今日は人吉ハリストス正教会での奉事日です。
聖体礼儀の開式前に、宮崎市在住のエディーさん(仮名・日本人)の洗礼式を執り行いました。
九州に着任して5年、人吉以外の3つの教会では新たな受洗者を導いてきましたが、人吉教会では初めて執り行う洗礼式です。
その意味で大変印象深いものとなりました。
エディーさんは正教会に関心を持って、2021年10月に人吉まで訪ねて来られたことで私たちとの接点が生まれました。
その後、正教会への学びを希望されたので、Zoomでオンライン伝道会を行ってきました。
そして最初の出会いから2年半経過し、洗礼のご決意に至ったのです。
エディーさんを教会に導かれた神に感謝です。
さて聖体礼儀後の正午から、もともと予定していた信徒総会を行いました。
毎年、決算報告プラスアルファで何となく終わってしまう総会でしたが、今回は福岡新教会が立ち上げられ、管轄司祭が転居するということで、それに関わる変更点について協議しました。
具体的には、教会はこれまで支払ってきた司祭館の水道光熱費や電話代の負担がなくなる代わりに、福岡から人吉へは出張扱いとなるため、新たに司祭の出張交通費を負担する必要が出てきます。
そもそも人吉教会は信徒世帯が一けたで、当然ながらそれに比例して献金収入も微々たるものであり、常駐司祭を置くこと自体に人事政策上の無理がありました。
実際、決算は毎年赤字です。
司祭の転出で、上記のような固定費の負担は免れるものの、現状は聖体礼儀を行っても復活祭や降誕祭以外は参祷者が数人で、祈祷一回の参堂献金(信徒が参祷時に納めるロウソク代などの献金)が数千円、時には数百円の状態です。
そうすると、今後は祈祷をすればするほど、出張交通費(福岡人吉間の往復でガソリン代を含めれば1万5千円前後)の支払いのために赤字が拡大することが考えられます。教会としては矛盾しているのですが…
そこで苦渋の選択として、司祭巡回は毎月でなく、2か月に一回の隔月として、その代わり祈祷がある時はちゃんと参祷しよう、ということになりました。
都会の信徒数の多い教会(私の前任地を含む)では考えられないことですが、過疎地ではどのようにして教会を維持していくか、真剣に考えなければなりません。
「そんなもの、もっと強制的に信者に献金させれば解決するじゃないか」というのは全く正しくありません。なぜなら「宗教への信仰はその人の自由」だからです。
信者になりたいと自発的に思う人を増やすことで、献金もそれに付随して増えるのであって、献金であれ他のことであれ、本人の意におかまいなしに宗教が何かを人に強制することは、「宗教の自殺行為」でしかないと私は考えます。
ですので、信者になりたい人を増やすことは宣教師である自分の当然の務めとしてやっていきつつ、その人々を受け入れる器である教会をどう守っていくかにも、知恵を絞っているところです。