10月14日(ユリウス暦の10月1日)は、正教会独自の祭日である生神女庇護祭(しょうしんじょひごさい)です。
この祭日は10世紀に起きた生神女庇護の奇蹟に由来するものです。
10世紀初め、ビザンチン帝国はイスラム諸国の度重なる侵略を受け、首都コンスタンチノープルもたびたび攻撃を受けていました。
903年(910年という説もある)、コンスタンチノープルにイスラム軍が迫り、ビザンチン帝国の存亡の危機が迫った時がありました。人々は市内のヴラヘルネにある生神女(イエスの母マリヤ)を記念した聖堂に集まり、敵の撤退と平和の回復を祈り続けていました。
その群衆の中にいた聖アンドレイと弟子の聖エピファニイが聖堂内を見上げると、生神女マリヤが多くの聖人を引き連れて空中に現れました。生神女は世界平和の実現を祈りながら、オモフォル(肩衣。主教の祭服で一番上に着るもの)で人々を覆いました。
この知らせに勇気づけられたビザンチン軍はイスラム軍の撃退に成功し、平和が回復されました。これが生神女庇護の奇蹟です。
ここで「庇護」と翻訳されている単語は、英語では保護を意味する「Protection」ですが、元の教会スラブ語ではカバーや覆いを意味する「Покров」(ポクロフ)です。盾や鎧などの武具で保護するのではなく、肩衣で優しく覆うということに、この奇蹟の意義がよく表現されていると私は思っています。
何が言いたいかというと、この祭はキリスト教徒が異教徒を戦争で破ったことを祝賀するためにあるのではないということです。
私たちが真剣に祈るならば、生神女マリヤや他の聖人たちも共に祈ってくれるし、私たちの祈りを神に取り次いでくれる。そのマリヤや諸聖人の見守りという「覆い」の下にいることで、神も私たちの祈りを聴き入れてくれる。だから安心し、勇気をもって行動すれば良い。このような教義が反映されているのです。
だから神でないマリヤになぜ祈るのかという問いには、神への取り次ぎを願っているから、というのが答えとなります。
なお、この聖人による神への取り次ぎを正教会用語では「転達」、一般的なキリスト教用語では「執り成し」といいます。
さて、生神女庇護祭はコンスタンチノープルでの出来事だったにもかかわらず、中世ロシアで熱心に記憶されるようになった背景もあり、特にロシア圏の正教会で生神女庇護を記念した「生神女庇護聖堂」が多くあります。
世界で一番有名な生神女庇護聖堂は、モスクワ・赤の広場にあります。「聖ワシリイ大聖堂」の名で知られる世界遺産の名所ですが、これは通称であり、正式名称はあくまでも「生神女庇護大聖堂」です。東京の復活大聖堂も「ニコライ堂」という通称の方がよく知られているのですが、それと相通じるものがありますね。
日本では横浜、静岡、大阪、人吉の4教会が生神女庇護聖堂です。
私は司祭になってから静岡、続いて横浜を担当し、いまは人吉教会を管轄しています。奇しくも今までの司祭としての全期間、任地は変わっても「生神女庇護聖堂」の管轄司祭でいるのです。言い換えれば生神女マリヤの「覆い」の下に留まり続けています。
そのようなわけで、私はマリヤがいつも共にいるように思って、祈りを捧げています。