九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

鹿児島でのウクライナ避難者支援と交流の集いへ

今日は鹿児島市北埠頭の「鹿児島県フードバンクセンター」で開催された「鹿児島県ウクライナ県人会」に伺いました。

鹿児島県フードバンクセンターの事務所を訪問


鹿児島県フードバンクセンターは企業などから食品・食材の寄付を募って鹿児島県内の生活困窮者、特に貧困世帯の子どもの救済活動を行っている民間団体です。

霧島市プロテスタント牧師の村上光信先生がこの事業を始め、今も代表をされています。

 

一昨年2月、ロシアのウクライナ侵攻が始まり、鹿児島にもウクライナから避難してきた人々が来たことから、この団体でウクライナ避難者の支援と市民との交流のための集いとして「鹿児島県ウクライナ県人会」を始められ、毎月第三土曜日に例会を開いています。

 

私はカトリック鹿児島司教区本部で開催されている超教派の聖職者勉強会に定期的に参加しているのですが、そこで村上先生と知り合いました。

もともと、2020年の人吉大水害の後、被災者支援のためにフードバンク活動を行っている方に人吉ハリストス正教会の建物をお貸ししていたので、フードバンクの仕組みについていろいろ聞かせていただいていたのですが、ウクライナ避難者支援も始められたと聞いて、ぜひ行って実際に見てみたいと思うようになりました。

ウクライナの宗教事情は複雑ではありますが、苦しんでいる国民の多くは私と同じ正教徒であることに間違いないからです。

 

鹿児島ハリストス正教会の信徒でルーマニア人のエレナさんの総菜店で差し入れの料理を購入し、事務所を訪問。

何人かの信徒から寄せられたウクライナ支援献金をお渡ししました。

 

会場には20人弱の人々が集まっていて、ウクライナ人は数人だけでしたが、普段はもっとたくさんのウクライナ人が来るそうです。

 

この日は日本語学校に通っているお母さんと、鹿児島市内の中学校に通っている娘さんの母娘ダブル卒業祝いとのことでした。

高齢ボランティアの方たちのハーモニカ演奏

事務局から母娘に卒業記念品贈呈

続いて支援者の持ち寄りの料理で昼食会。

持ち寄りの料理でブュッフェスタイルの昼食会

ウクライナの方が作った郷土料理のワレニキ(水餃子に似た料理)もありました。

ウクライナ料理・ワレニキ

もちろん、エレナさんの店で買ったルーマニア料理も並べてもらいました。

一瞬で無くなってしまいました!

差し入れたルーマニア料理

この日は県内の農業生産者から大量のトマトと卵の寄付があり、最後に来場者にお土産として配られました。

私も「教会の皆さんに」ということで、たくさんいただきましたので、明日の人吉ハリストス正教会の聖体礼儀後に参祷者に配ろうと思います。

寄付されたトマトと卵

 

参加していたウクライナ人の方たちから「鹿児島に正教会があるとは知らなかったのでカトリック教会に行っていた。正教会はどこにあるのか」「お祈りがあるのはいつか」など、いろいろ尋ねられたので鹿児島教会の場所と巡回日を教えました。

ちなみに、上記のエレナさんのルーマニア惣菜店は市内でも結構知られているので、「教会に行けばエレナさんに会えるのか」と尋ねた人もいました。

今後、私たちの教会が彼らの交流と宗教的安らぎの場になれれば良いと思います。

 

約2時間滞在して事務所を後にしました。

今日の鹿児島の気温は20℃を超え、初夏のような日差しだったので、帰りは鹿児島湾沿いの道をドライブしました。

桜島の景色が、今日のほのぼのとした気持ちを一層高めてくれました。

今日の桜島の景色

 

九州の正教会の歴史遺産を守る

本日、3月11日は2011年に東日本大震災が発生した日です。
日本正教会は宮城・岩手両県に最も多くの教会が集中しており、現地の信徒が9名犠牲になったほか、多くの教会堂が被災しました。

特に町の大半が津波と火災で壊滅的な打撃を受けた岩手県山田町では、山田ハリストス正教会が火災で焼失し、山下りんが描いたイコンを含む明治時代の宗教遺産が永久に失われました。

大震災で辺り一面が更地となった山田ハリストス正教会の跡(2013年9月、現地で撮影)

