九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

初代京都の主教 聖アンドロニク

昨日、6月20日は「神品致命者・ペルミの大主教聖アンドロニク」の祭日(記念日)でした。

彼は最初の京都主教であり、わが西日本教区では、主教座である京都ハリストス正教会の聖堂建立100周年にあたる2003年に、日本語で「初代京都の主教」という文言を入れたイコンの作成をロシアに発注。現在、イコンの現物は京都教会にあり、九州管区を含めた西日本教区の各教会にはレプリカが置かれています。

なお、後述しますが、彼が殉教した時の職位は「ペルミの大主教」なので、聖人としての正式な呼称に「京都の主教」は入りません。あくまでも日本正教会西日本教区としての呼称です。

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イコン「初代京都の主教聖アンドロニク」

 聖アンドロニク(1870-1918)は、若手司祭時代の1898年にニコライ大主教(現・日本の亜使徒聖ニコライ)の要請で来日し、1年ほど日本で奉職しました。

そして1906年、ニコライ大主教の将来の後継者として「京都の主教」に叙聖され、翌1907年3月に再来日しました。しかし、体調不良のためわずか3か月で離任し、ロシアに帰国してしまいました。

後年、彼はペルミの大主教となり、またロシア正教会の最高幹部である聖務会院(シノド)のメンバーに任じられました。

1917年11月のロシア革命ボルシェビキ(後のソ連共産党)政権が誕生。正教会ボルシェビキの反宗教政策に反対しました。

アンドロニクも政権と対立したために捕らえられ、1918年6月20日、自ら掘らされた穴に生き埋めにされて致命(殉教)しました。 

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主教時代のアンドロニク

 

もちろん、ボルシェビキに殺害されたのはアンドロニクだけではありません。彼が殺害された翌月、7月17日には皇帝ニコライ二世とその家族全員が殺害されています。

 

高橋保行(現・アメリカ正教会司祭)著『迫害下のロシア正教会 無神論国家における正教の70年』によれば、1918年からスターリンが権力を独占した1930年までの間に4万2千人の聖職者が処刑され、1930年以降も3万人から3万5千人の司祭が処刑または強制収容されました。また1937年と38年のわずか2年で、52人の主教のうち何と40人が処刑されました。宗教、とりわけロシア正教会を根絶しようという、レーニンスターリンの異常なまでの執着心には鬼気迫るものがあります。

 

ソ連崩壊後、宗教活動が自由になると共に、共産党による教会弾圧の実態が徐々に明らかになりました。そして、2000年8月、ロシア正教会はアンドロニクを含む800人以上の人々を「ロシア新致命者」として列聖したのです。

この「新致命者」という概念は、ローマ時代の迫害によって殉教した人々に対して「新」という意味です。かつて、該当者の多くはオスマントルコによって殺害されたバルカン半島出身者でした。

しかし、数十年に過ぎないソ連時代の殉教者は、数百年間のバルカンのオスマントルコ支配時代を上回る人数であり、いかにソ連社会が狂気に満ちていたかが伺い知れます。

なお、殉教者(日本正教会用語で致命者)という概念の神学的な意味については、以前に投稿していますので参照してください。

 

frgregory.hatenablog.com

 

 

歴史に「もし」は禁物ですが、もしアンドロニクが病気にならず、日本にいたら、ニコライ大主教の後を継いで日本正教会の指導者になっていたでしょう。そうであれば、ボルシェビキに惨殺されることもなかったはずです。

しかし、アンドロニクの後任として来日し、ニコライ大主教の後を継いだセルギイ府主教は、関東大震災ニコライ堂を失い(昭和4年に再建)、戦時中はスパイの疑いをかけられて特高警察に監視された挙句、憲兵隊に拘束されて迫害を受け、ついに昭和20年8月10日に終戦を見ずに永眠しました。

ソ連共産党には殺されなかったけれども、間接的とはいえ日本の警察と軍に殺害されたのです。

どちらに転んでも迫害の苦しみは変わらなかったことになります。

 

現代社会において、信仰の自由は基本的人権の重要な要素の一つと認識されていますが、それでもなお信仰の自由が認められていない社会、政治が宗教に介入する社会は隣国の中国を筆頭に、世界にまだたくさんあります。

よく誤解されるのですが、正教会の基本的な考えは「政教分離」です。王や為政者は、世俗社会において人々を良い方に導くように教会が祈るべき相手です。たとえ迫害者であってもそれは変わりません。イエスも「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)と言っています。

もし、教会に有利な方向に社会を誘導しようとして、教会が政治活動を行ったら、宗教に介入する為政者と同じになってしまいます。ですから、ローマ教皇のように正教会の指導者が政治的なメッセージを出すことは、例外的な事象を除けばありません。

まして、反体制テロやゲリラ活動に正教会が関与することは絶対あり得ません。イエスは「剣を鞘に納めなさい。剣を取るものは皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)と言っています。確かにロシア革命時の白軍(反共軍)のように、正教信仰が精神的支柱になっていた事案はあるかも知れませんが、教会が内戦を焚きつけていたのではありません。

 

そのようなわけで私は、自由に神を信じることができる社会(キリスト教とは限らない。信仰は自由だから)が世界全体に実現する日が来ることを、今日も「自分の神」に祈り続けています。