東京の長女が昨日から一泊でわが家に来ていました。
同居している友達(同性です。念のため)と、月曜日から長崎や島原、福岡などを旅行し、帰りに私たちに会いに来たものです。
妻は人の世話を焼くのが大好きなので、朝から準備で動き回っていました。私も妻に言われて、馬刺しやからし蓮根など、こちらの郷土料理を買いに行かされました。
長女については先日書きましたが、「フリーランス看護師」を名乗って、看護師の人材紹介会社のリクルーターと障害児への訪問看護を掛け持ちしています。さらに最近は、自室でリラクゼーションサロンを開業したと言っていました。
彼女も他の兄弟たちと同様、大きな組織の同調圧力の中にいるのが大嫌いなので、大病院を辞めて本当に自分がやりたい仕事だけを自分のプランでやっているのですが、今のところ順調に生活できているようなので、親としては安心しています。
娘たちは午後に到着。
夜は妻の念願通り(?)、ごちそうを出してもてなしました。
今日、彼女たちが発つにあたって、水害の被災と復興の状況こそ見て帰ってもらいたいと思い、被害が最も大きかった紺屋町や鍛冶屋町などの、かつての繁華街に連れて行きました。
至るところ解体中の建物や、壊れたままの廃屋ばかりでしたが、ちょうど明日は「人吉よさこい祭」と「ランタンフェスティバル」の二つの復興支援イベントがあるため、町内は和傘で飾り付けられていました。まさに復興への歩みです。
土産を買うために、球磨川下りの発船場に連れて行きました。水害をもたらした球磨川が一望できるだけではなく、発船場自体が大きな被害から復活したからです。
私たちが発船場に着いた時、ちょうど観光バスで来た団体客が舟に乗るところでした。コロナと水害で1年半以上、市内で団体の観光客の姿を見ることがなく、人吉は正真正銘の寂れた田舎町になってしまった感がありました。しかしコロナ感染者数が激減したせいか、観光客が戻ってきたようです。少し希望が見えてきました。
ここから人吉ハリストス正教会はすぐ近くなので、彼女たちを教会に案内。聖堂を見学させてから別れました。
娘は生まれてからほぼ全期間を首都圏で暮らして来て、大きな自然災害を経験したことがありません(それは親である私たち夫婦も同じですが)。その意味で、娘に被災地の現状なり、復興への歩みなり、ただの観光旅行では見ることのないものを見せることができたのは良かったと思っています。
娘たちと別れた帰りに、青井阿蘇神社の裏の人吉観光物産館に立ち寄りました。
ここは青井神社と同様、球磨川からは高い位置にあったにもかかわらず建物が水没し、商品も全て駄目になって壊滅的打撃を受けました。かなり長く閉まっていて、もう廃業してしまったかと思いましたが、水害から1年4か月経って、つい先日営業再開しました。
店内はお土産物コーナーだけでなく、新たにお洒落なパン屋も開業していました。私たちは地域住民ですから土産は要りませんが、何だか嬉しくなっていろいろ買い物して帰りました。
今日は人吉の完全復興を待ち遠しく思った一日でした。