12月になりました。
日本正教会の教会暦はユリウス暦を採用しており、降誕祭(ユリウス暦の12月25日)も今日のグレゴリオ暦では1月7日なので、まだ1か月も先です。
しかし、周囲ではクリスマスが近いという認識が一般的ですので、妻が司祭館にクリスマスの飾りつけを施しました。
人吉にいた時は住まいと聖堂が別の場所にあり、教会は普段無人でしたのでイルミネーションなどはつけていませんでした。
また旧福岡伝道所にはクリスマスツリーなどの備品がなく、降誕祭の時も殺風景でしたので、備品としてクリスマスリースとツリーをネットで発注しました。
届き次第、飾りつけをする予定です。
さて、先週末は熊本ハリストス正教会に巡回し、洗礼式を執り行いました。
受洗者のOさんは80代の女性で、洗礼名は私の妻と同じエリザベタです。
エリザベタさんは幼児洗礼の夫のイグナティ兄と53年前に結婚後、ずっと熊本教会に通ってきましたが、本人はこれまで洗礼をためらっていました。
O家はもともと東京にあり、ニコライ堂所属の信徒家庭でしたが、研究者であるイグナティ兄は熊本大学で教鞭を執っていたため、熊本教会に所属していたのです。
イグナティ兄は大変熱心な信徒で、元気な頃は教会の会計執事を長い間奉仕してくださっていたのですが、私が着任した2019年秋の時点で既に病気のために植物人間状態になっており、ご本人に初めてお会いしたのは翌年1月に永眠してご遺体になった後でした。
図らずも私が九州に来て最初に執り行った葬儀がイグナティ兄のものだったのですが、火葬場で収骨を待つ間、エリザベタさんが強い口調でこう言いました。
「夫は熱心な信者でしたが、『信仰は自由だから』と言って私に洗礼を強いることは決してありませんでした。私は夫のために教会に通ってきましたが、私自身は死ぬまで洗礼を受けるつもりはありません」
プライベートなことなので詳細は書けませんが、彼女がそう言う理由はどうやら、イグナティ兄ではなく東京のお姑さん(故人)にあったようです。
エリザベタさんの話によれば、そのお姑さんもイグナティ兄に輪をかけて熱心な正教徒だったそうですが、かなり激しい性格で、エリザベタさんとの間に強い確執があったようなのです。
その結果、エリザベタさんの心に「あの姑と同じ宗教の信者になんかなるものか」という気持ちが芽生えたとしても、それは無理からぬことでしょう。個人の感情に対して「宗教の教義と個人の性格は別物です」なんて理屈を言っても意味がないのであり、人の心はその人にしか分からないのですから。
私はその時、「残念だが夫が亡くなってしまった以上、納骨が終わったら彼女はもう教会に来ないな」と思いました。
しかし私の予想に反して、エリザベタさんはその後も、毎月一回の熊本巡回日にほぼ欠かさず参祷しました。
洗礼を受けていない以上、聖体礼儀で彼女だけは領聖(キリストの体に変化したパンと葡萄酒に与ること)ができず、いわば仲間外れになってしまうのですが、それでも熱心に祈りをともにしていたのです。
よほどイグナティ兄のことを愛していて、その亡き夫のために祈りたいという気持ちがあるのだなと私は心の中で解釈しました。
そしてイグナティ兄の永眠から間もなく5年となるタイミングで、エリザベタさんから「洗礼を受けたい」という申し出があり、この日を迎えました。
洗礼式後、聖体礼儀を開式する前にエリザベタさんが「神父さんにどうしても伝えたいことがあります」と、私のそばに来ました。
そして「自分も年を取って人生が残り少なくなりました。これからは決して他人を恨まずに生きたいと思います」と言いました。
その言葉の意味は、結婚後半世紀以上もお姑さんへの恨みや憎しみが消えなかったのが、今になってようやく赦せるようになったということだと理解しました。
つまり、半世紀かけて出した「赦し」という結論が彼女を洗礼に導いたのです。
正教会では、すべての人間には神から「自由な意思」が与えられている。よってその人の信仰も、神の側が予定しているのではなく、神から与えられた自由な意思に基づく選択であると考えます。
ですから、教会の側が誰かに洗礼を強いるということは絶対にありません。
妻に洗礼を強要しなかった生前のイグナティ兄は、正教徒として正しい振る舞いだったと言えます。
その意味で半世紀以上もの間(モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエルの民が約束の地に到達するよりも長い期間!)、夫への愛と姑への反感との間をさまよい続け、ついに自らの意思で答えを出したエリザベタさんを正式に信徒として迎え入れることができて、私も正教会の一員として本当に嬉しく思いました。