九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。2019年から九州全域を担当しています。

地方社会で少子化を痛感

今日は娘の職場(保育園)も仕事初め。

私の職場送迎サービスも再開です。買った車の納車が来週の月曜日なので、もうじき卒業ですが。

 

さて、人吉球磨地方には大学がなく、高校を卒業した若者は地元で就職した一部の人を除き、進学組にしろ就職組にしろ、大半が都会に出て行ってしまいます。

そのため、成人式は成人の日ではなく、人吉市では1月3日、他の町村では4日に開催されています。新成人が出席しやすいよう、帰省のタイミングにしているのです。

 

昨日は人吉市の成人式が予定通り行われました。

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今年の人吉市成人式(人吉市公式ページより転載)

 

災害から復興途上にある人吉で、都会に行った若者たちが帰ってきて成人式に集うというのは、喜ばしいニュースではあります。

しかし報道で気になったのは、今回新成人を迎えたのは「345人」だったという点でした。町内会ではなく「市全体で345人」です。

別の報道(人吉新聞)を見たら、人吉市以外の球磨郡の町村と合計しても新成人は949人で、千人を切っています。

人吉球磨地方には高校が4校(5校あったが数年前に統廃合で1校なくなった)ありますが、どこも大幅に定員割れして全入状態です。受験者がトータルで千人もいないなら無理もないなと思いました。

 

不安になってきたので、人吉市のホームページで毎月更新されている年齢別人口を確認しました。

昨年11月末時点で、市内のゼロ歳児は163人! 今回の新成人の半分以下です。市全体の合計で一学年5クラスか6クラス程度しか編成できないことになります。

人吉市には中学校が3校、小学校が6校ありますが、こんなことで高校どころか義務教育自体が成り立つのでしょうか。

学校統廃合を進めるにしても、中心部から離れた場所に住んでいる子どもは通学できなくなってしまうので、限度があります。

壷井栄の名作『二十四の瞳』は、昭和3年の「瀬戸内海べりの一寒村」が舞台ですが、それから1世紀近くを経た令和になって、当地の一部の小学校は一学年12人程度の「二十四の瞳」状態になる可能性が濃厚なのです。寒村ではなく「市」なのに!

 

都会に出て行った若者は、ふるさとに帰って来る動機づけができれば呼び戻すことは可能です。ただし、人吉球磨には就職先としての大企業の事業所が皆無であり、さらに災害でのダメージもあるので、郷里の魅力を高めるためのハードルは厳しいですが。

しかし、今のように「始めから子どもが生まれて来ない」のであれば、働き手である将来の若者自体が存在しないことになり、もはや自治体そのものが自然消滅に向かってしまいます。

限界集落」という言葉がありますが、集落どころか自治体レベルで限界が見えてきているのです。

 

東京は働く場所があって人口が集中しているので、そこに住んでいる人々、とりわけ為政者にとっては、「少子化社会の脅威」は言葉として分かっていても実感できていないのかも知れません。

しかし、第二次世界大戦で亡くなった日本人は310万人とされていますが、今は新生児数の極端な減少のため、戦時中と同程度に毎年数十万人単位で人口が減っているのです。つまり世界戦争に匹敵する、あるいはそれ以上の日本国の脅威だと思うのですが。

 

社会としての解決策を考えるのは神父の務めではないので、ここに書くことはしませんが、公的なサービスに期待できなくなるのは間違いないので、他人のことをどうこう言う前に、まずは自分自身がいつまでも健康を維持して生活していくことができるよう、自己管理を怠りなくしていきたいと考えています。