日本正教会では教会堂だけでなく、明治時代に信徒だった個人宅に19世紀のイコンなどが残っていることが少なくありませんが、それが失われてしまうリスクは大規模災害でなくても常にありますので、そのような歴史的宗教遺産の発見と保全も教会の使命ではないかと考えています。

 

ちょうど先週の土曜日、北九州市のB子さんの依頼でご自宅を訪問しました。

B子さんは大分県でただ一軒の明治期からの信徒家庭だったAさんの娘ですが、本人は信徒ではありません。

一昨年暮れにAさんが永眠して既に葬儀を執り行ったとの連絡を受け、翌1月にB子さん宅を訪ねてパニヒダを献じ、さらに5月に空き家になっている大分県宇佐市のAさん宅に行き、再びパニヒダを献じて敷地内にあるお墓に納骨しています。

 

frgregory.hatenablog.com

 

Aさん宅には明治時代のイコンがたくさん安置されていて、山奥の個人宅なのにこんなにたくさんの古いイコンをどうしたのかと、大変驚いた記憶があります。

Aさん宅の古いイコンの数々(2023年5月撮影)

今回、B子さんから話があったのは、空き家のAさん宅を処分するにあたり、保管されている古いイコンを寄贈したいので来てほしいということでした。

もちろん、ただ行ってイコンを引き取ってくるだけでは宅配業者と同じになってしまいますから、B子さん宅でAさんへのパニヒダを献じました。

 

イコン類は教会に置くような大きいものが多く、枚数もあって、司祭館では広げられないため、今日人吉教会の集会室に運んで梱包を解きました。

引き取ったイコン類(一部)

大きなキリストのイコンの分厚い額縁の裏には、文字が書かれています。

大きなキリストのイコンと額縁の裏面

「中津会祈祷所公物 明治十六年十二月十三日逓送 東京本会事務所」と読めます。明治16年とは1883年ですから、140年前に東京の本会(教団本部)から当時の中津教会あてに贈られたイコンということになります。

旧中津教会の歴史は不明ですが、1883年は人吉ハリストス正教会の設立年なので、同年に中津にも教会が設立されて、このイコンを教団本部が記念品として贈呈したのではないかと想像しています。

 

また、ニコライ堂のイコノスタスが写った大きな写真の額縁の裏にも文字がありました。この写真は1891年にニコライ堂が落成した時に撮影されたものです。

ニコライ堂は1923年の関東大震災で内部が焼失しましたので、この写真のイコノスタスは現在残っていません。

1891年、落成時のニコライ堂のイコノスタスの写真と額縁の裏書き

「基督降生 壱千九百拾年四月吉日 フェオドル安部勇市需之」とあります。

安部勇市氏はAさんの先祖で、1910年4月にこれを入手した旨、本人が記入したものと思われます。

 

他にも19世紀のロシア製のイコンが何枚もありました。

19世紀のイコン「キリスト」

19世紀のイコン「至聖三者」(三位一体)

19世紀のイコン「復活祭と十二大祭」

A家が正教信仰を受け入れた経緯は、B子さんらご遺族に聞いても全く分からないとのことですが、額縁の裏書きによれば、どうやらA家は明治時代に大分県中津にあった中津教会の中心的な信徒だったと思われます。A家の所在地から中津まではかなり距離があるので、A家の人々がどうして正教会を知り、車のない時代にどのようにして中津まで通って洗礼を受けるに至ったのかは謎のままですが…

西南学院大学博物館が2018年に出した論文「日本ハリストス正教会と九州」に、1902年時点の九州各地の正教会と信徒数のデータが掲載されていますが、それによれば中津教会は25世帯59人の信徒を擁する、九州でも大きな教会でした。

それが何らかの理由で解散してしまい、唯一残った信徒のA家が、教会のイコン類を引き取って保管してきたのでしょう。

 

Aさんには男子がなく、子どもはB子さんら5人の姉妹だけでA姓を継いだ人はいません。また姉妹は誰も洗礼を受けていません。つまり「信徒のA家は断絶」してしまったわけです。

今回、B子さんと接点があったおかげで、A家が保管していた明治期のものを保全することができましたが、今後も九州の正教会の埋もれた歴史遺産の発掘を可能な限り進めていきたいと思っています。

