九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。2019年から九州全域を担当しています。

コンスタンティヌス大帝 世界史の授業でちゃんと教えていないこと②

今日はコンスタンティヌス大帝の話の続き。彼が天下統一に成功してローマ帝国の最高権力者になった後のことです。

 

コンスタンティヌスはまず、首都の移転に着手しました。

ローマ帝国は元々、イタリア半島の都市・ローマからスタートして大国になりました。よってローマ市はまさに建国の地であり、首都であり続けました。しかし、それは同時に、ローマ古来の宗教的価値観に支配された地域でもあったわけです。

彼はキリスト教という、これまでのローマ帝国が認めて来なかった宗教思想を新しい国造りの理念にするために、昔からのしがらみのない新しい場所へ都を根本から移してしまおうと考えました。

そこで、使徒パウロの時代からキリスト教が定着していたギリシャの、さらに交通の要衝であるボスポラス海峡に面したビザンティオンに新しい都を建設。330年に完成した街に「ノヴァ・ローマ」(新しいローマ)と名づけて、首都を移転しました。

コンスタンティヌスの死後、ノヴァ・ローマはギリシャ語で「コンスタンティヌスの都」を意味する「コンスタンディヌーポリ」(コンスタンチノープル)と呼ばれました。また街の旧名ビザンティオンは歴史用語としての「ビザンチン帝国」の語源になっています。

つまりイタリアのローマ市は、あくまでも「古代ローマの首都」であり、コンスタンティヌスによって新たにキリスト教を受け入れたローマ帝国の首都、すなわち当時の「キリスト教社会の中心地」はコンスタンチノープルだというのが歴史の事実なのです。

f:id:frgregory:20210603224043j:plain

イスタンブール(かつてのコンスタンチノープル

わが国の歴史でも、源頼朝徳川家康武家中心の国を造るにあたり、朝廷や公家の価値観が支配する京都とあえて一線を画し、関東に幕府を開いたわけですが、何だか相通じるものを感じます。

 

コンスタンティヌスが行ったもう一つの重要なことは「キリスト教の正しい教義の確立」です。

彼が天下を取った324年の時点で、イエスの時代から300年が経過しており、キリスト教と言っても様々な教義が乱立していました。

そこで翌年の325年、彼はキリスト教の国教化にあたり、正統な教義の確立を求めました。そして建設中の新首都の隣町ニケアに帝国内の全ての教会の代表者を招集し、会議を開きました。これを「ニケア第一全地公会」といいます。この会議で正統だとして採択された教義をまとめた信仰箇条が「ニケア信経」です。

さらに約半世紀後の381年に開かれた「コンスタンチノープル第二全地公会」で、三位一体の教義が補足されて「ニケア=コンスタンチノープル信経」が作られました。これがキリスト教の正統な教義の決定版として今日まで確立しているものです。

ちなみにこの正統な教義は、ギリシャ語で「まっすぐな(オルソス)讃美(ドクサ)」を意味する「オルソドクサ」と呼ばれました。英語のorthodoxの語源です。

そしてこのオルソドクサを信仰している教会、つまりローマ国教会として正統と認証されたキリスト教会がOrthodox Church(正教会)と呼ばれ、今日に至っているのです。

 

わが国では多くの人が「西ローマはカトリック、東ローマはギリシャ正教」というのですが、「ヨーロッパの西ローマ帝国とオリエントの東ローマ帝国」「カトリック正教会」という、二つの異なる国家や宗教があたかも最初から存在していたかのように考えるのは、西欧中心主義的な歴史観に基づく誤解と言えます。

昨日のテトラルキアで述べたように、ローマ帝国の「東西」とはあくまでも行政区分であって、コンスタンティヌス以降のローマ帝国とは「コンスタンチノープルを首都とする単一国家」であり、1453年にオスマントルコに滅ぼされるまで存続していたのです。

そしてその単一国家の国教会が正教会だったのであり、その中のローマ教会(今日のカトリック教会)は、中世にローマ帝国からゲルマン人に支配者が移ったヨーロッパ社会において、正教会のグループと異なる道を歩んでいく中で組織的にも教義的にも分かれていったと考えるのが、歴史的に辻褄が合った説明です。

 

話をコンスタンティヌスに戻すと、彼はローマの最高権力者として初めてキリスト教を受け入れたことにより、ローマ帝国が支配する広範な地域にキリスト教を定着させました。かつ統一された教義を確立して、今日に至るまでの「キリスト教社会・キリスト教文化」の礎を築いたという意味で、歴史上大変重要な人物なのです。

 

実は私も神学校に入ってから、世界史としてのキリスト教史を勉強してみて初めてこのことが分かりました。高校時代、まともに世界史の授業を聞いていませんでしたが、本気で勉強してみたら面白い発見ばかりです。今さらながら歴史好きになっています。