本日、8月4日(ユリウス暦の7月22日)はマグダラの聖マリヤ(St. Mary of Magdalene)の祭日です。
彼女は福音書の中に何回も登場しており、特に復活したキリストに最初に出会い、使徒たちに復活を告げ知らせた重要人物です。
マグダラのマリヤら、イエスの女弟子たちについては以前投稿していますが、彼女の祭日にあたり再度振り返ることとします。
ルカによる福音書には、イエスが宣教活動の旅をしており、さらに12人の男性の弟子だけではなく、マグダラのマリヤ(以下「マリヤ」)ら女性の弟子たちも随行していたと明記されています。
「悪霊を追い出して病気を癒していただいたマグダラの女と呼ばれるマリヤ、ヘロデの家令の妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった」(ルカ8:2-3)
イエスが逮捕され、裁判の結果十字架刑に処せられた時、男性の弟子たちは逃げてしまいましたが、マリヤら女弟子は最後までイエスの死を見届け、墓に葬られる時にも立ち会いました。
「(イエスの死を)婦人たちも遠くから見守っていた。その中にはマグダラのマリヤ、小ヤコブとヨセの母マリヤ、そしてサロメがいた。この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられた時、イエスに従って世話をしていた人々である」(マルコ15:40-41)
「マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた」(同15:47)
さらにマリヤらはイエスの遺体を整えるため処刑の翌々日、日曜日の早朝に香油を携えて墓に向かいました。正教会が彼女たちを「携香女」(Myrrhbearing Women)と呼ぶのはこれに由来します。
弟子たちがイエスの遺体を盗み出さないよう、厳戒な警備中であり、その意味でマリヤらの行為は大変勇気あるものでした。
「安息日が終わると、マグダラのマリヤ、ヤコブの母マリヤ、サロメはイエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った」(マルコ16:1-2)
そして、彼女らはイエスの墓が空になっているのを発見しました。恐れをなして口をつぐんでしまった女弟子もいる(マルコ16:8)中で、マリヤは真っ先にペトロとヨハネにこのことを知らせました。
「(マリヤは)墓から石が取りのけてあるのを見た。そこでシモン・ペトロのところへ、またイエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた」(ヨハネ20:1-2)
しかし、ペトロやヨハネは墓に来たものの、イエスが復活したという認識がなくて帰ってしまい、マリヤはイエスの遺体がどこかに移されてしまったものと思って、墓の前で泣くばかりでした。
そこにイエスが現れてマリヤに語りかけ、彼女は「復活したイエスの第一発見者」として弟子たちにこの出来事を告げたのです。
「マグダラのマリヤは弟子たちのところへ行って、『わたしは主を見ました』と告げ、また主から言われたことを伝えた」(ヨハネ20:18)
「イエスは週の初めの日の朝早く、復活してまずマグダラのマリヤにご自身を現された。このマリヤは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。マリヤは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた」(マルコ16:9-10)
以上の聖書の記述から、マグダラのマリヤは「携香女」の他、弟子たちに復活を知らせるという「使徒と等しい行いをした」ことから「亜使徒」とも呼ばれて正教会で大変敬われています。
さて大変興味深いのは、カトリック教会には一時期、マグダラのマリヤは「美貌のゆえにふしだらな女だったが、イエスと出会い悔悛した」という伝承があり、そのため多くの西洋絵画ではマグダラのマリヤが「悔悛する罪深い女」として描かれるということです。
この説の原因は、以下の聖書の記述の混同です。
①「この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壷を持って来て、後ろからイエスの足元に近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った」(ルカ7:37-38)
②「過越祭の六日前に、イエスはベタニヤに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。その時、マリヤが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪の毛でその足をぬぐった」(ヨハネ12:1-3)
この二つの記事は全く別の場面ですが、「女がイエスの足に香油を塗って髪でぬぐう」という行為の共通性のため混同が生じました。
また、上記②の「ベタニヤのマリヤ」と「マグダラのマリヤ」とは聖書の文脈では別人と考えるのが自然ですが、それに加えてかつてふしだらな罪深い女だったが、悔い改めてエジプトの荒野で修道生活を送った「エジプトのマリヤ」という聖人が別におり、この三人のマリヤがごちゃ混ぜになったと思われます。その結果「かつてふしだらな罪深い女」「悔い改めてイエスの足に香油を塗った」「名前はマリヤ」、だから「マグダラのマリヤはかつてふしだらな罪深い女だった」という無茶苦茶な説に繋がったのです。
マグダラのマリヤはイエスに「罪を赦してもらった」のではなく「悪霊を追い出してもらった」と聖書に書いてあるのですが…
つまり聖書を恣意的に切り貼りした俗説以外の何ものでもないのに、それをカトリック教会が追認してしまったため、誤ったイメージに基づく「名画」がたくさん生まれてしまったわけです。
1960年代の第二バチカン公会議以降、カトリック教会では、この「マグダラのマリヤ=ベタニヤのマリヤ=罪深い女」説は否定されていますが…それまで誰もおかしいと言わなかったのでしょうか?
偉大な聖人であるにもかかわらず、変なイメージを植え付けられてしまったマグダラのマリヤは気の毒ですが、私たちクリスチャンは聖書を恣意的に切り貼りして読んではいけない、という戒めとして心に留めたいと思っています。