九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

人吉で降誕祭 4年ぶりのクリスマスパーティー

昨日は人吉ハリストス正教会で降誕祭を執り行いました。

降誕祭聖体礼儀


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国内の他教派の教会は今日、または日曜日である昨日に降誕祭の礼拝を行ったところが大部分だと思いますが、いつも書いているように、教会暦にユリウス暦を採用している日本正教会の降誕祭は1月7日(ユリウス暦の12月25日)です。

その意味ではかなり前倒しの降誕祭で、他教派の教会と重なってしまっているのですが、私の場合は九州4教会を一人で掛け持ちしているので、ユリウス暦とか現代の暦とか言っていられず(笑)、人吉のクリスマスを昨日行ったわけです。

 

聖堂は先週の鹿児島巡回から戻った後、妻があらかじめ飾り付けをしました。

聖堂の飾り付け

人吉教会は小さい教会で、せいぜい3家族に2人前後の個人を合わせたくらいしか参祷しませんが、それでも降誕祭ということもあって、久々に二桁の信徒が参祷しました。

 

私の着任翌年の2020年以降、コロナ禍のために降誕祭の祈祷後の会食は取り止めてきましたが、ようやく4年ぶりに再開しました。

人吉駅前の駅弁屋に注文した幕の内弁当で、特段贅沢なものはありませんが、千葉県でパン教室を主宰している私たち夫婦の知人が手作りの大きなシュトレンを差し入れてくれたので、それを分け合いました。少しはクリスマス的な感じを出すことができたように思います。

差し入れの手作りのシュトレン

 

もちろん正教会の降誕祭は主の体に与ること(=聖体礼儀)が目的であって、クリスマスパーティーを開くことが目的ではありませんが、しかし4年ぶりにクリスマスパーティーを催して、小さな地方教会が信徒の交流を再開することができたのは大きな意味があると思っています。


会食の後、聖堂で参祷者に配ったお菓子やクリスマスカードなどを持って、体調不良などで参祷できなかった人吉市内の信徒宅にお見舞いに行きました。(もっとも2軒だけですが)

主の降誕の喜びが、この九州の小さな街だけでなく、世界の果てまで伝わるよう、これからも務めていきたいと思っています。

 

鹿児島で子どものためのクリスマスイベント

昨日は鹿児島ハリストス正教会に巡回。

少し早めの降誕祭を執り行いました。

鹿児島教会の降誕祭のイコン。明治時代のもの

信徒が飾りつけたクリスマスツリー


祈祷後は信徒会館で会食。

13時半から聖堂で、子どものためのクリスマスイベントを開催するので、のんびりとは食べていられません。

それでもルーマニア家庭料理の惣菜店を営むエレナさんが、自慢のルーマニア料理を差し入れてくれました。

差し入れのルーマニア料理

そうこうするうちに子どもたちが集まり始めたので、定刻の13時半にイベントを開始しました。

このイベントは、教会がある平之町の子ども会「平之町あいご会」と共催で、小学生の子どもたちを対象にしたものです。もう20年以上も続いています。

初めの頃に参加した子どもたちは、もうお父さんお母さんになっているでしょう。

私が着任した翌年の2020年からコロナ禍が始まって、中止に追い込まれたり、プレゼント配布だけで終わった年もありましたが、今年は過去最高の参加者数となりました。小学生だけで90人、付き添いの保護者も合わせると100人超です!

町内にはファミリー向けのマンションが何棟もあるとはいえ、近所にこんなにたくさんの子どもたちが住んでいるとは驚きです。少子化時代が嘘のようです。

一度に全員は到底聖堂に収容しきれないので、13時半と15時の二部制にしました。教会としては嬉しい悲鳴です。

 

オープニングでは、クリスマスキャロルを歌う子どもたちの声が聖堂に満ち溢れて、ようやく教会もコロナ禍を脱して賑わいが戻ってきたことに感慨深いものがあります。


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教会でのイベントなので神父のお話。残念ながら信徒の子どもは一人もいませんので、「最初のサンタ・ミラのニコラスと世界のサンタ」の話をしました。

神父のお話

音楽演奏は毎年、信徒の知り合いの演奏家に頼んで来てもらっています。

正教会典礼では楽器を使用することができませんが、これは典礼でない一般の方向けの行事ですので問題ないと考えています。

音楽演奏

最後にサンタクロースの登場。お待ちかねのプレゼントを配りました。

サンタ役はいつも、米国人信徒のアーロン兄に務めてもらっています。子どもたちが「サンタって本当にいるんだ」と驚くくらいにリアル感があります。

何といっても衣装は彼の自前です。本人の気合の入り方が、なんちゃってサンタ(?)のオジサンたちとは違います。

サンタ登場

プレゼントの物品は平之町あいご会が用意したものですが、ここは教会ですので、こちらでクリスマスカードを作成してプレゼントに添えました。

もっとも作成といっても、原稿を作って印刷業者に発注したものです。着任当時は妻が手作りでカードを作成していましたが、これだけ子どもたちが集まるようになったら手作業では到底無理なので、業者に発注しました。これも嬉しい悲鳴です。

