九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

教会での結婚式の準備!

今度の日曜日は人吉ハリストス正教会で婚配式(正教会の結婚式)が行われます。

カップルは福岡伝道所所属のオーストラリア人女性信徒と、先々週に洗礼を受けた長崎市在住の男性です。

福岡伝道所は狭すぎて(正味6畳ほど)婚配式を執行するのが不可能なので、正規の聖堂のある人吉まで、参列者も含めて長崎や福岡から出てきてもらうことになりました。

 

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わが国で婚配式が行われることは珍しく(理由は後述)、特に人吉のような地方では滅多にありません。今さら書きたくないですが、九州管区は過去の司祭たちが信徒の異動をちゃんと記録していなかったため(怒)、人吉での過去の婚配式の記録も正確には不明です。それで古い信徒に尋ねたところ、外国人の婚配式が10年ほど前にあったことを除けば(その外国人も結婚式を挙げるために来たのであって、その後は教会に来ていません)、昭和15年(!)に現在の執事長のご両親の婚配式が行われて以来とのことのようです。

普段から聖堂内は私たち夫婦で掃除していますが、燭台に蝋がこびりついて美観が今ひとつだったので、分解して磨きました。

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燭台を分解掃除

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綺麗になりました

婚配式の必須アイテムは、新郎新婦がかぶる(ロシアでは頭上に掲げる)ための冠です。鹿児島教会に19世紀のロシア製と思われる冠があるのを見つけて持ち帰りました。既に述べたように使われた機会は滅多になかったとは思いますが、古すぎていくら磨いてもこちらはあまり綺麗にはなりませんでした。まあ骨董的価値(?)ということで、参列者には大目に見てもらいましょう。

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婚配式用の冠

九州で婚配式の聖歌を過去に歌ったことがある人は私以外にいないのですが、さすがに司式しながら歌うことはできません。そこで歌えそうな人ということで、夕方に妻の他、相良村の保育園の園長をしている信徒に教会に来てもらって練習しました。


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さて、わが国で婚配式は珍しいと書きましたが、理由は「婚配式は新郎新婦の両方が正教徒でなければできない」からです。

婚配式は正式には婚配機密といい、聖体機密(パンと葡萄酒からキリストの肉と血に変化した聖体を領食する)や痛悔機密(司祭の前で罪を告白して神の赦しを得る)と同様、正教会の洗礼を受けた信者だけに許される機密(サクラメント)という位置づけです。

結婚した後で配偶者が洗礼を受けるケースは多いのですが、この場合は結婚の時点では信者同士でないため、教会での結婚式は認められず、よその式場で挙げていただくことになります。

わが国ではクリスチャンでない人が結婚式場などでキリスト教式の結婚式を挙げることはむしろ一般的です。またカトリックプロテスタントも宣教目的という、私に言わせれば「口実」で、教会での信者でない人の結婚式を受け付けています。口実だというのは、教会に献金を払って結婚式を挙げたノンクリスチャンのうち、その後も教会に通って洗礼を受ける人は極めて稀だからです。

 

ではなぜ正教会では信者でない人の結婚式は駄目なのでしょうか。

正教会が考える教会とは、洗礼を受けて神の民となったメンバーが、キリストを通して天国に与るための場所です。婚配機密も、そのメンバー同士が結ばれて新しい信徒家庭を築くことを教会が承認し、祝福するためのものです。よって信者でない人の結婚式を教会で挙げることは、信仰を持って洗礼を受け、神の民のメンバーになった人々を無効化させるに等しいので、認められないのです。

たとえ巨額の献金をするから特別に認めてくれと言われても絶対に駄目です。教会は商売ではないからです。

もちろん誤解してほしくないのは、信徒でない人は教会で結婚式を挙げられないと言っているのであって、信徒と信徒でない人との結婚を禁止すると言っているのではありません。どんな人でも神から自由な意思を授かっており、その人の信仰も結婚もその人の自由だと正教会は考えるからです。

 

今回のカップルは、新郎が洗礼を受けて彼女とクリスチャンホームを造りたいという明確な意思を持っていたので、婚配式を挙げるに至ったものです。私自身が32年前、心に決めた女性とクリスチャンホームを築きたいと思って洗礼を受けたことを思い出しました。ただし正教会ではなく、カトリック教会でしたが(笑)。

本番(?)は三日後ですが、彼らの未来に神の祝福があるよう祈るばかりです。