九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。2019年から九州全域を担当しています。

奥球磨の桜と歴史を探訪

数日前、地元で桜が開花しましたが、たちまち見頃になりました。

天気予報で明日の南九州は大荒れの悪天候になると言っていましたので、散ってしまう前に今年の桜を見ておこうと思い、水上村の市房ダムまで行ってみました。

ここのダム湖畔には約1万本の桜が植えられており、熊本県南では一番の桜の名所です。着任して迎えた最初の春にここを訪ねて、その時に見た山河と桜のコンビネーションの景色があまりにも美しかったので、以後毎年来るようにしています。

 

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今日は平日のせいか人出が少なく、満開の桜を堪能できました。

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水上村・市房ダムの桜(3月25日)

さて、桜だけ見て帰るのも面白くないので、水上村の手前にある多良木町湯前町の歴史遺産を探訪することにしました。

 

この辺りは旧人吉藩主の相良氏と深い関わりがあります。

相良氏はもともと遠江国相良荘(現・静岡県相良町)の豪族でしたが、鎌倉幕府成立直後の1193年、当主の相良頼景が源頼朝に多良木の地頭に任じられて下向しました。

さらに1198年、頼景の子の長頼が人吉に着任。以後、多良木の方を上相良家、人吉の方を下相良家と呼ぶようになりました。

両相良氏は長頼の子たちが相続したので全くの同族ですが、大変仲が悪く、抗争が絶えませんでした。南北朝時代は上相良が南朝、下相良が北朝に与して戦ったほどです。

しかし、ついに1448年に人吉の相良長続が上相良氏を滅ぼし、さらに他の土豪も征服して球磨地方を統一しました。1467年の応仁の乱、すなわち日本が戦国時代に入るより以前のことです。

以後、相良氏は戦国時代も江戸時代も人吉城主として存続し、1871年廃藩置県を迎えました。700年近くも同じ土地の領主であり続けたのであり、これは隣の薩摩島津氏と並ぶわが国最長の大名家ということになります。

このような経緯があって、上相良氏の本拠地だった多良木周辺には、滅ぼされる15世紀以前に建てられた歴史的な寺社がたくさん残っているのです。

 

こちらの青蓮寺阿弥陀堂多良木町)は国の重要文化財。1298年に上相良の当主・頼宗が建立しました。

もちろん修復はされていますが、700年以上も経っているとは思えない綺麗な建物です。内部の仏像も重要文化財ですが、コロナ対応のため中に入れませんでした。

ちなみに当地は、お寺に自由にお参りするのが当たり前のため、どのお寺でも普通はお堂の中に入れますし、拝観料も取られません。

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国重文・青蓮寺阿弥陀堂(1298年築)

次は王宮神社(多良木町)です。1416年、上相良頼久が建立しました。当時のまま残っている楼門は熊本県重要文化財です。

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県重文・王宮神社楼門(1416年築)


湯前の城泉寺阿弥陀堂はさらに古く、1222年から24年の間に当時の領主の久米氏によって建てられました。熊本県内で最古の建築物です。建物も内部の仏像も国の重要文化財ですが、青蓮寺と同様、堂内には入れませんでした。

境内の石塔も同時期に建てられたもので、同じく国重文です。

今のNHK大河ドラマの主人公・北条義時が死んだのが1224年であり、その頃に建てられたお寺が熊本県の奥地に今も残っているというのには歴史のロマンを感じます。

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国重文・城泉寺阿弥陀堂と石塔(1222-24年築)

この城泉寺の近くの太田家住宅(多良木町)も国の重要文化財です。太田家の先祖は相良氏に従って遠江から来た家臣で、江戸時代は庄屋として農業と焼酎の製造を行っていました。この家は1856年に建てられたもので、球磨地方の特長的な「鉤型民家」です。

自由に上がって見学できます。

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国重文・太田家住宅(1856年築)

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昔の焼酎製造用の樽(復元)

近代建築では湯前に国有形文化財の明導寺本堂があります。これは大正時代の1926年に建てられた浄土真宗のお寺で、当時の住職の長男が独学で建築を学び、設計したそうです。

外観も内部も寺院というより教会のようなお洒落な造りで、こういう素敵な聖堂があったらいいなと、ちょっと羨ましくなりました。

正面奥の内陣の手前にイコノスタシスがあったら、正教会の聖堂とまったく区別がつかないほどです。

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有形文化財・明導寺本堂(1926年築)

 

人吉からトータル3時間ほどのドライブでしたが、わが人吉球磨の自然と歴史の美を堪能して、気持ちをリフレッシュできました。