クリスマスカード

二回目のイベントが終わって聖堂を片付けたのが16時過ぎ。この日は鹿児島では珍しく、日中でも冷蔵庫の中にいるような寒い一日でしたが、教会がこういった形で今年も地域貢献できて、晴れ晴れとしたホットな気持ちで帰路に就きました。

福岡新教会用地 リフォーム完成

以前にご紹介した福岡の新教会用地は、ようやくリフォーム工事が完成したので、今日現地に行って引き渡しを受けました。

 

外壁もベランダも、すべて塗装し直したのでピカピカです。(今日は雨だったので、暗くて写真うつりが今ひとつですが)


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この物件で気に入っているものの一つが、造りつけの大きな下駄箱です。たくさんの信徒が来ても十分対応できます。


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22帖のLDKでは、祈祷後のミーティングや信徒の会食ができます。現伝道所は狭すぎて(正味8帖程度)、祈祷以外に割けるスペースが皆無だったので大きな前進です。


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チャペルとして使用する13帖の洋室は、祈祷で灯す蝋燭や乳香のススで汚れることを想定し、拭き掃除で綺麗にできるよう、コーティングされた壁紙を貼りました。


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司祭の居住スペースの和室は障子もふすまも畳もボロボロだったので、新品に交換しました。


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当然ながら、今の時点で物件には表札も何も出ていないので、教会の看板の製作を業者に発注してあります。でき次第フェンスに取り付けます。

 

祈祷のための什器備品は全て、現伝道所から移設します。そのため、来週は二泊三日で福岡に泊まり込み、複数の引越業者を時間差で呼んで相見積もりを取ることにしています。

 

また、冷暖房がなければ人を集められませんので、年明け後にエアコンを購入し、全室に設置する予定です。

 

かねてからの計画どおり、新年1月7日(日)の降誕祭を現伝道所での最後の祈祷とし、引き続き信徒に新教会用地をお披露目して、2月に新教会を正式オープンしたいと考えています。

 

新たな教会の船出が楽しみです。

福岡新教会用地 リフォーム始まりました

福岡に新教会を立ち上げるため先月、会堂兼司祭館として中古住宅を購入したことは既に投稿しました。

早速、今月からリフォーム工事に入ってもらっています。

 

工事に先立ち、まず11月4日(土)にシロアリの防除工事を専門業者に施工してもらいました。せっかくリフォームして外見だけ綺麗にしても、シロアリが巣食っていたら元の木阿弥になるからです。

シロアリ防除工事

同日にリフォーム会社の社長に来てもらい、妻も交えて工事内容の打合せ。

築後17年経っていて結構古びていますので、クロス(壁紙)の全面張り替えはもちろん、玄関ドアやカーテンレールなど、劣化している場所の修繕が必要です。

クロスだけでも様々な色やデザインがあるので、見本を見ながら選びました。

リフォーム工事打合せ(クロスの選定)

しかし教会として長くやっていく以上、内装の見た目よりも建物を維持させることが最優先事項と考えています。

そこで外壁や屋根の塗装や防水工事に重点を置くことにしました。

 

職人の手配の関係で着工はかなり先になるかと思っていましたが、社長がうまく段取りしてくれて17日(金)から工事が始まりました。

今は足場が組まれて塗装が行われています。

塗装工事

今の進捗状況ならば、内装もすべて含めて12月15日前後に完成の予定です。

工事を発注する前は、年内の完成は難しいと予想していましたが、その予想が良い方に外れて嬉しくなります。

 

既に書いていますが、私たちの降誕祭は1月7日(ユリウス暦の12月25日)です。

来年の1月7日は偶然日曜日であり、もともと福岡伝道所の巡回日に当たっているので、この日に現伝道所での最後の祈祷として降誕祭を祝い、新教会を2月にオープンできればと考えています。

そのためには今後、ガスの契約、エアコンの購入と設置工事、現伝道所からの什器備品の引っ越し、本棚などの新教会用の家具の購入など、手配すべきことがたくさんあります。

この年末年始をのんびり過ごすことなど全く無縁になりますが、新しい教会造りは苦になりません。

 

