今日は人吉ハリストス正教会で、昨年1月に永眠された信徒の1年祭パニヒダ(永眠者を記憶する祈祷)を執り行いました。
葬儀はまだコロナ禍が顕在化していなかったので、普通に執り行いましたが、その後緊急事態宣言が出たため、パニヒダも納骨もできずにいて、今日まで来てしまいました。
ご遺族も今日のお祈りで区切りがついて、安堵されたようです。
さて、人吉ハリストス正教会は昭和8年、市の中心部から現在地の願成寺町に移転しました。町名の由来となっている願成寺は藩主の相良氏の菩提寺ですが、その他にも由緒ある寺院が集まっていて、歴史の趣きのある寺町を構成しています。
その一つが、教会の隣の大信寺です。上述の信徒のお宅も、ここにお墓があります。
大信寺は1664年、相良氏22代・頼喬が自分を産んで死んだ母親を供養するために建立しました。
山門は人吉城の方を向いており、頼喬が城から山門を通して本堂を拝めるように造られています。
母親に会ったことがないのに、親孝行な殿様ですね。
境内には江戸時代初期に建てられた地蔵堂があります。
中の地蔵菩薩は南北朝時代のもので、14世紀末に討死にした相良氏7代・前頼の影像と伝えられています。1531年に別の寺から当地に安置されました。
地蔵菩薩も地蔵堂も熊本県の文化財に指定されていますが、拝観料を取られずに自由に堂内に入って見ることができます。
大信寺は政府軍の陣地の一つであり、その時の戦死者の慰霊碑が苔むして境内に立っています。
ちなみに西郷軍の陣地は、球磨川対岸の名刹・永国寺です。そちらには西郷隆盛の直筆の書などが遺されています。
大信寺の墓地の傍らには、古い神社が建っています。
これは大信寺よりも歴史が古く、鎌倉幕府滅亡の翌年、1334年に京都から勧進して建てられた「祇園社」です。
人吉は12世紀末から続く城下町だっただけあって、少し歩いただけでも歴史の遺産にたくさん触れることができます。昨年の水害でダメージを受けた場所があるのは残念ですが、こちらに住んでいるうちにそういった歴史遺産を見て回りたいと思っています。