今日は福岡女学院へ

昨日は九州北ハリストス正教会で聖体礼儀を執り行いました。
普段通っている人たちが数家族来られなかったのですが、それでも参祷者は15人いました。


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福岡は旧伝道所時代から、聖体礼儀一回あたりの平均参祷者数が九州の他の三教会(熊本・人吉・鹿児島)の合計よりも多かったのですが、新教会は立地が良くなったので、さらに参祷者が増えるでしょう。

子どもや若者が多く来るのも福岡の特徴で、この日も参祷者15人中5人は小学生以下、2人は中学生、2人はウクライナ出身の大学生でした。60歳以上はステンドグラスを献納したシメオンさんと私の妻の二人だけです。

祈祷を動画に撮ると、子どもが元気に室内を走り回る音が入っていたりします。これも嬉しいことです。

 

さらに予想どおり、シメオンさんに献納いただいたステンドグラスが皆に好評だったので、大変晴れやかな気分で祈祷することができました。

 

さて、今日は福岡女学院中高校(福岡市南区)の朝礼拝へ。

この学校は1885年にメソジストの女性宣教師、ジェニー・ギールが創立した、歴史あるプロテスタントのミッションスクールです。

毎朝8時40分から、授業開始前の朝礼拝が行われていて、学校のチャプレンや牧師資格を持つ教員が持ち回りで説教しているのですが、毎週一回、外部の教会の牧師を呼んで話をさせているそうです。

私は偶然、プライベートでこちらの学校の宗教主事のO先生と知り合いだった関係で、「当校はミッションスクールであるにも関わらず、ノンクリスチャンの生徒が多く、またキリスト教プロテスタントしか知らない子たちばかりなので、朝礼拝の中で正教会についてお話ししてもらえませんか」と依頼を受けました。

学校としてプロテスタントでない牧師(正確には司祭ですが)に依頼するのは過去にないということで、そういうチャレンジングな試みには大いに共感できましたのでお引き受けしました。

正教会司祭が他教派の教会の礼拝を司式することは許されませんが、正教会についての講話をすることなら問題ありません。

 

そのようなわけで昨日は福岡で宿泊し、今朝福岡女学院を訪ねました。

講話の主題は「違いと一致」です。

こちらは正教会司祭なので、プロテスタントの牧師先生のようにスーツ姿で説教するようなことはせず、ちゃんとリャサ(カソック)を着用して行きました。

福岡女学院の講堂で講話

 

正教会の聖堂はプロテスタント教会と違って、「信徒の座る椅子はない」「イコンがたくさんあり、とても大切にしている」「礼拝で楽器が演奏されることはない」といった外見上の違いを紹介。

イコンの紹介

なぜキリスト教正教会カトリック教会、プロテスタント教会の三つがあるのかを、キリスト教史から説明。

そして使徒言行録2章の聖霊降臨の記述をもとに、「世界には言語や文化の異なるたくさんの人々が住んでいる。宗教でさえも、さらにはキリスト教でさえも異なるグループが存在している。しかし、聖霊降臨で使徒たちが多くの言葉で話し始めたことに示されているように、福音は世界のすべての人々に向けられている。つまり神は人間の違いを超えて一つに結び付けようとしているのだから、私たちも世界の人々の多様性を理解するように努めよう」といった趣旨でまとめました。

 

O先生からは、始業時刻の関係で10分程度で話をまとめるように事前に言われていましたが、ボリュームが多い割にジャスト10分で話し終えたので良かったです。

熱心に聴いている生徒もいましたが、大半の生徒は居眠りしていました。でも自分の学生時代の朝礼を思えばむしろ自然で、微笑ましい光景です。

 

講堂にいたのは高校生たちで、中学生は教室にいて校内放送で聴講していたのですが、礼拝が終わって講堂から出ると、何人かの中学生が集まってきました。

私はイコンを持ってきて話したのですが、校内放送では実物が見えないので、どんなものか見せてほしいというのです。コンサートの終演後に、聴衆が楽屋口で出待ちしているみたいです。

しかし、あと数分で授業が始まるというのに、興味を持ってわざわざ教室から出てくる中学生がいたことに何だか嬉しくなりました。

 

礼拝の前後を含めて1時間足らずの滞在でしたが、福岡女学院ティーンエイジャーの皆さんの前で前例のない「非プロテスタントの先生のお話」をさせてもらって、こちらもほのぼのとした良い経験となりました。

