今日は4月1日。わが国では一般に新年度とされています。
これは、明治新政府が官公庁の会計年度を4月1日始まりとしたことに由来します。これに引っ張られる形で、学校の学年や多くの民間企業の会計年度も4月始まり・3月締めになっています。
私が以前勤めていた保険会社も、いわゆる日本的大企業でしたから、年度は4月始まりでした。定期人事異動も4月1日付です。
転勤が多い業種であり、私自身も首都圏以外への配属は少ないながらも、頻繁に異動がありました。4月1日付の異動は2月末に本人に内示され、3月の頭にプレスリリースされますが、その時期はみな気もそぞろでした。私自身は仕事ですから転勤は全く気にしていませんでしたが、わが子たちは転校ばかりでなかなか友達ができず、可哀想だったと今でも思っています。
さて、わが日本正教会教団の会計年度は「6月始まり・5月決算」であり、一般社会とはズレがあります。もちろん、個別の地方教会で宗教法人格を持っているところは、独自に会計年度を教会規則(会社の定款に相当)で定めていますのでその限りではありません。
私の管轄でも人吉、鹿児島、熊本の3教会は宗教法人ですが、会計年度始は人吉が1月、鹿児島が教団と同じ6月、熊本が7月と、全て異なっています。
教団の会計年度が6月始まりなのは、正教会の伝統とは全く関係なく、「全国公会」という概念ができたことによります。
日本正教会を創立したニコライ大主教は明治8年(1875)、自身が司祭に叙聖された記念日の7月11日前後に、教団の年次総会を開催するように定めました。これが今日も継続されている「全国公会」です。株式会社の株主総会に相当するものと言えるでしょう。
この全国公会で決算を承認する関係上、年度の決算を5月締めとする必要が生じ、結果として教団の会計年度は6月始まりとなっているのです。
ちなみに聖職者の定期人事異動は全国公会で公示される関係上、8月1日付です。
もっとも、7月の時点で各教会の信徒総会などの行事は予定が決まっているのが普通なので、7月半ばに異動が発表されて8月1日に着任するのはほぼ不可能に近く、実際は後ろにずれています。
私が九州に異動した時は、いわゆる玉突き人事だったため、他の司祭たちの転居が終わるまで自分は動くことができず、着任が10月になってしまいました。
さて、教団の会計年度は正教会の伝統と関係ないと書きましたが、それでは正教会の新年はいつから始まるかというと「9月1日」です。ユリウス暦を使用している教会の場合は、グレゴリオ暦に換算した9月14日が教会の「元日」となります。
この根拠はいろいろ考えられますが、一番の理由は生神女(イエスの母)マリヤの誕生祭が9月21日(ユリウス暦の9月8日)、永眠を記念する就寝祭が8月28日(ユリウス暦の8月15日)ということにあります。つまり、マリヤは9月生まれ・8月永眠だから、それにちなんで教会も9月始まりとする、という考え方です。
もっとも、一般のカレンダーで元日は「1月1日」ですから、実際の教会のカレンダーも1月始まりになっています。結果として重要な大祭である降誕祭が、グレゴリオ暦を採用している教会では年末の12月25日、日本正教会のようにユリウス暦を採用している教会では新年の1月7日となっています。つまり同じ正教会なのに、降誕祭に年末か年始かの違いがあるという珍現象が生じているのです。
わが国の年度が4月1日始まりというのは、教会はもちろん、世界の一般社会の中でも少数派だそうですが、春が来て花々が咲き乱れる時期に社会が新たなスタートを切るというのは、案外いい発想かも知れません。
今日は久々に晴れたので、司祭館の周囲を歩いてみました。
首都圏や関西では桜が満開だとニュースで言っていましたが、当地では盛りを過ぎて散り始めています。
しかし、菜の花は田んぼのあぜ道の至るところに、長いこと咲いています。
つい1か月前までは毎朝氷点下で、着任した時に司祭館の玄関先に植えたシバザクラも冷凍野菜のように凍りついていましたが、いつの間にかびっしりと花を咲かせています。
いま、人間社会では戦争によって悲しみと苦悩、さらにそれによって生み出された相互の憎しみと分断に溢れていますが、神が造ったこの地球は変わらずに美しく彩られています。イエスが「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる」(マタイ6:30)と言っているとおりです。
そしてイエスは、それに続けて「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6:33)とも言っています。
今日は教会では新年度ではありませんが、これらの花を見て、イエスの言葉に従って隣人愛の実践と平和の追求に努めたいと、思いを新たにしました。