明治維新の元勲の一人の大隈重信が、前身の東京専門学校を明治15(1882)年10月21日に開校して、今日で140年となります。
本日10月21日は #早稲田大学 の前身である東京専門学校が1882年に開校してから140回目にあたる #創立記念日 です。
— 早稲田大学 (@waseda_univ) 2022年10月21日
創立125周年記念キャラクター #ワセダベア は2000年10月22日の #ホームカミングデー でお披露目され今年で22歳になりました。 #早稲田の記念日 #wasedahttps://t.co/0FMuSGOxci pic.twitter.com/miSO3UdrZD
私自身も早稲田大学の卒業生ですので、母校の慶事をうれしく思います。
また、私が早稲田大学に入学したのは昭和57(1982)年。ちょうど創立100年の記念の年でした。それからもう40年も経ったことに、感慨深いものがあります。
東京専門学校の創立の経緯は、前年の「明治14年の政変」で失脚した大隈が、伊藤博文を筆頭とする薩長藩閥政権と、その官僚養成機関である東京帝大に対抗しうる人材を育成するためであり、極めて政治目的が強いものでした。
しかし後に、いろいろな学部ができて総合大学化し、政治やビジネスだけでなく、文学、スポーツ、芸能などの様々な分野に卒業生がいて、裾野の広い面白い大学だなと思っています。
私自身は早稲田大学に行きたくて高等学院(付属高校)に入学しましたが、その高校の同級生とも大学時代の友人とも、今でもつきあいがあって、早稲田に行って良かったと思っています。
日本正教会の現役司祭で早稲田大学卒は、私の他にもう一人いますので「最大学閥」となります(笑)。全く自慢にも何にもなっていませんが、ただでさえ日本に二十数人しかいない正教会司祭が複数いるということでも「裾野の広い面白い学校」かもしれません。
さて、明治10年代(1877-1886)は早稲田大学だけでなく、法政大学(1880年)、明治大学(1881年)、中央大学(1885年)など、私学の高等教育機関が続々と開校した時代です。やはり、明治維新から10年を経て社会が安定し、より高い教育を受けて社会に出たい人が増えたということでしょう。
わが日本正教会も1861年のニコライ神父(後の大主教)の来日、明治5(1872)年の函館から東京神田への本部移転を経て、今から140年前の明治10年代に大きな前進をしています。
今日はそれらの出来事の中で特にご紹介したいことを、九州の教会関連も含めて年表的に書いてみたいと思います。
明治11(1878)年
明治12(1879)年
・熊本ハリストス正教会開教。
明治13(1880)年
・3月、ニコライ神父が主教に叙聖。
・『正教新報』(現・正教時報)創刊。日本初のキリスト教雑誌。
・山下りんがイコン修行のためロシアに出発。
・石巻教会の会堂建立。現存する日本最古の木造教会堂。
1881(明治14)年
・熊本ハリストス正教会、旧会堂建立(現在はなし)
・手賀ハリストス正教会(千葉県柏市)会堂建立。首都圏に現存する最古のキリスト教会堂
明治15(1882)年
・正教神学校(高等課程)の一期生が卒業。
・女子神学校開校。
明治16(1883)年
・山下りんがロシアから帰国。日本初のイコン画家、また日本人女性初の西洋画家として活躍。
明治17(1884)年
・人吉ハリストス正教会開教、講義所を設立。
・最初の日本語訳祈祷書『時課経』発行。
・東京復活大聖堂(ニコライ堂)着工。アジア最大の正教会聖堂。
140年前の母校も日本正教会も、わが国が文明開化の情熱に燃えていた時代に生を受け、成長したということでしょう。
今は宗教離れ、いや、宗教バッシングといっても良い時代ですが、社会での教会のあり方を考えながら、これからも牧会に努めていきたいと思います。