の事件でもファンタジーでもなく、「復活したキリストは永遠に信じる者のそばにいる」というメッセージです。

 

このようにして復活祭前の三日間、正教会は主の死と復活へのプロセスを、聖書の裏付けのもとにビジュアルな象りを伴って記憶しているわけです。

 

さて、祈祷が終わった後もボンヤリしていられません。

明日の復活祭は20名前後の参祷者(普段の人吉は数名)が見込まれるので、「密」にならないよう聖堂内の椅子を撤去。イースターエッグを置く台を飾り付けました。

 

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復活祭に向けて聖堂内を設営

子どもの参祷者も多く見込まれるので、妻が正教会の復活祭の挨拶「ハリストス復活」を日本語、ロシア語、英語、ルーマニア語の四か国語で大きく書いて掲示しました。

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復活祭の挨拶

 

帰宅後は一昨日に焼いたクリーチ(復活祭で食するロシア風菓子パン)に、妻と娘がトッピング。2015年にルーマニアに巡礼旅行した時に買ったまま眠っていたラズベリーのパリンカ(果実の蒸留酒)で、ドライフルーツを浸けたものを使いました。なかなかリッチな出来栄えですが、これを明日の参祷者にプレゼントします。

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妻と娘でクリーチ作り

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ルーマニアで買ったパリンカ

 コロナ禍で祝賀会などを伴う盛大な復活祭はできませんが、この山奥の人吉まで参祷された信者さんとともに、ささやかながら主の復活をお祝いできればと思っています。

聖大金曜日 「芝居」でなく「典礼」で見せる受難劇

今日はイエスの十字架上の死と葬りを記憶する聖大金曜日です。

昨日、受難週間(聖週間)において主の受難を記憶するにあたり、ヨーロッパの教会(つまりカトリック教会やプロテスタント教会)で「受難劇」や「受難曲」といった、芝居やオラトリオ(演技のない歌劇)で受難物語を見せるスタイルが成立したと書きました。

正教会ではそのような芝居ではなく、実際の典礼において主の死と葬りを象りを通して「見せる」ことで、主の受難とその意味を実感させるものとなっています。

 

エスが息を引き取った時刻である15時から、聖大金曜日の晩課を行いました。

この祈祷では主の十字架降下を記憶して、眠りに就いたイエスを描いたイコン「寝りの聖像」を捧出し、聖堂の中央に安置します。

私たちと同じ人間となってこの世に生まれた神・キリストが、私たち人間と同じようにこの世で死んだことを象るものです。

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寝りの聖像の捧出

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寝りの聖像


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16時半から聖大土曜日の早課を行いました。

これはイエスの葬りを記憶する祈祷で、二時間ほどかかります。終わりの方で司祭が「寝りの聖像」を掲げて行列を作り、聖堂を一周します。これを十字行といいます(コロナ禍のため私たち夫婦だけで行っていますので、行列でも何でもないのですが…)

これは、アリマタヤのヨセフという人物がイエスの遺体を引き取り、自分の新しい墓に収めたという聖書の記述に基づき、イエスの葬列を象るものです。

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十字行(イエスの葬列の象り)

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聖堂中央に安置された寝りの聖像(墓の中のイエスの象り)


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明日はイエスが墓の中で死から復活に移行することを記憶する聖大土曜日の聖体礼儀が行われます。

十二福音の読み ~正教会流「ヨハネ受難曲」

いよいよ復活祭が近づいてきましたので、今日は妻がクリーチを作りました。今日焼いたものに、明日トッピングをする予定です。

クリーチとは復活祭の時に食される菓子パンのロシア語名です。セルビアルーマニアなど、バルカン諸国ではホールケーキのような形状ですが、ロシアではこのように円筒形に作られます。

私の前任地のような大きな教会ですと、婦人会や業者がたくさん作って教会で販売したりしますが、現任地は小教会ですので、妻がミニサイズのものを作って参祷者にプレゼントしています。

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焼き上がったクリーチ

 

さて、今日は夕刻からイエスの受難を記憶する聖大金曜日の早課を行います。教会の一日は日没から始まりますので、木曜日の日没が金曜日の祈りの開始となるわけです。

その意味ではイエスの受難の時も、機密の晩餐(一般にいう最後の晩餐)、イエスの逮捕と裁判、死刑判決とゴルゴタの丘への道、十字架上の苦しみと死、葬り、という一連の出来事が金曜日の一日で起きたということになります。

