今日は鹿児島ハリストス正教会に巡回。
主の変容を記憶する「主の顕栄祭」の聖体礼儀を執り行いました。
祈祷の最後に正教会の伝統に則り、執事長が栽培して献納した作物を成聖しました。
ゴーヤ(本来ゴーヤは琉球弁で、鹿児島ではニガウリと呼ぶ)は今は全国区になっていますが、他にヘチマ(写真の左下)やトイモガラ(写真左上の太いセロリのようなもの)など、薩摩独特の夏野菜がたくさんありました。
トイモガラはそれ自体が植物の名でなく、「ハスイモ」という里芋の仲間の植物の葉柄です。
聖体礼儀後は12時半から信徒総会。コロナの影響か、役員だけしか出席しませんでした。結果的にこれまで打ち合わせてきたことの追認でしかなかったのですが、総会で決算を承認することは法令上必要な手続きですので、省くことはできません。
さて、今日は作家の向田邦子氏が亡くなって40年となる日です。
向田氏は1981年8月22日、旅行先の台湾で乗っていた飛行機が墜落し、突然の死を遂げました。当時私は高校生でしたが、その直前まで向田脚本のNHKドラマ「阿修羅のごとく」と「あ・うん」が放映されており、私もずっと見ていましたので、向田氏の急逝は本当にショックでした。
向田氏は東京出身ですが、保険会社に勤めていた父の転勤の関係で国内のあちこちに住んでいます。特に小学校時代の2年間を過ごした鹿児島での思い出をエッセイ『父の詫び状』に記しているとのこと。私自身は恥ずかしながら未読ですので、読んでみようと思いました。
時代を疾走した向田邦子「父の詫び状」と市井の人びと 8月22日は、向田邦子の命日 | 2021/8/22 - Re:minder https://t.co/dJ5alXdtqK
— 九州の正教会 日本ハリストス正教会九州管区 (@ocjkyushu) 2021年8月22日
向田氏が鹿児島で通っていた小学校は、鹿児島ハリストス正教会のすぐ近くの山下小学校です。ここは1878年開校で、今年創立143年。鹿児島市で一番歴史のある小学校です。
向田氏は5年生の時に他県に転校したので卒業生ではありませんが、向田氏を顕彰して「向田邦子賞」という校内作文コンテストを実施しています。
向田邦子氏の没後40年の日に、ゆかりの小学校と目と鼻の先の教会でお祈りしていたのも、何かの巡り合わせかも知れませんね。