九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。2019年から九州全域を担当しています。

生神女就寝祭 マリヤはこの世で死んだのか死んでいないのか

8月28日(ユリウス暦の8月15日)は、イエスを生んだ母マリヤ(生神女)がこの世での生涯を終えて、眠りに就かれたことを記念する生神女就寝祭(Dormition of the Theotokos)です。

正教会では最も重要な祭日である復活祭に次いで、12の大きな祭日があり、十二大祭と呼ばれています。十二大祭の中で最も有名なのは何といっても降誕祭ですが、この生神女就寝祭も正教文化圏では「夏の復活祭」とも呼ばれ、盛大に祝われます。

ちなみにギリシャルーマニアなど、教会暦にグレゴリオ暦を採用している正教会では、生神女就寝祭を一般のカレンダーと同じ8月15日に祝っています。

 

新約聖書にはマリヤの生涯についての記述はなく、この祭の根拠は次のような東方教会の伝承に基づいています。

マリヤはイエスの受難と復活の後、使徒ヨハネの扶養のもと、エルサレムで余生を暮らしました。ある日、天使ガブリエルが現れ、彼女の余命が残りわずかであることを告げました。彼女はわが子イエスのかつての弟子たちで、今は各地で宣教活動をしている使徒たちと最期に会えないことを残念に思いましたが、彼らは天使に導かれて戻り、トマ以外の11人がマリヤの最期に間に合いました。そしてマリヤは彼らとの再会を喜びながら安らかに眠りに就きました。

三日後にトマが到着した時、マリヤは既に葬られた後でした。トマは「この目でマリヤの遺体を見なければ彼女の死を信じない」と言い張るので、他の使徒たちと共に墓に行って開けてみると、墓の中は空っぽでした。するとマリヤが天に現れ、自分は復活して天の生命に生きていることを彼らに告げたのでした。

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イコン「生神女就寝」(イスタンブール・カリエ博物館)

伝統的な生神女就寝のイコンでは、マリヤが使徒ら多くの人々に看取られて息を引き取った時に、キリストが彼女の霊を受け取った場面として描かれます。マリヤの霊を幼児として描くのは、彼女が生涯処女だったことを象るものです。

 

この生神女就寝の伝承は6世紀頃に西方教会(今日のカトリック教会)にも広まり、祝われるようになりましたが、次第にマリヤは生涯の最後に体も霊もそのまま天に上げられたという教えに変わっていきました。これを「聖母被昇天」(Assumption of Mary)といいます。これは極論すれば、「マリヤは地上で死んでいない」という考えであり、正教会カトリック教会の教義の大きな相違点の一つとなっています。

 

「聖母被昇天」を描いた古今の名画を見ると、この考えが反映されて、マリヤが生前の姿のままで天に昇っていくように描かれています。キリストの昇天とそっくりな構図です。

 

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ティツィアーノ「聖母被昇天」

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ガロファロ「キリストの昇天」

つまり、「死んで復活したマリヤが天に現れた」という元のストーリーが、「マリヤは生きたまま天に昇って行った」というストーリーに変わったわけです。

さすがに教皇庁も、聖母被昇天は「後発的」「俗説的」な考えであるという認識はあったのでしょう。教皇庁が聖母被昇天をカトリックの正式な教義と認めることには慎重でした。正式に認めたのはなんと1950年、教皇ピオ12世の宣言によってです。

 

マリヤがこの世で死んでいない、生きて天に上げられたという考えは、カトリック教会独自の教義「無原罪のお宿り」(Immaculate Conception)から導き出されているのですが、ここでそれに言及すると終わらなくなってしまうので、別の機会で述べます。

 

さて正教会の「生神女就寝」に話を戻すと、これは聖書の記述にない伝承とはいえ、「キリストとは何か」「死と復活とは何か」というキリスト教の教義の根本が反映されているといえます。

キリストとは、神が「この世で生きる人間」であるマリヤを通して、ご自身も人間としてこの世に生まれてきた方です。キリストは私たち人類の罪の赦しを天の父に願うための生贄として、十字架上で私たち「この世で生きる人間」と同じく死にました。しかし、復活して現れたことで、これを信じる者も同じように「死を経た後に復活」して、天において永遠の生命に生きることが示されました。これがキリスト教の教えの根本です。

よって、マリヤも私たちと同じ「この世で生きる人間」の一人である以上、この世で死を迎えましたが、復活して天において永遠の生命に生きている。それがキリストの復活の聖書の記述と同じく、マリヤの墓が空になっていたというストーリーに示されています。つまり生神女就寝の伝承は、「人間は誰でもこの世で死ぬが、キリストを信じる者は死を経て復活し、永遠に生きる」ことを、マリヤが証ししたものと言えます。

 

明日は日曜日なので、私の管轄教会では今日ではなく明日に生神女就寝祭の祈りを行うことにしています。もちろん自分の教会だけでなく、多くの人にこの祭の意味が伝わるよう願っています。