 

教会ではこれを記憶して、聖大金曜日の早課でイエスの受難について書かれた四福音書の記述を12に分割して司祭が朗読します。これを「十二福音の読み」(Twelve Gospels Reading)といいます。

具体的な朗読箇所は、ヨハネ伝13章31節から19章42節まで(機密の晩餐でイエスが弟子たちに「互いに愛し合いなさい」と新しい掟を与える場面からイエスの葬りまで)を5分割、マタイ伝26章57節から27章66節まで(大祭司カイアファの尋問から、イエスの墓に番兵を置くまで)を4分割、マルコ伝15章16節から47節まで(死刑判決を受けたイエスが侮辱を受ける場面からイエスの葬りまで)を2分割、ルカ伝は23章32節から49節まで(十字架上でのイエスと死刑囚との会話からイエスの死まで)の一箇所です。

つまり、イエスの受難の一部始終を、ヨハネによる福音書の記述を中心に、他の共観福音書の記述を補足しながら詳細に振り返るのが、この典礼の趣旨です。

 

さて、キリスト教会では正教会だけでなく西方教会も、古くから受難週間(西方教会では聖週間)の祈祷において、主の受難物語を朗読や聖歌の形で取り入れてきました。特にヨーロッパでは中世・ルネサンス以降、教会の典礼からさらに進んだ「受難劇」や、音楽作品としての「受難曲」といったスタイルが形成されました。

その受難曲は18世紀にオラトリオ形式(演技を伴わない歌劇形式)で頂点を極めます。最も有名なのは、何といってもJ・S・バッハの「マタイ受難曲」と「ヨハネ受難曲」の二作品でしょう。

添付したのは、バッハ・コレギウム・ジャパンの昨年の「ヨハネ受難曲」の公演です。コロナ禍のため無観客・少人数演奏でしたが、緊張感のある素晴らしい名演だと思います。ちなみに、私自身は全ての作曲家の中でバッハが一番好きです。


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そういう意味では私たちの十二福音の読みは、正教会流の「ヨハネ受難曲」と言えるかもしれません。

 

時間が長く、さらに年に一回しかない祈祷なので、途中で分からなくならないよう、聖堂に行く前に司祭館で妻とリハーサル(?)しました。演奏会ならゲネプロというやつです。

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祈祷の前にリハーサル

実際の祈祷は2時間15分かかりました。それこそバッハのヨハネ受難曲の演奏時間といい勝負です。

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福音書の朗読

17時に祈祷を始めた時はまだ外は明るかったのですが、終わった時は暗くなっていました。大斎の祈祷は聖堂の照明を消して、燭台のロウソクの光だけで行うので、最後の方は祈祷書の字が見えなくて難儀しました。しかし、まさに主の十字架上の死と葬りを象っているようでした。

 


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明日の祈祷では主が十字架から降ろされ、墓に葬られたことを記憶します。

娘が同居することになりました

私たち夫婦には4人の子どもがおり、末っ子の次女がこの三月、東京の某女子大学を卒業しました。

残念ながら諸般の事情で就職が叶いませんでしたので、今住んでいる東京の母のところから人吉に呼び寄せて、司祭館で同居することにしました。

東京ではこの一年間、大学はリモート授業でしたし(悔しいことに授業料は満額取られましたが)、今に至るまで外出する機会が限られていたようですので、彼女がコロナに感染しているおそれは少ないとは思いますが、やはり緊急事態宣言下の東京から来るということで、二週間ほど人前に出さないようにしようと思っています。

 

今日の夕刻、娘が鹿児島空港に到着したので妻と迎えに行きました。

 

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鹿児島空港で娘の出迎え

熊本県内の大学は熊本市以北にしかなく、そのためか東京と違って当地では4年制大学を出ている女子はかなり少ないのですが、だからといって水害とコロナで痛めつけられた人吉で、積極的に新卒採用しているような企業などないでしょう。

しかし、生まれてからこれまで住んだことのないような僻地で、教会の仕事や地域ボランティアを含めていろいろ経験を積むことも、彼女の人生にはプラスになるかも知れないと思っています。

 