まずはリフォームの完成を待ち遠しく思っています。

熊本巡回 いろいろな意味で心機一転

一昨日は熊本ハリストス正教会に巡回しました。

 

会堂のシロアリの食害が酷く、リフォームを発注したことは既に投稿しています。

工事のため10月は一か月間、教会をクローズしました。

 

その工事が先月末に完了し、今回はお披露目です。

シロアリに食われてボロボロになっていた土台を入れ替え、穴が開いてスカスカになっていた床と壁(高さ1mくらいまで)も新調しました。

床は無垢材を使い、いきなり高級感アップです。

リフォームされた熊本ハリストス正教会の床と壁

会食用の湯飲みや皿を入れていた古い茶箪笥も、壁を伝って来たシロアリに食われて底が抜けてしまったのですが、執事長が新品を献納してくれました。

執事長が献納した新品の茶箪笥

熊本教会は80代後半と90代の信徒4人だけの教勢であり、教会の閉鎖も真剣に考えなければと思っていたのですが、今回のリフォームは信徒の側から希望したので施工したものです。

自分たちの次の世代に熊本の教会堂を残したいという気持ちに他なりません。

これは頑張って開拓しなければ、という気持ちにさせられました。

 

聖体礼儀が終わって、午後は宇土市に住む信徒のダリヤさん(仮名)を訪問。

ダリヤさんは定期的な廻家祈祷(家庭訪問)を希望しているので、熊本巡回の後は他の予定がない限り、訪問するようにしています。

大正13年生まれの彼女は九州の最高齢信徒で、今日(11月14日)が99歳の誕生日。それで2日早い白寿のお祝いということで、セルビアの土産などをお持ちしました。

九州の最高齢信徒・ダリヤ姉(仮名・99歳)

どこも教会は高齢の信徒が多く、必然的に私も高齢者と接する機会が多いのですが、90代は概ね運動機能(特に歩行能力)に異常があるか、認知症を発症しているかのいずれか、あるいはその両方の状態の人がほとんどです。

歩行が不能、あるいは億劫になり、寝ていることが多くなると、比較的早くお別れの時が来るように感じます。

しかし、ダリヤさんは認知機能は問題なく(数分前にこちらが話したことを忘れて同じことを尋ねるなど、高齢者特有の傾向はある)、身体機能も正常です。

何もつかまらずに椅子から立ち上がったり、杖をつかずに歩くことが支障なくできます。まさに健康長寿そのものです。

今でも近所のスーパーまで徒歩で買い物に行っていると言っていました。

初めて会ったのは着任した4年前で、その時既に95歳でしたが、その頃と全く変わっていません。80代前半くらいに見えます。

聖使徒ヨハネは聖書に「この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった」(ヨハネ21:23)と記され、実際に大変な長寿だったのですが、ダリヤさんも神に選ばれ、長く元気に生きておられるように思えてきます。

 

私は今年で60歳。還暦という言葉に急にお爺さんになったような感覚でいたのですが、綺麗になった熊本の会堂と白寿のダリヤさんに接して心機一転、もっと頑張らねばという気持ちにさせられました。

ウクライナのカトリック修道院から

今週の水曜日、カトリック鹿児島司教座のザビエル教会に行きました。

レデンプトール宣教修道女会のテオドラ・シャルク総長の講話「生きる希望を保つ ― ウクライナでの戦争体験」を聴講するためです。

来日してライブでお話しいただく予定でしたが、諸般の事情で来日できなくなり、ミュンヘンの自室からのオンライン講話となりました。

 

テーマはウクライナでのご自身の戦争体験と、自修道会のシスターたちの現地での避難者支援活動についてです。

テオドラ総長はウクライナ出身で、現地の修道院のシスターでしたが、昨年総長に選出され、ミュンヘンの修道会本部に移られたそうです。

よってご本人のネイティブ言語はウクライナ語ですが、講話はドイツ語と英語で行われ、鹿児島のドイツ人シスターが通訳しました。

レデンプトール宣教修道女会・テオドラ総長

正教会がメジャーなウクライナで、カトリック修道院というのは違和感があるかも知れませんが、テオドラ総長らがいた修道院はドイツ語で「グリーヒシェ・カトリッシュ」(ギリシャカトリック)、日本語訳では「ウクライナ東方典礼カトリック教会」に属します。

ウクライナ東方典礼カトリック教会とは、ウクライナポーランド領だった1596年、コンスタンチノープル総主教管轄下からローマ教皇に所属を移した教会を指します。典礼や聖堂の造りなど、見かけは正教会と全く同じですが、首座主教ローマ教皇であることから教派としてはカトリック教会となります。