そして昨日といい今日といい、子どもや青少年(正確には今日は少年でなく少女ですが)を相手に宣教牧会させてもらいましたが、これは今の日本正教会の教勢ではレアなことですので、自分はとても恵まれていると思っています。

福岡新教会にステンドグラスが入りました

福岡巡回のため、今日から福岡に来ています。

 

今日は九州北ハリストス正教会のステンドグラス設置作業に立ち会いました。


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これは先月、新教会を開所するにあたり、信徒のシメオンさん(仮名・アメリカ出身)から献納の申し出があって製作されたものです。

 

開所日の前々日、2月2日に製作者の色彩工房ディールさんに、下見と窓のサイズの計測に来てもらいました。

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下絵はシメオンさんが描いた絵をもとに作られました。

 

いよいよ作品が完成し、今日の午後に取り付け作業に入ってもらいました。


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本物のステンドグラスは色ガラスを組み合わせたものですが、これはアクリル板の上にプリントし、ガラス窓の上に貼り付けたものです。

本物のガラスでないにしても安価だし、何より割れる心配がありません。

 

素晴らしい出来映えです!!

設置場所は東側の窓で、宝座(祭壇)の向こう側になるので、参祷者の誰もが向かい合うポジションになります。 


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明日、参祷した信徒の驚く顔を見るのが今から楽しみです。

何より、司祭館の一室に過ぎない礼拝所が、さらにグッと教会らしくなりました。 

シメオンさん、ありがとうございました!

 

人吉に来て初めての洗礼

今日は人吉ハリストス正教会での奉事日です。

聖体礼儀の開式前に、宮崎市在住のエディーさん(仮名・日本人)の洗礼式を執り行いました。

九州に着任して5年、人吉以外の3つの教会では新たな受洗者を導いてきましたが、人吉教会では初めて執り行う洗礼式です。

その意味で大変印象深いものとなりました。

エディーさんの洗礼

エディーさんは正教会に関心を持って、2021年10月に人吉まで訪ねて来られたことで私たちとの接点が生まれました。

その後、正教会への学びを希望されたので、Zoomでオンライン伝道会を行ってきました。

そして最初の出会いから2年半経過し、洗礼のご決意に至ったのです。

エディーさんを教会に導かれた神に感謝です。

 

さて聖体礼儀後の正午から、もともと予定していた信徒総会を行いました。

毎年、決算報告プラスアルファで何となく終わってしまう総会でしたが、今回は福岡新教会が立ち上げられ、管轄司祭が転居するということで、それに関わる変更点について協議しました。

 

具体的には、教会はこれまで支払ってきた司祭館の水道光熱費や電話代の負担がなくなる代わりに、福岡から人吉へは出張扱いとなるため、新たに司祭の出張交通費を負担する必要が出てきます。

そもそも人吉教会は信徒世帯が一けたで、当然ながらそれに比例して献金収入も微々たるものであり、常駐司祭を置くこと自体に人事政策上の無理がありました。

実際、決算は毎年赤字です。

司祭の転出で、上記のような固定費の負担は免れるものの、現状は聖体礼儀を行っても復活祭や降誕祭以外は参祷者が数人で、祈祷一回の参堂献金(信徒が参祷時に納めるロウソク代などの献金)が数千円、時には数百円の状態です。

そうすると、今後は祈祷をすればするほど、出張交通費(福岡人吉間の往復でガソリン代を含めれば1万5千円前後)の支払いのために赤字が拡大することが考えられます。教会としては矛盾しているのですが…

そこで苦渋の選択として、司祭巡回は毎月でなく、2か月に一回の隔月として、その代わり祈祷がある時はちゃんと参祷しよう、ということになりました。

 

都会の信徒数の多い教会(私の前任地を含む)では考えられないことですが、過疎地ではどのようにして教会を維持していくか、真剣に考えなければなりません。

「そんなもの、もっと強制的に信者に献金させれば解決するじゃないか」というのは全く正しくありません。なぜなら「宗教への信仰はその人の自由」だからです。

信者になりたいと自発的に思う人を増やすことで、献金もそれに付随して増えるのであって、献金であれ他のことであれ、本人の意におかまいなしに宗教が何かを人に強制することは、「宗教の自殺行為」でしかないと私は考えます。

ですので、信者になりたい人を増やすことは宣教師である自分の当然の務めとしてやっていきつつ、その人々を受け入れる器である教会をどう守っていくかにも、知恵を絞っているところです。

