昨日は人吉ハリストス正教会で生神女庇護祭(祭日は10月14日)の聖体礼儀を執り行いました。
人吉教会は「生神女庇護聖堂」、つまり生神女庇護を記念した聖堂なので、生神女庇護祭は教会の記念日(堂祭)となります。
聖体礼儀に引き続き、二人のご命日にあたってパニヒダを執り行いました。
現執事長のご尊父で、元相良村村長だったペトル氏と、福岡伝道所のウクライナ出身信徒のイリナさんのお兄様のウラジミル氏です(ともに仮名)。
パニヒダでは上の写真のように、糖飯(甘く味付けしたご飯や麦)やその他の菓子類を用意します。
よく誤解されるのですが、これらは日本の伝統的な宗教でいう「お供え物」ではありません。そもそもキリスト教の理解では、死者は神仏になるわけではないし、物も食べられませんから、死者に食べ物を供えるという発想にはなりません。
これらは故人を思い出しながら、祈祷の後で参祷者が分けて食べるためのものです。
さて、生神女庇護祭の由来については昨年投稿しました。
過去記事と重複しますが、ウクライナで無辜の正教徒が戦争で理不尽な目に遭っている今、強調したいのは生神女庇護の「庇護」という言葉の意味です。
日本語で「庇護」、英語で「protection」と訳されている元の教会スラブ語の単語は「покров」(覆い)です。
何かをprotect(防御)するのにはいろいろな方法が考えられ、戦争における武器弾薬もその選択肢といえましょう。
しかし、正教会での正しい考え方とは、神が(正確には生神女やその他の聖人への祈りを通して神が)見えずして「覆っていてくださる」ことに勝るものはない、ということです。
それを信じるからこそ、どんな苦難に遭っても心をしっかり保って前を向くことができると私たちは考えています。
パニヒダの依頼主のイリナさんの故郷はウクライナのドネツク州。2014年から戦闘が続き、つい先日、ロシアが一方的に併合を宣言した地域です。
お兄様の永眠は今回の戦争とは関係ないですが、戦火に蹂躙された故郷への彼女の思いは推して知るべきものがあります。
イリナさんだけでなく、今もウクライナに住む多くの人が、神の「覆い」の下に護られるよう祈った一日でした。