九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

イコンは偶像ではない 第七全地公会記念日

昨日は鹿児島ハリストス正教会に巡回していました。

全国的に秋が深まってきた感がありますが、昨日の鹿児島は28℃。さすが南国です!

鹿児島ハリストス正教会での聖体礼儀


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帰宅すると、横浜在住のWさんから贈られたギリシャ製のイコンが届きました。

Wさんは信徒ではありませんが、幼少期からずっとギリシャアメリカに住んでいたとのことで、前任地の教会に一度だけ訪ねてきました。その時にもギリシャのイコンを献納くださいました。(そのイコンは前任教会にありますので、今は私の手元にありません)

今回、九州管区あてにイコンを献納したいと私に連絡があり、送ってくださいました。

イコンは三枚ありましたが、一般的な板にテンペラで描かれたものではなく、石膏板のレリーフになったものでした。なかなか良くできています。

贈られたギリシャのイコンの一枚「十字架挙栄祭」

よく、「聖書に『あなたは偶像を造ってはならない。彫像、石柱、あるいは石像を建てて、それを拝んではならない』(レビ26:1)と書いてあるのだから、浮彫なんかイコンではない」などとしたり顔で言う人がいます。しかし、確かに立体的な立像はイコンとは見なされないものの、浮彫は平面上に描かれたものである以上、イコンには違いありません。

要するに、イコンとはギリシャ語で「イメージ」という意味で、そこに正教会の神学と伝統に基づいた「イメージ」が表出されているかどうかが問題なのであり、材質が紙か木か石か、どういう製法で描かれているかは全く関係ありません。

むしろイコンの材質や製法など、本質と外れた問題に固執することは、それこそ「律法主義的形式主義」と呼ぶべきもので、キリスト教の考えとは相容れないといえます。

 

さて、本日(ユリウス暦の10月11日)は第七全地公会記念日です。

全地公会(Ecumenical Counsel)とは、キリスト教の教義をめぐって争点が生じたとき、何が正統な教義(Orthodoxy)かを決定するために、当時のキリスト教会の全代表者を招集して開催された会議であり、正教会では歴史上7回開催されたとみなしています。

第七全地公会は「キリスト教会にとってイコンは偶像か否か」の判断を結論づけるため、787年に開催されました。

 

論争の発端は730年、当時のビザンチン皇帝レオン三世が「イコン破壊令」を出したことにさかのぼります。

レオン三世は「キリスト教では聖書に従い、偶像崇拝を禁じているのだから、絵画であるイコンの存在は認められない」と主張してイコンの破却を命じ、従わない教会関係者には罰則を与えました。

これは明らかな政治の宗教への介入事案なのですが、教会側でも「皇帝の言うとおり、キリスト教会に絵画があるのはおかしい。イコンは壊すべきだ」と考える人々と「イコンは初代教会以来の伝統であって、偶像崇拝の対象ではない。イコンは守られるべきだ」と考える人々の間で争いが繰り広げられました。これを「イコノクラスム」(聖像破壊論争)と呼びます。

そして第七全地公会が、この論争に決着をつけるために開催されたのです。

 

公会では神学論争の末、「イコンとはそれ自体を拝むために作られたのではなく、そこに示された神の真像を見るためにあるのだから、偶像には該当しない」という結論に至りました。

この決定には、ダマスコのイオアン(ヨハネ)という神学者の教説が大きく影響しています。彼の主張は次のように要約されます。

「私たちが信じるキリストは、目に見えない神が目に見える人間の肉体を取って、この世に来られた方だと教会は定義する。そうであるならば、キリスト自身が『神のイコン』なのであり、そのキリストを受け入れる以上、教会にイコンがあることに矛盾はない。」

ダマスコのイオアン



なお、全地公会で決議されたにもかかわらず、国の側はイコン破壊方針を継続しました。そして公会から半世紀以上を経た843年、当時の最高権力者・テオドラ皇太后がイコン破壊の撤回を宣言して、ようやくイコノクラスムは終結しました。

正教会ではこちらの843年の出来事の方を重視し、この日(大斎第一日曜日)を「正教勝利の主日」(Sunday of Orthodoxy)として記念しています。

つまり「正しいキリスト教の教義(=正教)」が世俗の政治権力の介入に勝利した、という位置づけです。

 

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このような経緯により、今も正教会ではイコン自体を神でないと理解しつつ、祈りのツールとして大切にし続けています。