福岡の新教会オープン!! 初めての聖体礼儀

今日、待ちに待った新教会「九州北ハリストス正教会」の開所の日を迎えました。

 

開所にあたっては、一昨日から妻と福岡のホテルに泊まり込み、二日間かけて最終準備をしました。

まずは1月13日に搬入した段ボール類を開梱し、什器備品を配置。

さらに新教会に必要な備品をリストアップし、ホームセンターで買い込みました。

 

最優先で購入しなくてはならなかったものはカーテンです。

イコンの色調に合わせて、カーテンの色はゴールドを選びました。

しかし、色以上にこだわったのは安全対策です。

正教会の会堂ではロウソクをたくさん灯すため、カーテンに引火して火災が発生したら、多くの信徒の生命を危険にさらすことになります。そんなことは絶対にあってはなりません。

そこで割高を承知の上で、防火仕様の生地のカーテンを選びました。

購入した防火仕様のカーテンを取り付け

もちろん消火器も購入し、礼拝所内に備え付けました。

礼拝所内に消火器を設置

 

また旧福岡伝道所は手狭だったため、スリッパや傘立て、上着をかけるためのハンガーなど、参祷者のための備品がほぼ皆無でした。そこで、新教会では参祷者が不便を感じないよう、それらの備品も購入して備え付けました。

参祷者用の傘立て

 

一通り什器備品をセッティングしてから、いよいよ壁にイコンを取り付けました。

福岡伝道所にはあまり多くのイコンはなかったため、壁面はスカスカですが、それでも少しは正教会ぽくなったように感じます。

壁にイコンを配置

旧伝道所にあった唯一大きなイコンは、畳半畳ほどもあるキリストのイコンですが、重みで落下して信徒に当たってはならないと思い、礼拝所のドアの前の廊下に飾りました。

大きなイコンは廊下に設置

玄関には鹿児島の工芸家の方に額装してもらった生神女のイコンを飾りました。

額装された生神女マリヤのイコンを玄関に

 

ここまで準備して、肝心の今日、参祷者が来なかったらどうしようと思いましたが、それは全くの杞憂でした。

24名の参祷者(うち7名は小学生以下の子ども)が集い、盛大に聖体礼儀と感謝祈祷を執り行うことができました。

新教会での初めての聖体礼儀


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新教会の開設に合わせて、新たに通いたいと希望する方たちが来られました。

また福岡の参祷者はアメリカ人をはじめ、海外にルーツを持つ英語話者の方が多いのが特徴のように思います。

日本正教会は亜使徒ニコライが、日本人による日本語の典礼を通して、日本に正教会信仰を根づかせるために築かれましたが、それはもちろん日本人「だけ」の教会を意味するものではありません。

教会は全ての人に開かれており、信仰という共通項でキリストとの一致を目指す場であって、そこに民族的なアイデンティティによる分断を持ち込んだら、もはやキリスト教とは呼べないと考えます。残念ながら世界の正教会の中には、そのような民族主義的思想を標榜している人々も少なくないのですが…

その意味で、福岡ではコスモポリタン的な「教会のあるべき姿」を目指していくことができそうです。

 

新教会にはまだ聖堂はなく、司祭館の一室を礼拝所としてスタートしたばかりですが、多くの人が集まる教会を目指し、近い将来に聖堂を建立して未来に続く教会を築き上げたいと思っています。

教会の引越しと人間関係づくり

先週の金曜日、1月12日に教団から書状が届きました。
福岡の新教会「九州北ハリストス正教会」の開設準備と並行して、2月1日付での開所を教団に申請していましたが、それを承認する旨の内容です。

九州北ハリストス正教会開設の教団からの承認書

日本正教会傘下の各地の教会は、宗教法人格の有無を問わず、教団の承認なしに勝手に建物を建てたり、新教会組織を創設することはできません。

その意味で、これはオフィシャルに新教会の開設が認められたことになります。

教団から資金提供を受けて進めてきたプロジェクトである以上、教団が承認しないわけはありませんから、出来レースと言われればそれまでですが、やはり担当者として嬉しいというのが率直な気持ちです。

 

翌日の13日(土)は、かねてから予定していた福岡伝道所から新教会への什器備品の引越し作業です。

少しでも代金を安くするため、午後の遅めの時間帯で発注していました。

 

