生神女庇護祭は人吉教会の堂祭(教会の記念日)ですが、コロナ禍でもあり、祈祷以外に祝賀会などの行事は行いませんでした。
その代わり、今日は執事長(信徒代表)の緒方俊一郎氏のお父様(元相良村長)の永眠40年の日なので、パニヒダを献じました。
緒方家は1823年から代々、人吉の隣にある相良村で医師を務めてきた旧家。緒方医院は今も村で唯一の病院です。(村内には他に緒方家の親戚の個人クリニックがあるのみ)
緒方氏は30歳で院長を継いでから、村の地域医療に携わってきただけでなく、水俣病患者への治療もライフワークにして来られました。一昨年、その取り組みが評価されて日本医師会の第7回「赤ひげ大賞」を受賞しています。
「日本医師会 赤ひげ大賞」緒方俊一郎医師(熊本・相良村)「患者の生活 幅広く支える」 https://t.co/WZzNxPQClw @Sankei_newsより
— 九州の正教会 日本ハリストス正教会九州管区 (@ocjkyushu) 2021年10月17日
祈祷後、緒方氏から水俣病との関りについてお聞きしました。
昭和44年に医師免許を取ってすぐ、その年に賠償訴訟が起きて社会問題となっていた水俣病の治療に取り組むことを決意。相良村の実家の病院経営と水俣での治療活動の「二足のわらじ」を続けて来られたそうです。(院長職は昨年息子さんに引き継ぎ)
先日、鹿児島まで見に行った映画「MINAMATA」の話をしたら、緒方氏も水俣市での試写会に招待されていたが行かれず、封切初日の9月23日に宇城市まで自費で見に行ったそうです。
「怨」と書かれたのぼりを掲げたデモ行進に参加しただけではなく、チッソの「一株株主」になって株主総会にも行ったとのこと。映画にそれらの場面が出て来ましたが、ご自身の印象としてよく再現されていたとのことでした。
緒方氏がそうしたのは患者に万一のことがあった時に治療に当たるためとのことでしたが、医師をただの職業ではなく、患者に心から寄り添う「一人の人間」と考えていることが伝わってきました。
また、映画の主人公であるユージン・スミスとも、怪我の治療を担当していたので懇意だったそうです。
私自身は映画は脚色がちょっと過剰なのと、セットが西洋風で昭和の日本に見えないのが気になりましたが、緒方氏のように実際の当事者だった人の目にはそんなことはどうでも良く、風化されつつある水俣病患者の存在に社会が再び目を向けてくれることへの期待の方が大きいとのことでした。
いまは存命の水俣病患者は概ね70代以上となり、患者認定のハードルは高くなっています。また医学界でも「過去の事例」ということで、関心が持たれなくなっているそうです(つまり「お金にならない」という意味)。しかし、緒方氏は事務的な線引きをして切り捨てるのではなく、「そこに病で苦しんでいる人がいる」以上、いまも水俣に通って患者への訪問治療を続けているとのことでした。
緒方家は上記のように200年続く医師の家系であるとともに、明治時代にキリスト教を受け入れた正教信徒の家系でもあります。緒方氏の医師としての取り組みに、苦しむ人に寄り添い、癒しの奇蹟を行ったイエスの姿を見るように思っています。
(緒方氏のお名前と功績はメディアの報道などで周知されていますので、実名で掲載しました)