九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。2019年から九州全域を担当しています。

東日本大震災の日と糖飯

本日、3月11日はご存じのとおり、2011年の東日本大震災の発生日です。

昨年の3月11日は偶然、大斎第一週の金曜日だったので、正教会の伝統に則って糖飯の成聖をしています。

 

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糖飯はパニヒダ(永眠者のための祈祷)で必須のアイテムですが、元々は大斎の食べ物でした。

 

4世紀のローマ帝国では、コンスタンティヌス帝(在位324-337年)がそれまで禁止されていたキリスト教信仰を公認し、ニケア第一全地公会の開催(325年)やコンスタンチノープルへの遷都(330年)など、キリスト教の国教化が進められました。

しかしコンスタンティヌスの甥のユリアニス(在位361-363年)が帝位に就くと、反キリスト教的な政策が行われるようになりました。このことからユリアヌス帝は歴史において「背教者」と呼ばれています。

362年または363年の大斎第一週、ユリアヌス帝はコンスタンチノープルの市場に偶像に捧げた動物の生き血を散布することを命じました。これはキリスト教徒の市民が動物性の食品を断つことに対する嫌がらせです。

すると当時のコンスタンチノープル大主教の夢に、禁教時代の殉教者フェオドル・ティロン(ティロのテオドロス)が現れました。

フェオドルは大主教に、市民に各家庭で備蓄されている麦を茹で、甘く味付けして食べるように伝えよと告げました。

これにより、コンスタンチノープル市民は飢餓を免れ、この食べ物が「糖飯」(ギリシャ語でコリヴァ)として後世に伝わりました。

またこの故事により、大斎第一土曜日はフェオドル・ティロンの記念日とされ、彼を記憶して糖飯の成聖を行う(正確には金曜日の先備聖体礼儀の後に行う)ことになっています。

後に糖飯は斎期だけでなく、永眠者を記憶する祈りの時にも作られるようになり、今日に至っています。

 

今年の大斎第一金曜日は先週の3月3日でしたが、やはり先備聖体礼儀の最後に糖飯を成聖しました。

今年の糖飯

今年の糖飯の成聖

ちなみに2011年の3月11日も大斎第一金曜日でした。

昼過ぎに先備聖体礼儀と糖飯の成聖が終わり、信徒たちと遅いブランチ(聖体礼儀がある時は朝から何も食べることができないので、祈祷後がその日の最初の食事)を取った後、連日朝夕の初週祈祷で疲れて、午後は布団に入って寝ていました。

すると急に体を揺り動かされるような感覚がして目が覚めました。

始めは脳卒中か何かの発作を起こして、平衡感覚がなくなったのではないかと思うくらい変な感覚で、それが地震だと分かるまでしばらく時間がかかりました。震源地から遠く離れた首都圏にいたのに、この大震災の揺れはそれだけ大きく、かつ長かったということです。

 

東日本大震災では何人もの信徒が犠牲になり、岩手県山田町の教会も焼失(現在は再建)するなど、日本正教会としても大きな苦しみを受けましたので、私は毎年3月11日が来ると、14時46分から聖堂でパニヒダを献じてきました。

今年は福岡巡回の移動日と重なったため、聖堂でのパニヒダはしないし糖飯も作りませんが、信徒であろうとなかろうと、震災で犠牲となった人々のために祈ることには変わりありません。

さらには東北だけでなく、わが熊本県も7年前に震度7熊本地震に見舞われたし、またつい最近もトルコとシリアの国境地域(震源はちょうどアンティオキア総主教庁がある辺り)で大地震があったばかりです。

どの時代にも地域にも、地震やその他の災害で苦しむ人は常にいるので、彼らのために祈り、役に立てることをいつも考えています。