14時半に業者が到着。

福岡伝道所の前は道幅が狭くて車が乗り入れられないのですが、50mくらいの位置までトラックを付けてくれました。プロのドライバーとはいえ神業です。

細い道に乗り入れた引越しのトラック

荷物の量は少ないので、あっという間に搬出されました。

伝道所のプレハブ小屋は、今回の新教会開設と共にその役割を終えたわけですが、がらんとした室内を見渡すと、今日に至るまでの先人の苦労がしのばれます。

がらんとした伝道所の室内

トラックより先回りして新教会に行きましたが、数分後にはもうトラックが到着しました。旧伝道所からわずか2㎞しか離れていないので当然ですが。

新教会にトラックが到着

荷物のほぼ全ては、2階のチャペルに置くだけですので、搬入は搬出時よりも短時間で終わりました。

室内は旧伝道所よりも広いので、什器備品も余裕をもってレイアウトできます。

レイアウトを考えていると楽しくなってきます!

チャペルのレイアウトを考える

業者は作業を終えて16時半頃に帰って行きましたが、暗くなる前に済ませようと考えていたことがありました。

それは、新教会の近隣住民への挨拶回りです。

 

近所の方たちからすれば、ずっと売りに出ていた家にやっと買い手がついて、どんな人が買ったのか興味津々だったところ、教会の看板が出ていたわけです。

しかも「ハリストス正教会」という聞いたことがないような名前です!

最近はカルト宗教による社会問題が顕在化してきており、「聞いたことがない宗教団体」が隣に来るなんて嫌だ、と思う方がいても不思議ではないはずです。

また、実際に祈祷を始めれば、世間では休日である日曜日の朝に人が集まって、大声で歌を歌ったりするわけです。それを迷惑に思う人がいるかも知れません。

そのような地域の皆さんの不安を払拭し、良好なご近所づきあいをさせていただくためには、最初のこちらの姿勢が肝心です。

実際に新教会に住まいを移すのは何か月も先の話ですが、教会としての活動を始める以上、こういうことに無神経でいたら「あそこからは何の挨拶もない。やっぱり怪しい人たちでは」と言われかねません。

 

そこで妻があらかじめ買っておいた手土産を持って、夫婦で教会に隣接するお宅を訪ねて回りました。

「日曜日だけはどうしても難しいですが、町内会のお手伝いもできる限りさせていただきます」と言うことも忘れませんでした。宗教云々以前に、既存の住民が負担に思っているのは町内会や自治会の行事や当番だからです。

空き家が多くて、人が住んでいる家は6軒だけでしたが、まずはけじめをつけられて良かったです。

 

挨拶回りを終えて、最後にこの物件を買った時の不動産会社の営業担当者のO氏を訪ねました。O氏は購入代金を払って物件の引渡しを受けた後も、住宅のリフォームやメンテナンスについてアドバイスしてくれたり、工事業者に口をきいてくれたり、空き時間に掃除に来てくれたりと、給料の範囲外のサービスを親身にしてくれたのです。

会社に着いた時は17時半過ぎていましたが、まだ営業時間中で、しかも訪問営業には遅い時間帯だからか、O氏も他の社員も事務所にいました。

O氏に店頭に出て来てもらい、「今日、教会の引越しが済んだのでお知らせにきました。Oさんが良くしてくれたおかげで本当に素晴らしい物件を買うことができました。ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」と言って、「これを皆さんで召し上がってください」と菓子折りを渡しました。

私自身も前職で営業経験が長かったので分かりますが、契約後に客の側が会社に来て営業担当者を出せと言うのは苦情が大半で、わざわざお礼を言いに来るというのは滅多にないはずです。

アポなしのサプライズ訪問で、O氏は嬉しそうでしたが、他の社員たちが(たぶん上司も)見ている前でしたから、O氏の社内での株も上がるかもしれません。

一つの場所で長く教会をやっていくには、信徒や地域の人々だけでなく、関わりのある業者さんも大切にして、良いお付き合いをしなければと思っており、O氏も例外ではないので、これまた良いけじめをつけることができました。

 

翌日の日曜日は熊本巡回のため、不動産会社を出て熊本に移動。到着は19時半で、お腹がペコペコになっていましたが、ひと仕事やり遂げた満足感で一杯でした。