寒波襲来の中で、先週火曜日に人吉ハリストス正教会で葬儀を執り行ったことは既に記しました。
人吉の最低気温は、当初の予報では氷点下7℃などと言われていたので、水道管の破損が心配でしたが、実際のところは毎日氷点下4℃程度で(それでも十分に寒いですが)、雪も大して降らず、大きな問題は起きなくてホッとしました。
むしろ寒波の中心は本州の方だったようで、石川県などでは自治体ぐるみで断水になっているところがあるようです。
人吉もあの大水害の時に半日ほど断水しましたが、水は生活に欠かせないものですから、本当に苦労しました。まして今回のように、何日も水が出ないとなったら、被災地の方たちはさぞ大変だと思います。早く復旧してほしいですね。
さてこの週末、一昨日の土曜日は北九州市まで片道3時間かけて、パニヒダを献じるために日帰り出張していました。
故人のA氏は90代の男性で、永眠したのは12月初めです。
大分県のかなり山間部に住んでおられ、信徒でない娘さんたちは皆、結婚して都会に住んでいました。
A氏が亡くなられ、無宗教での葬儀が終わった後で、娘さんの一人で北九州市在住のB子さんから連絡を受けました。
というのは、ご遺族たちはA家が代々の正教徒であったことは知っていても、大分県に正教会はなく、またA氏は急に亡くなったため、万一の時はどこの教会の誰に連絡すればいいかもA氏から聞いていなかったのです。そのため、司祭を呼ぶこともできず、かと言ってカトリックやプロテスタントなどの他教会に依頼するのもおかしいと考え、やむなく無宗教式の家族葬で執り行ったとの話でした。
B子さんは過去に、京都の神父が巡回で九州に来たことがあるというAさんの話を思い出して、京都ハリストス正教会の電話番号を調べて照会し、さらに京都教会にこちらの連絡先を教えてもらって、ようやく私と連絡が取れたというわけです。
A氏は亡くなる3か月ほど前まで定期的に献金を送金して来られ、またこちらからもA氏の住所あてに会報を毎月送っていましたので、それらのデータを見ればこちらの連絡先もすぐ分かったはずなのですが、娘さんたちは同居していない以上、見る機会もなかったでしょう。
私はネットで「九州 正教会」で検索すれば必ずヒットするように、ウェブサイトもその他のSNSも全て名称を「九州の正教会」で統一しているのですが、これまた自分から検索しない限り、たどり着くことはできません。
電話ではB子さんは正教会式での祈祷を望んでいましたが、もう既にお骨になって何日も経っており、今さら埋葬式というのもおかしいので、1月の永眠後40日目に四十日祭パニヒダを正式なお祈りとして献じることとしました。
それでこの度、A氏の遺骨があるB子さん宅に出張したのです。
祈祷を挙げることができてB子さんも安心していました。
お墓は田舎の常として、大分県のA氏宅近くの山中にあるとのことでしたので、春になってからB子さんや他のご親戚と空き家になっているA氏宅に集まり、改めてパニヒダを献じて納骨することにしました。
さて、昨日は人吉ハリストス正教会で聖体礼儀を執り行いました。
この日は徴税人ザクヘイ(ザアカイ)の回心(ルカ19章)がテーマなので、「ザクヘイの主日」(Zacchaeus Sunday)と呼ばれます。
神現祭(1月19日)からはだいぶ日にちが過ぎていますが、人吉に聖水を常備しないわけにはいかないので、聖体礼儀に引き続き大聖水式も執り行いました。
引き続き、昨年1月に永眠したOさんに一年祭のパニヒダを献じました。
九州に来て4年目となり、既に何人かの信徒の葬儀も執り行いましたが、偶然とはいえ亡くなったのは半数が1月です。
12月に亡くなった上記のAさんも含めれば、多くの皆さんが亡くなっているのは冬であり、必然的に永眠者祈祷を行う機会も増えているわけです。
これは前任地でも同じでしたし、たぶん教会に限らず、社会共通の現象でしょう。
こちらは信徒が何月に亡くなろうと、やるべきお祈りをきっちりやることには変わりないのですが、冬は健康を害する人、さらに亡くなる人が多いとはっきり分かっている以上、永眠者祈祷を献じる私の側が病気になって祈れなくなったら本末転倒なので、冬場の自分自身の健康管理は万全にしたいと思っています。