この数日間、九州地方は大雨に見舞われていました。
特に被害が大きかったのは熊本県内でした。
熊本の雨のピークは11日(月)の未明でしたが、県北の玉名市など12時間で400ミリ以上降った地域もありました。5年前に球磨川を氾濫させ、人吉球磨地方に壊滅的な被害を与えた令和2年7月豪雨と同レベルの雨量です。
私もちょうど10日(日)に熊本に巡回していました。
午前中に熊本伝道所(「熊本ハリストス正教会」から新「福岡ハリストス正教会」付属の伝道所に組織変更)で聖体礼儀を執り行い、午後に宇土市で九州最高齢信徒のダリヤ姉(仮名。満100歳)を訪ねて、15時頃に現地を発ちました。
その時点では曇っていたものの、ほとんど雨は降っていなかったのですが、福岡に着いた後、夜になって激しい雨が降り出しました。
私が住む福岡市周辺は大したことはありませんでしたが、宗像市や北九州市など県北の方は雨が酷かったようです。しかし熊本県内の比ではありません。
伝道所や信徒には今のところ被害は確認されていませんが、人吉水害を経験した者として、今回被災した方たちのことは到底他人事には思えません。
これまでの生活を取り戻せるよう、今はただ祈るばかりです。
さて、8月10日は奇しくも日本正教会の二人の首座主教の永眠日です。
一人はダニイル前府主教、もう一人は第二代首座のセルギイ府主教です。
特に今年は第二次世界大戦の終戦から80年の記念の年ですが、戦時中に迫害を受けて永眠したセルギイ府主教にとっても永眠80年の記念の年となります。
そこで聖体礼儀に引き続き、二人の府主教に合わせ、第二次世界大戦の犠牲になった世界中の人々(あの戦争で死んだのは日本人だけではない)を記憶してパニヒダを献じました。

ちなみにセルギイ府主教(1871-1945)は弱冠35歳で、当時のロシアの首都サンクトペテルブルクの大主教に叙せられた、ロシア正教会のヤングエリートでした。

その彼に東京のニコライ大主教の後継者としての白羽の矢が立ち(つまり当時の日本正教会はそれだけ重く見られていたという証左でしょう)、セルギイ師は1908年に来日。1912年2月のニコライ大主教永眠にともない、日本正教会の首座を引き継ぎました。
今でこそわが国のキリスト教人口で、正教会は少数派に甘んじていますが、1912年当時の日本正教会の信徒数は約3万3千人で、カトリック、プロテスタントとほぼ三分の一ずつ教勢を分け合う規模の教会でした。
しかしそのわずか5年後、1917年のロシア革命と共産政権の発足で、ロシアから日本正教会への伝道資金の提供は打ち切られました。その結果、専従教役者への給与が支払えなくなるなど、日本正教会は事実上の財政破綻に追い込まれたのです。
さらに1923年9月の関東大震災で教団本部も大聖堂(ニコライ堂)も全焼し、お金がない中で教会を復興させなくてはならない困難に直面しました。

そんな中でセルギイ師は全国を回って寄付を集め、被災から6年後の1929年、大聖堂の再建を達成しました。現在、私たちが目にしているニコライ堂はこの時に再建された建物です。
初代の大聖堂を建立者のニコライ大主教にちなんで「ニコライ堂」と呼ぶなら、私は今の大聖堂を「セルギイ堂」と呼んでも良いではないか、とさえ思っています。
しかしそれも束の間、1931年の満州事変勃発以降、わが国の右傾化・軍国主義化が進んだことは誰もがご存じのとおりです。
その結果、キリスト教は「外国の宗教」ということで迫害を受け、日本正教会もその例外ではありませんでした。
1940年、政府が宗教団体を規制するための法律「宗教団体法」の施行にともない、ソ連国籍のセルギイ師は教団代表を解任され、自分が懸命に再建したニコライ堂から追放されてしまいました。
セルギイ師は支援者が提供した世田谷区内の家に転居し、祈りの日々を過ごしました。セルギイ師を慕う信者も多く集まりました。
しかし、それがかえって当局の疑いを招くことになり、ついに1945年5月、セルギイ師は身に覚えのないソ連のスパイの容疑を着せられて憲兵隊に連行されました。
厳しい取り調べが1か月続いたものの、もともとスパイでないのですから立証できるはずもなく、セルギイ師は釈放されました。しかし拘留中に世田谷の家は空襲で焼けてしまい、帰るところはありませんでした。
そして長期間の拘留と追及で健康を害したセルギイ師は力尽き、板橋のあばら家で寂しく息を引き取りました。終戦のわずか5日前、8月10日のことでした。
このように、様々な困難に立ち向かいながら教会を守ってきたセルギイ府主教を死に追いやったのは戦争そのもの以上に、当時の日本を支配していた「社会の狂気」に他なりません。
しかし、それから80年経ったにも関わらず、世界には戦争が絶えません。そして民族や国籍、あるいは思想信条の違いで人を差別し、分け隔てようとする「社会の狂気」はエスカレートするばかりのように見えます。
その中でキリスト教徒である自分がなすべきなのは、正義感を振りかざして声高に「あいつら(○○党、○○政府など)は狂っている。打倒しろ」と叫ぶのではなく(それは結果的に非難している相手と自分は同類だと宣言することになります。誰もが正義を主張するが、そもそも何が正義かは主張する人によって違うからです)、自分が信じるキリストにならって、まずは自分自身がどこまでも隣人愛を実践し、平和を追求することに尽きると考えます。
終戦80年、そして戦争が生みだした社会の狂気の犠牲になったセルギイ府主教永眠80年にあたり、一層その思いを深めています。