もちろん、ウクライナでも宗教的には少数派で、テオドラ総長によれば、彼女の修道会もウクライナでは修道院は5つ、修道女も合計で26人だけとのことでした。

 

シスター・テオドラがいた修道院ベラルーシ国境の近くにあり、開戦直後から激しいロケット弾攻撃で街はことごとく破壊されました。

その時の自分自身の心の変化の時系列的な段階を、シスターはこう述べました。

「Denial」(拒否感)→「Rebellion and Anger」(反抗心と怒り)→「Emptiness and Depression」(虚無感と憂鬱)→「Recognition of Reality」(現実の認識)

 

これを聞いて、修道生活をしているような「人間のできた人」であっても、死の恐怖を突然突き付けられた時に感じることは皆同じだなと感じました。

ただ、「反抗心と怒り」の段階に留まっている人や「虚無感と憂鬱」の段階に留まっている人など、人によって今の心理状態は様々だが、シスターたちは現実を受け入れる心理的段階に至ったことで、人々を救うという前向きな行動ができたのだと考えます。

講話のタイトル

シスターがいた街はロシア軍の占領は免れましたが、司牧していたレデンプトール会の司祭は拉致されて、現在も生死不明とのことでした。

そのような状態で、彼女たちは家を失った市民のために物心両面の支援活動を行いました。

物資の面では、衣類を取り寄せて配布することと、支援物資の輸送業務を担ったそうです。

また、心理的サポートについては(こちらが中心のように感じました)、心理カウンセラーと連携して、いわゆるPTSDの状態になった人々を回復させるプログラムを展開したそうです。具体的には、イコンを描いたり民謡を歌うことなどを通して、その人の心の混乱を鎮めて前向きな気持ちにさせていくワークショップだそうで、対象者も被災児童、傷病軍人、戦死者遺族など様々とのことでした。

 

最後の質疑応答で司会者から指名されましたので、「支援活動において、信徒人口としてはより多数派である現地の正教会との連携をどのようにしていますか」と尋ねました。

それに対する答えは「ご存じのとおり、いまのウクライナ正教会は分裂状態にある。自分たちの教会の立場、また被災者を支援する立場としては、キエフ総主教庁派(正確には独立を宣言した新ウクライナ正教会)の教会と連携せざるを得ない。実感として、キリル・モスクワ総主教が戦争を擁護する発言を続けていることに、周囲の正教徒たちは大きな失望感を持っている。モスクワ総主教派(正確にはウクライナ自治正教会)から所属を移りたいと言っている正教徒が自分の周囲には少なからずいた」とのことでした。

それまでにこやかに話していたシスター・テオドラが、「Patriarch Kyrill」(キリル総主教)の名を口にした途端、とても不機嫌そうで怖い顔になったのを私は見逃しませんでした。話し方も一生懸命感情を押さえているような口ぶりに変わり、それこそ上記の「Anger」の段階に戻ってしまったようでした。

 

それはそうでしょう。

私はウクライナ自治正教会が教会法上正統なウクライナ正教会だと理解しています。また彼らはわが日本正教会と同じ立場であり、キエフ府主教はモスクワに対して一定の独立した権限を持っています。決してモスクワ直属の教会ではありません。わが国でもその点を誤解している人々は少なくないように思います。

しかし、たとえ教会法という「文章上の理屈」はそうだとしても、実際に戦争で家や仕事、親しい人々を奪われ、さらには自分自身まで死にそうな目に遭わされたのに、教会の最高指導者がそれを正しいことだと主張したら、人間の心の面ではそれを到底受け入れられないに決まっています。

まして、イエスが「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)と言っているのに、それに逆行することを言うのは、キリスト教徒として自己矛盾以外の何ものでもないでしょう。

私自身は誰が何と言おうと、戦争に反対する意見を表明してきましたが、シスターの表情を見て、正教徒として申し訳ないという気持ちになってしまいました。

 

いずれにせよ、ガザでの紛争のせいで世界の関心もそちらに移ってしまった感がありますが、ウクライナの人々の苦境は少しも解決されていません。

日本にいて自分にできることは何なのか、これからも考えていきます。

新府主教着座式 歴史的イベントに立会い

先週末は東京に出張していました。

10月22日(日)にニコライ堂で開催された、セラフィム新府主教の着座式(一般でいう就任式に相当)に陪祷するためです。

2000年に行われたダニイル前府主教の着座式の時は、私は一般信徒として参祷し、ニコライ堂の人混みの中で遠くの方から眺めているだけでしたが、今回は聖職者として初めての参加です。

 

