昨日、受難週間(聖週間)において主の受難を記憶するにあたり、ヨーロッパの教会(つまりカトリック教会やプロテスタント教会)で「受難劇」や「受難曲」といった、芝居やオラトリオ(演技のない歌劇)で受難物語を見せるスタイルが成立したと書きました。
正教会ではそのような芝居ではなく、実際の典礼において主の死と葬りを象りを通して「見せる」ことで、主の受難とその意味を実感させるものとなっています。
イエスが息を引き取った時刻である15時から、聖大金曜日の晩課を行いました。
この祈祷では主の十字架降下を記憶して、眠りに就いたイエスを描いたイコン「寝りの聖像」を捧出し、聖堂の中央に安置します。
私たちと同じ人間となってこの世に生まれた神・キリストが、私たち人間と同じようにこの世で死んだことを象るものです。
16時半から聖大土曜日の早課を行いました。
これはイエスの葬りを記憶する祈祷で、二時間ほどかかります。終わりの方で司祭が「寝りの聖像」を掲げて行列を作り、聖堂を一周します。これを十字行といいます(コロナ禍のため私たち夫婦だけで行っていますので、行列でも何でもないのですが…)
これは、アリマタヤのヨセフという人物がイエスの遺体を引き取り、自分の新しい墓に収めたという聖書の記述に基づき、イエスの葬列を象るものです。
明日はイエスが墓の中で死から復活に移行することを記憶する聖大土曜日の聖体礼儀が行われます。