何事も神が良い方向に導いてくれることを祈るばかりです。

復活祭を前に、コロナ感染拡大の悩み

正教会では今度の日曜日が復活祭。今週は主の受難を記憶する受難週間(Passion Week)です。

教会としては一年間で最も重要な一週間であることは間違いないのですが、九州でのコロナの感染拡大も深刻です。福岡県が最も顕著ですが、わが熊本県も危うくなってきました。

 

熊本県ではいわゆる変異株の感染が中心となっており、クラスターも飲食店だけでなく、高校や学童保育など様々な場所で発生して、この10日間ほどで爆発的に感染拡大しています。

 

人吉市民だけでも4月20日以降、17人が感染。周辺の町村民も合わせると、この一週間で人吉で20人以上感染したことになります。

東京や大阪のような大都会の人には「たった20人」と思われるかもしれませんが、人吉市の人口はわずか3万人です。人口あたりの感染者数で対比するなら、人口360万人の横浜市で2400人が感染したのと同じになります。

なまじ2か月ほど感染者ゼロの安全地帯で来たために、かえって油断があるのでしょうか。

 

既に5月2日の福岡での復活祭を取り止めて、人吉教会に会場変更したことはアナウンス済みですが、人口も感染者も多いのに、会堂が狭くてソーシャルディスタンスの確保に不安のある福岡と熊本の教会は、復活祭を所属信徒のみに限定して外部の方の参祷をご遠慮いただくことにしました。

それで、今日は教会のウェブサイトの日程表も書き直しました。

 

さて、写真は週末の鹿児島巡回の時、途中で立ち寄った伊佐市のスズランの群生地「すずらんの里」で撮りました。満州から引き揚げてきた住民(故人)が、満州で見たスズランを懐かしんで森の中にスズランの苗を植え、それが今は1万株にまで増えたものです。

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鹿児島県伊佐市に群生するスズラン

北国の植物であるスズランが南国・鹿児島に根付き、たくましく生きているように、自分もコロナ禍に負けずに教会を運営できるよう努めていきたいと思います。

着任後、鹿児島で初めての洗礼!

今日は復活祭前の日曜日、聖枝祭(Palm Sunday)。

エスの受難の直前、イエスエルサレムに入城したことを記憶する祭です。

もちろんイエスエルサレム入城も、十字架上の死も、正教会では不測のアクシデントではなく、神の救いの計画に基づくものと理解しています。

 

今日は喜ばしいことに、私が九州に着任してから鹿児島では初めての洗礼式を執り行いました。

受洗者のアーロンさんはアメリカ・デトロイト出身。鹿児島で英語教師をしています。バプテストのクリスチャンホームに生まれましたが、彼自身は未洗礼でした。

私の着任直後の一昨年11月、「鹿児島の教会にいつ行っても開いていないが、いつなら開いているか」という問い合わせのメールをもらったのが最初でした。

彼は正教会に関心を持っていましたので、鹿児島の巡回日程を伝えたところ、ほぼ毎月熱心に参祷されました。そして自らの信仰を固め、洗礼に至ったのです。

 

昨日の午後に鹿児島教会に着いて、妻と洗礼式のセッティングをしました。

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洗礼式のセッティング

教会の境内にはいろいろな花木が植えてありますが、今は「ニオイバンマツリ」が花盛り。首都圏に住んでいた時はあまり見かけない木だったのですが、咲いた時は紫の花が白く変わるそうで、しかもジャスミンに似た芳香がします。

これから教会はイエスの受難を記憶する1週間となりますが、アーロンさんの洗礼を祝うように花が咲いていました。

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教会のニオイバンマツリ

今日は教会に20人も参祷されました。アーロンさんの知人の皆さんは洗礼式が終わると帰られましたが、残って聖体礼儀に参祷した信者は12人もいました。

私が着任した時は、鹿児島の参祷者数は3人か4人でしたが、その時と比べると夢のようです。もっともコロナの感染拡大で、万一教会で感染者が出るようなことがあってはなりませんので、教会が賑やかなのも痛しかゆしなのですが…

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洗礼(受洗者は私の向こう側)


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来月、鹿児島に来る時は復活祭なので、午後は妻と聖堂に残って黒い内装を全部取り払い、一足先に復活祭モードの内装に取り換えました。

 

帰りに車から見えた桜島はいつも噴煙を上げていますが、今日はこの良き日と来週の復活祭に向けて、花火を上げているように見えました。

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噴煙を上げる桜島