九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。2019年から九州全域を担当しています。

嵐の海へ 船舶成聖式顛末記

今日はいよいよ長崎でのギリシャ船籍の新船「アトランティック・ホーク」の船舶成聖式。

昨日場所を確認した渡船乗場に正午に来いとの指示です。

 

それで午前中は雨の長崎の街をのんびり散策していたら、施主(神戸の外資系船会社のギリシャ人社長)から電話が。

今日の船舶成聖式に立ち会うつもりだったが、他の予定が入って長崎まで行かれなくなったので、一人で行って成聖式をやってきてくれと言うのです。

こっちはあなたの都合に合わせて日程を延ばしたのに、それで来ないってどういうことだ、と叫びたい気持ちが沸き起こりましたが、神への祈りに日時は関係ありませんから、そこはこらえました。

 

正午前に波止場に行き、まさに釣り船みたいな渡船で出発。


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沖合いと言ってもせいぜい数百mくらいだろうとたかをくくっていたら、渡船は30分ほど走り続け、正真正銘の沖に出ました。

目標の貨物船に接近したら「この縄ばしごを昇って甲板まで行ってください」とのこと。恐れていた通りの展開になりました…


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普段のお祈りルック(?)みたいな革靴とカソックでは絶対無理です。予めズボンをジャージに履き替え、釣り用の長靴と軍手と防寒雨具で完全装備し、荷物もバッカン(磯釣り用のビニールバッグ)に入れて肩からたすき掛けにしていたので、事なきを得ましたが。

しかし、海面から甲板まで20m以上あると思われ、そこを縄ばしごで昇るというのは、年寄りの神父には務まらないな、と思いました。私も還暦近いので、決して若くはないのですが…

 

何はともあれ、無事甲板に到達。大書された「SAFETY FIRST」(安全第一)という標語が何とも皮肉です。

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船長は昼食中とのことで、管理職用の食堂に行って挨拶しました。

過去に船舶成聖したギリシャ船と同様、この船も船長と副官の二人だけがギリシャ人で、他の船員は全てフィリピン人でした。

船内の昼食はミートソースのパスタと、ギリシャのブルーチーズでした。
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正教会では今は降誕祭前の斎期であり、肉もチーズも食べられないのですが、ギリシャ人(当然正教徒)の船長が勧めるので、私もありがたくお相伴に与りました。

 

昼食後に艦橋で祈祷。祈りの後、船内の至るところに聖水を撒いて回りました。


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日本船なら神棚が祀ってあるような場所には、ギリシャ船ならイコンが飾ってあるのですが、そこに真新しい神棚を取り付けようとしていたのにはドン引きしました。船長、あなたホントにギリシャの正教徒?と思いましたが(笑)、真の神が彼らを守ってくれるようにと祈って神棚にも聖水をかけました。


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祈祷は13時半に終わり、14時半に渡船が迎えに来ました。

風雨は一層激しくなり、吹き付ける雨でずぶ濡れになりながら例の縄ばしごを、冗談抜きに本当に死ぬ思いで降りました。

ちなみにわが教団の聖職者は労災保険の対象外なので、転落や溺水などの事故が発生して死んでも全く保障はありません。

渡船に無事降り立ち、港に向けて荒波の中を走り出して、成聖した巨大な貨物船がどんどん小さくなっていくのを見ていると、安心感で全身の力が抜けました。


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キリスト教、とりわけ正教会では教会を「船」、人生を「航海」に例えます。

今日、荒ぶる海の厳しさ、船が与える安心感を実体験して、この教会と人生の比喩も実感できた気がします。

それもこれも、施主の気まぐれのせいで嵐の中の船舶成聖となったからなのですが、こういう経験も神の御旨が働いたからに違いないと思うことにします。