九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

2月15日はセルビアの日

本日、2月15日はユリウス暦の2月2日であり、日本正教会では「主の迎接祭」(スレテーニエ)という大祭にあたります。

この祭日は降誕祭から40日目であり、お生まれになったイエスが律法に従い、両親に連れられてエルサレムの神殿に詣でた出来事(ルカ2:22-38)を記念するものです。

 

このスレテーニエ、すなわち2月15日は東欧のセルビアでは国の記念日、ナショナルデーです。よく「セルビア建国記念日」と訳されているのを見ますが、セルビアが建国された日ではないので、それは正しくありません。また、宗教にも関係ありません。

この日は、1804年にセルビアオスマン帝国からの独立戦争「第一次セルビア蜂起」が起きた日です。

 

13世紀末に小アジア半島で誕生したトルコ人の国、後のオスマン帝国は14世紀に勢力を拡大し、バルカン半島に進出しました。

オスマン帝国は1389年、コソボの戦いで中世セルビア王国に勝利し、1453年にはビザンチン帝国の首都コンスタンチノープルを征服。バルカン半島全域を支配するに至りました。

この地域に住むギリシャ人、セルビア人、ブルガリア人、ルーマニア人などの諸民族は、みな正教徒でしたが、ムスリムであるトルコ人支配下に置かれたことになります。

オスマン=トルコはキリスト教徒の住民に対して税金を課し、それを支払って支配に服するならば民族の伝統文化と宗教を守ることを容認していました。

ムスリムには禁止の酒や豚肉の飲食も、教会に行くのもOKです。

その結果、これらの地域では今日でも正教会の信仰が守られる結果となりました。

 

18世紀後半、バルカン半島に進出しようとするオーストリアや、正教徒の多いバルカン半島に影響力を及ぼしたいロシアとオスマン帝国との争いが顕在化し、住民の側もオスマン帝国からの独立を目指す動きが始まりました。

 

その最初に上がった火の手が、第一次セルビア蜂起です。

1804年2月2日(現在の2月15日)、豚商人のジョルジェ・ペトロヴィチ(通称カラジョルジェ)に率いられた人々が、セルビア中部のオラシャツという村で独立戦争の火蓋を切りました。

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セルビア蜂起の指導者・カラジョルジェ(1768-1817)

独立軍はロシアの支援を受け、またロシアもオスマン帝国と開戦して(露土戦争)、一時は有利な状況でしたが、1812年のナポレオンの侵攻のためにロシアはトルコと停戦しました。

そのため、カラジョルジェの独立軍もロシアの支援を失って、1813年にトルコに制圧されてしまったのです。

 

1815年、カラジョルジェのライバルの豚商人、ミロシュ・オブレノヴィチが第二次セルビア蜂起を起こしました。ミロシュはトルコ政府と和睦して自治を認めさせるために、1817年に亡命先から帰国したカラジョルジェを暗殺して首を差し出しました。まるで戦国時代の日本のようですが、この結果、トルコの自治国「セルビア公国」が誕生し、ミロシュは初代君主の座に就きました。

 

当主を殺されたカラジョルジェヴィチ家、すなわちカラジョルジェの子孫の恨みはすさまじく、その後クーデターや当主の暗殺により、オブレノヴィチ家とカラジョルジェヴィチ家の間で君主の座がしばしば入れ替わりました。しかし、1903年のクーデターで国王アレクサンダル一世が殺害されてオブレノヴィチ家は断絶。カラジョルジェの孫のペタルが亡命先から帰国して王位に就き、以後は第二次大戦後の共産政権の樹立まで、カラジョルジェヴィチ家がセルビアの王家となりました。まるでわが国の源平時代のようです。

 

私は2017年8月、第一次セルビア蜂起とカラジョルジェの遺構を見るためにセルビアに行ってきました。

蜂起の地・オラシャツは首都ベオグラードから南に70㎞ほど行ったところです。

独立軍が旗揚げした森には記念碑が建てられています。

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第一次セルビア蜂起の記念碑(オラシャツ)

カラジョルジェの屋敷はオラシャツから10㎞ほど南のトポラにあります。現在は屋敷は改装されて記念館になっており、独立軍の資料がいろいろ展示されていました。また、敷地内にはカラジョルジェが所属していた教会が今も建っています。

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カラジョルジェ記念館(トポラ)

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通称・カラジョルジェ教会

トポラはカラジョルジェヴィチ家発祥の地ということで、王位に就いたペタル一世はトポラにカラジョルジェヴィチ家の霊廟として「聖ジョルジェ聖堂」を建てました。ジョルジェはもちろん、カラジョルジェの洗礼名にちなみものです。

内部は豪華絢爛なモザイクのイコンで埋め尽くされ、カラジョルジェ以降の王族の墓がずらりと並んでいます。実に壮観です。

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カラジョルジェヴィチ家の霊廟・聖ジョルジェ聖堂

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カラジョルジェの墓

セルビア蜂起以降、ギリシャブルガリアルーマニアでトルコからの独立運動が始まり、西欧列強やロシアの介入もあってそれらの国々は19世紀に独立を果たしました。

その意味ではセルビア蜂起はバルカン半島の諸民族に、オスマン帝国の400年間の支配からの独立を目覚めさせたきっかけだったのであり、世界史上の大きな出来事だったといえます。

わが国の中学高校で教えられている世界史は、西欧の歴史ばかりが中心で、東欧やロシア、中近東などにほとんど触れられていない印象です。セルビアの歴史について知ったのも、恥ずかしながら神父になった後です。しかしその国、その地域にはそれぞれの歴史があるのであり、私としては、やはり自分が関わっている正教会に縁の深い地域の歴史に一番関心があります。

そのようなわけで、今後もそういった地域の歴史をいろいろ調べていきたいと思っています。