今日は唐津くんちが2年ぶりに開催されるということで、人吉から片道3時間かけて見に行くつもりでいました。
7月に唐津を訪ねて曳山展示場を見学して、これが実際に祭で街をパレードするところをぜひ見たいと思っていたからです。
コロナの感染拡大になりかねないということで反対意見も多い中、運営団体の強い要望で開催に至ったようなのですが、直前になって唐津市が観覧自粛の呼びかけを始めました。
市のサイトを見ると、主だった場所が立入禁止になっているので、わざわざ時間と高速代をかけて行ってもほとんど見られなさそうです。市も開催を認めておいて、直前になって、しかもまん延防止期間が解除された後に自粛の呼びかけとか、ちょっと感覚がずれている気がしないでもありませんでしたが…
令和3年の唐津くんちは観覧自粛をお願いします https://t.co/Qe368g0ove
— 九州の正教会 日本ハリストス正教会九州管区 (@ocjkyushu) 2021年11月2日
そこで唐津行きは断念し、別の日に予定されていた人吉ハリストス正教会でのパニヒダ(永眠者への祈祷)を、依頼主に連絡して故人の永眠日である今日執り行いました。
依頼主は妻が勤めている保育園の先輩スタッフのルーマニア人。故人は祖国でお若い頃に亡くなったお母様です。
糖飯は妻が米ではなく、あちら風に蕎麦の実で作りました。
ルーマニア人は永眠者記憶の時、遺族が糖飯の他にも食べ物をたくさん用意して並べる習慣があります(ロシア人ではあまり見かけません)。何だか日本のお供え物に似ていて面白い習慣です。
さて、今日はたまたま故人の永眠日ですが、カトリック教会では11月2日が全ての死者を記憶する「死者の日」、そして死者の日の属する11月を「死者の月」としています。
一昨日、ハロウィンがキリスト教とは関係ないと述べたら、「万霊節」と関係があるのではないかと指摘した方が何人もいました。この「万霊節」という表現は、11月1日の「諸聖人の日」と2日の「死者の日」が入り混じった概念です。
そこで、これらの記念日の由来について述べたいと思います。
伝統的なキリスト教会(今日の正教会)では本来、全ての死者を記憶する日は大斎に入る1週間前の日曜日「断肉の主日」の前日の土曜日です。時期的には2月か3月です。
大斎とは復活祭を迎えるにあたって、それに相応しいように自分の罪を悔い改める40日の準備期間です。そしてその前の断肉の主日(審判の主日ともいう)で「最後の審判」を記憶することで、自らが地獄ではなく天国に迎えられるように意識するとともに、その前日の土曜日には、既に永眠した人々が最後の審判で断罪されないよう、祈りを通して神に彼らの赦しを請う、という考え方です。
これとは別に、ロシア正教会独自の習慣として、復活祭の9日後の火曜日を「ラドニツァ」(喜びの日)と呼び、死者を記憶して墓地祈祷(墓前での祈り)を行います。これは古代スラブ人が、春に先祖の墓にお参りして、墓前でごちそうを食べる習慣が残ったもので、後に彼らがキリスト教化された時に「既にこの世を去った人々と共に主の復活を祝う」という考え方に繋がりました。
また、ローマ帝国でキリスト教が容認された4世紀以降、個々の聖人の記念日だけでなく、全ての聖人の記念日も作られました。具体的には聖五旬祭(復活祭から50日目。他教派では聖霊降臨祭あるいはペンテコステという)の次の日曜日で、これを「衆聖人の主日」(Sunday of All Saints)と呼んでいます。日にちは復活祭と連動して、年によって移動しますが、概ね5月か6月です。
さて、ローマ教会(今日のカトリック教会)では8世紀に、教皇グレゴリオ3世が聖ペトロ大聖堂内に全ての聖人を記念するチャペルを造りました。その成聖(blessing)の日が11月1日だったことから、8世紀から上記の衆聖人の主日に替えて、11月1日が全ての聖人を記念する「諸聖人の日」(All Saints' Day)となりました。
また998年、フランス・ブルゴーニュ地方のクリュニー修道院という、当時のカトリック教会の中心的な修道院で、諸聖人の日の翌日の11月2日に全ての死者の記念を行いました。これが「死者の日」として、カトリック教会としての正式な記念日となりました。
確かに聖人は既に死んでいる人々とはいえ、聖人を記憶することと死者を記憶することは神学上の意味合いが違います。しかし、カトリック教会では上記のような経緯で、死者の記念日が諸聖人の日と連続するようになったのです。
背景としては、この世に帰って来る死者の魂を迎えるという古代ケルト人の宗教的伝統に由来して、10月31日の夜に死者を記憶する習慣(今日のハロウィンの起源)があり、それがカトリック教会の教会暦に反映されたと考えられます。
そして今日では、ハロウィン自体をカトリック教会の「諸聖人の日」の前夜祭だと説明するような、原因と結果の逆転現象に至っているものとも考えます。
もっともこれはカトリック教会だけの話ではなく、上記のラドニツァのように、正教会でも異教時代の習慣が伝統化しています。
このことから言えるのは、もともと中東パレスチナの宗教だったキリスト教が、未開の異教徒だったヨーロッパの白人たちに伝わっていく過程において、彼らの伝統文化を否定するのではなく、むしろ包含していったのが歴史的事実ということです。
しかし、後世の歴史において「お前たち有色人種の異教的文化は駄目だ。俺たち白人の文明とキリスト教を教えてやろう」という、排他的で誤った欧米中心主義、白人優越主義が多くの悲劇を生んできたように思います。
「多様な文化への寛容と共生」こそが、キリスト教本来の伝統であり、あるべき姿である。正教会は教義において、まさにその担い手のはずです。ハロウィンの話から拡大してしまいましたが、キリスト教会はこの原理原則を忘れてはならないと考えています。