九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。2019年から九州全域を担当しています。

熊本に巡回 10月9日は何の祭?

昨日は熊本ハリストス正教会に巡回しました。

熊本ハリストス正教会での聖体礼儀


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この日は嬉しい申し出がありました。

熊本教会の信徒数は2世帯3人まで減っているのですが、執事長の奥様から洗礼の申し出がありました。

執事長のお宅は明治時代以来の正教徒家庭でしたが、今では幼児洗礼の執事長以外、誰も洗礼を受けていなかったのです。

正教会では信仰はその人の自発的な意思に基づくもの、正確には神の導きに本人が応えるかどうかにかかっていると考えており、従って洗礼も教会の側が強制することはしませんので、もうすぐ88歳を迎える奥様が自発的に受洗を決心されたのは本当に尊いことです。

日程の都合上、洗礼式は年明け後になりますが、心からお祝いしたいと思います。

 

さて、昨日は10月9日でしたが、九州各地で10月9日に「くんち」と呼ばれる祭が行われます。

一番有名なのは「長崎くんち」で、九州に来る以前から知っていましたが、人吉にも町を挙げての「人吉おくんち祭」があります。

ちょうど3年前の10月に人吉に越して来た直後がおくんち祭の日で、見物に行きましたが、神幸行列、つまり町内会ごとの神輿や山車の行列が延々と続き、実に壮観でした。

 

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ちなみに「くんち」とは九州弁で「九日」のことであり、おくんちとは旧暦9月9日を指す言葉だと、当地に来て初めて知りました。

 

人吉に来た翌年の2020年、町は大水害に見舞われ、コロナ禍もあっておくんち祭は中止になってしまいました。

今回、規模は縮小されたものの、3年ぶりにようやく神幸行列が再開されて、少しずつ復興への歩みが進んでいると報じられていました。私たち夫婦は、上記のように熊本教会にいましたので、残念ながら見ていませんが。

 

さて、私たちの教会で10月9日(ユリウス暦の9月26日)は「くんち」ではなく、聖使徒福音者神学者イオアン(福音記者使徒ヨハネ)の祭日です。

聖使徒福音者神学者イオアン(福音記者使徒ヨハネ

この祭は大祭ではないので、福音書は通常の主日の朗読箇所を優先しましたが、偶然、ヨハネを含むガリラヤ湖畔の漁師たちがイエスに弟子として召し出される場面(ルカ5章)でした。

 

説教の中でも述べましたが、ヨハネ十二使徒の中で特筆すべき働きをしています。

 

まず第一に、十二使徒の中でアンデレと共に、最初にイエスに会った人物です。ヨハネによる福音書には「イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった」(ヨハネ1:40)と書いてあるだけで、ヨハネの名は記されていませんが、これは福音書の筆者本人であるので自分の名前を記さなかったものと教会では解釈されています。

 

第二に、十二使徒の中で最年少だった彼はイエスから可愛がられており(ヨハネ13:23)、イエスが十字架につけられた時も、他の弟子たちが逃げてしまったのに、彼はイエスの母マリヤとともに傍らに留まり続けました。イエスはマリヤに「(ヨハネを)ご覧なさい。あなたの子です」、ヨハネに「(マリヤを)見なさい。あなたの母です」と告げました。その後、ヨハネはマリヤを自宅に引き取って扶養したのです(ヨハネ19:26-27)

聖書はマリヤのその後を記していませんが、正教会の伝承ではマリヤはヨハネ宅で生涯を終えて、天の国に入りました。ちなみにそれを記念する祭が生神女就寝祭(ユリウス暦の8月15日)です。

 

第三に、イエスが復活して墓にいないことを十二使徒の中で最初に発見したのはヨハネです。

エスが死んで葬られた翌々日の朝、墓にイエスがいなくなっていることを発見したのは、女弟子のマグダラのマリヤたちでしたが、その報せを聞いた使徒たちは「この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった」(ルカ24:11)のでした。しかし、ペトロとヨハネが墓を見に行き、「ペトロより速く走って、先に墓に着いた」(ヨハネ20:4)ヨハネが、墓の外からのぞき込んで中が空になっているのを確認しています。

 

最後に、他の使徒たちが次々と殺害された中で、ヨハネだけが長生きして天寿を全うしたことです。

もちろん全く無事だったわけではなく、ギリシャのパトモス島に流罪にされましたが、生きながらえて黙示録と福音書を残しました。

彼のイコンは上に掲げたように、弟子のプロホロス(日本正教会ではプロクル)に福音書を口述筆記させている姿で描かれます。

ヨハネによる福音書は他の3つの福音書(共観福音書)にない記述が多くあり、特にイエスが「人となってこの世に来られた神」であることを重点的に証ししている点が重要です。正教会での彼の呼称「神学者」もこれに由来します。

これも彼が生きながらえて福音書を残すことができたからこその功績です。

 

福音書の記事は十二使徒のうち、ペトロにフォーカスが当たっているものが多いのですが、ペトロ一人だけが特別なのではなく、使徒の一人ひとりが役割を担っていたのであり、特にヨハネが果たした役割は将来のキリスト教会の形成において大きなものだったということを、クリスチャンはしっかり認識すべきだと思っています。