9時30分から始まった聖体礼儀には、ロシア正教会渉外局長のアントニイ府主教がセラフィム新府主教とともに祈祷に立ちました。

コロナ禍前の2019年7月の全国公会以来、4年ぶりに私を含めた全国の聖職者が陪祷する聖体礼儀となり、単におめでたいイベントという意味以上に、「祈りをともに捧げる者」として嬉しく思いました。

 

聖体礼儀および府主教着座式

 

日本正教会首座主教の着座式ですから、教会法上の任命権者であるモスクワ総主教を呼ぶのが筋かも知れませんが、実際に総主教の来日を要請するとなると膨大な随行員も来ることになりますし、式典の主役がセラフィム新府主教でなくモスクワ総主教に移ってしまいます。これは2012年の亜使徒聖ニコライ永眠100年祭で、日本正教会は経験済みです。

さらに今の国際情勢では、モスクワ総主教ニコライ堂に来ることはご遠慮願いたいと言わざるを得ません。ましてそのことで、日本正教会が政治的に利用されるようなことは絶対にお断りです。

そのようなことで、セラフィム新府主教の考えとして、着座式にはモスクワ総主教の代理者(その立場の役職者が渉外局長)のみ招請し、その他のロシア正教会の要人は一切招待しないこととなりました。

新府主教は見栄を張らずに現実を直視しており、実に賢明な判断だと思いました。

ちなみにモスクワ総主教をわが国の首相に例えると、渉外局長は外務大臣内閣官房長官を合わせたような役職ですが、アントニイ府主教はなんと弱冠39歳。わが国のキャリア官僚みたいだな、と変なところで感心しました。

アントニイ府主教

聖体礼儀の中で、小聖入の前にセラフィム座下を全日本の府主教として承認する旨の、キリル総主教の書状がアントニイ府主教によって朗読されました。

さらに、使徒経(新約聖書使徒書簡)の朗読の前に、新府主教が高座(至聖所中央奥の首座主教しか座れない椅子)に座り、三つ揃えのパナギアを授かるセレモニーが行われました。

高座に着座

ちなみにパナギアとは、主教だけがつける首飾りのことですが、三個セットのものは独立教会や自治教会のトップ、つまり「一国の首座主教」しか身に着けることができません。数が多くて重さが重くなる分、責任も他の主教に比べて格段に重いという、シンボリックな意味づけとなっています。

「着座式だから椅子に座る儀式とかやるのかな」と冗談で周りに言っていたら、本当にあったので驚きました(笑)。

 

海外の要人は呼ばない代わりに、一般信徒の聖体礼儀への参祷は大歓迎という新府主教の考えもあってか、信徒領聖の時に聖堂内を見渡すと、この何年も見たことがないほどの参祷者で埋め尽くされていました。嬉しいことです。

たくさんの参祷者

聖体礼儀の最後に、セラフィム新府主教に府主教職のシンボルである水色のマンティヤ(マント)と白いクローブク(修道帽)がアントニイ府主教から授与されました。ちなみに主教と大主教のコーディネートは紫のマンティヤと黒い修道帽であり、これまでより明るい色遣いにチェンジしたことになります。

水色のマンティヤと白いクローブクの授与

セラフィム新府主教は昭和26年、秋田生まれの72歳。若い頃は写真家をされていましたが、36歳で神学校に入られ、ニコライ堂で司祭を勤めて来られました。ちょっと遅咲きの召命という意味では、おこがましいですが私と似た境遇です。

99年のフェオドシイ府主教(当時)の急逝後、仙台の主教として叙聖され、以来東日本主教区を司牧されました。また、ダニイル前府主教の晩年には、「東京の副主教」を兼務して仙台と東京を往復しつつ、ダニイル府主教を補佐してきました。

最大のご苦労は、2011年の東日本大震災での被災とその後の東北の諸教会の復興だったことは言うまでもありません。

そのような苦労人の新府主教は、着座の所信表明の挨拶で「日本正教会は世代交代を迫られている。自分の役割は教会を次の世代に引き渡すための下地作りに徹することにある」と言いました。組織のトップに就くとなると見栄を張って大風呂敷を拡げたり、ファンタジックな美辞麗句を並べる人が多いのに、何と正直で現実的なことをおっしゃるのかと私は感心しました。

 

図らずも、セラフィム新府主教の事実上の初仕事の一つが、わが福岡の新教会設立の認可と資金の提供だったわけです。次の世代に継承しうる教会を造るという意味では、私は新府主教の理念の近くにいるといえるでしょう。

そのようなわけで、セラフィム府主教を新たなリーダーに戴いて、私も大いに励みに思っています。

着座式後、信徒に囲まれて笑顔のセラフィム新府主教